【ワシントン=淵上隆悠】米国務省のマシュー・ミラー報道官は20日の記者会見で、イランのエブラヒム・ライシ大統領がヘリコプターの墜落事故で死亡したことに対し、「哀悼の意」を表明した。その上で、ライシ師が長年にわたってイラン国民の弾圧を続けてきたと指摘し、「彼の両手が血で汚れている現実は変わらない」と批判した。
ミラー氏は、ライシ師が政治犯の殺害や女性らに対する人権侵害に加担してきたと強調。国交を断絶しているイランとの関係について、「これからも変わらない」と語った。ミラー氏は、ライシ師の捜索を巡り、イラン側から支援を求められたことも明らかにした。米側は応じる方針を伝えたものの、実現はしなかったという。具体的な要請内容については、説明を避けた。
一方、オースティン国防長官は20日の記者会見で、「現時点では、必ずしも地域的な安全保障への影響はない」と述べ、ライシ師の事故死が地域の不安定化につながるとの見方を否定した。イランが今後、事故の責任を敵対する米国やイスラエルに転嫁する可能性については「米国が関与していないのは単純明快な事実だ」と語った。
(オースティン国防長官)
(参考;管理人)wikipedeia アメリカの関与を疑うので
「1953年のイランのクーデターとは、1953年8月にイランで起きた軍事クーデター。イランの首相だったモハンマド・モサッデクはこのクーデターにより失脚し、親欧米のパフラヴィー2世派であるファズロラ・ザヘディ将軍が首相に就任した。後に公開された機密文書でイギリスとアメリカがこのクーデターに関与していたことが証明された。
背景
モサッデク政権以前、イランの石油産業はイギリス資本のアングロ・イラニアン石油会社が独占していた[1]。だが、1951年にモサッデクがイランの首相に就任した後、すぐに石油会社を国有化しようとした[2]。この行動はソビエト連邦に利する動きとみなされ、アメリカとイギリスから警戒されることになった[2]。しかし本当はモサッデク政権とソ連の関係は良くなかった。」