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上皇さまと安倍元首相が「そりが合わない」といわれたのはなぜか  公開日:2022/07/31 06:00   日刊ゲンダイ

2022年07月31日 08時58分35秒 | 皇室
公開日: 更新日:
 
奈良市の近鉄大和西大寺駅前で安倍晋三元首相が凶弾の犠牲となった。それから2週間後、賛否両論のなかで吉田茂氏以来戦後2例目となる国葬が9月27日に行われることが決まった。近年の政治家ではもっとも力があるといわれたが、それは別として、皇室との関係でいえば、上皇さまとはそりが合わない政治家といわれた。皇室の未来が今もすっきりとしないのは、そのあたりに原因があるのではともいわれている。

 上皇さまと安倍元首相のそりが合わなくなったのはいつ頃のことだろう。

■小泉政権時代から始まる「女系天皇」めぐる対立

 今から20年も前のことだ。皇太子家からようやくご出産の喜びが聞こえたものの、愛子さまという内親王だったことはある意味で衝撃だった。このままだと皇位継承者が途絶える。強い危機感を深めた羽毛田信吾宮内庁長官が、当時の小泉純一郎首相に現状を訴えたといわれるが、おそらく天皇であった上皇さまのご意向だろう。

 これを受けた小泉首相は「皇室典範に関する有識者会議」を設けた。その結果、長子優先にして、女性天皇・女系天皇を容認するという報告書が提出された。当時の官房長官だった安倍氏は「男系の伝統を変えるのはいかがなものか」と大反対したが、小泉首相は粛々と皇室典範改正案の作業をすすめていった。ところが、そんなさなかの2006年に、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊が明らかになったのである。記者会見で安倍氏は、「このまま法制化をすすめる」と書かれていた官僚のメモを無視し、「改正論議は凍結する」と発表したのである。それを知った天皇、いまの上皇さまは落胆を隠しきれなかっただろう。
 結局、小泉政権は皇室典範改正案の提出を断念した。そのあとに続いた第1次安倍政権はすぐさま報告書を白紙に戻した。上皇さまはストレスで体調を崩されたという。


 のちに羽毛田長官が「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮いただくというようなご様子を拝して参りました」と述べている。

 2011年、民主党の野田佳彦政権になるとふたたび羽毛田長官が訴え、ようやく有識者会議を設置して「女性宮家の創設」を皇室典範に盛り込む案を取りまとめた。女性宮家を創設しても女性皇族が皇室に残るだけで皇位継承者が増えるわけではないのだが、ここでもまた、安倍氏らは「女性宮家創設は皇統断絶のアリの一穴」だとして猛烈に批判した。女性宮家ができれば、いずれ女性天皇を認めるようになるのではと恐れたのだろう。実際、女性宮家は羽毛田長官の案だといわれているから、その可能性はあったと考えられる。だとすれば、安倍氏や周辺はそのあたりを見抜いていたのかもしれない。

 だが、上皇さまはふたたび落胆されたに違いない。

野田内閣が倒れ、2012年に第2次安倍内閣が誕生すると、「皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない」として、報告書の女性宮家創設案を早々に白紙に戻してしまった。女性宮家に反対する理由を安倍氏はこう語っている。

〈仮に女性宮家を認め、そこに生まれたお子様に皇位継承権を認めた場合、それは「女系」となり、これまでの天皇制の歴史とはまったく異質になってしまうのである。男児が生まれたとしても、それは天皇系の血筋ではなく、女性宮と結婚した男性の血統、ということになるからだ。〉(「文藝春秋」2012年2月号)

安倍政権が続くかぎり、上皇さまの思いが実現されないことは確実となった。 (つづく)

 

 

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