三浦璃来/木原龍一ペア
インタビュー
世界選手権銀メダル
「4年じゃ絶対足りない、8年後までやる」
キャノン・ワールドフィギュアスケートウエア
文・野口美恵(スポーツライター)
(記録のため全文コピペしました。時間がたつと削除されてアクセスできなくなるからです。優れたインタビュー記事と思います。読みにくい方はサイトにアクセスしてお読みください:空を飛ぶカバ:管理人)
北京五輪では団体戦の銅メダルに貢献し、個人戦は7位と健闘。さらに世界選手権では日本勢最高位となる銀メダルを獲得した三浦璃来/木原龍一ペア。日本のペア界を背負う存在となった2人が出会うまでの道のり、そしてこれからの未来を語り合った
(映像アリ)
この映像は、自動撮影カメラ 『PowerShot PICK』で撮影しました。
木原「スケートだけは脱走しなかった」
9歳差のおふたりが出会うまではそれぞれ違うスケート人生を歩んできたと思います。三浦選手はどんな幼少期でしたか?
三浦 4歳の頃、キャラクターたちが演技をして競いあうというアニメを何回も巻き戻して観て「私も滑れる」と真似して動き回っていたそうです。それでスケート教室に入れてもらったのが始まりです。リフトのようなペアの技があったのを覚えています。今思えば、ペアを滑る運命だったのかも知れません。
ペアに転向したきっかけは?
三浦 私は背が低いのでペア向きだよと言われて、小学校3年生の時に日本スケート連盟のトライアウトに行きました。それが本当に楽しくて、リフトは「高い高い」をしてもらっているみたいだし、スロージャンプは着地できたときのスカッとした感じが素晴らしかったのを覚えています。人生で感じたことのない高さと幅(飛距離)が出るので、自分1人で跳ぶよりも楽しい、遊園地みたいって思いました。
遊園地、お好きそうですね。
三浦 大好きです。ツイストはフリーフォールみたいな感覚です。カナダ・トロントの遊園地には木原さんと友人の3人で行ったことがあるのですが、私が大人2人を連れ回していました。
木原 あの時の三浦さんは元気で、僕は途中でギブアップでした(笑)
木原選手はシングル時代から世界ジュニア選手権にも出場する実力派スケーターでした。名古屋でスケートを始めたのでしたね。
木原 4歳の時、僕が活発すぎたので、疲れさせるために母がスケートに通わせたそうです。バレエ教室で脱走、体操教室でも脱走して、スケートだけは脱走しなかったとか。野球やサッカーも大好きだけど、オフにちょっとやるだけで、バッティングセンターも去年久々に行きましたけど全然打てませんでした(笑)。とにかくスケートだけは楽しかったんです。
シングル時代はすごくスピードのあるスケーターという印象でした。
木原 スケーティングは当時習っていた荻野正子先生との鬼ごっこで鍛えられました。そこでスケートを嫌いにならずに滑ることを覚えたのかなと思います。スピードは昔から自信がありましたね。
組んだその日に「絶対に組まないといけない!」
無駄な力を入れずに伸びるスケートを実感
2019年7月にトライアウトをして、すぐに結成を決めましたね。
三浦 私も木原さんもちょうど解散して、パートナーを探しているタイミングでした。
木原 僕は本当に自信をなくしていた時期でした。パートナー探しが上手く行っていなかっただけでなく、自分のテクニックに自信がなく、続けていくことが正解かどうかも分からずにいました。シングル時代のホームリンクだった邦和スポーツランドでアルバイトをさせていただきながら、もう引退して働こうかなとも思っていました。
三浦 今の木原選手に比べると暗い雰囲気でしたね。
木原 三浦さんから声をかけていただいて、トライアウトしたその日に「これは合う。絶対に組まないといけない」と2人とも感じました。ツイストが高く上がったというのもありましたが、スケーティングの相性に驚きました。最初のストローキングのときに「スピードが乗るな、この子とだったらワンプッシュでここまで滑れるんだな」と感じました。
三浦 2人ともスピードが好きなので、これだな、と。
幼少期に鍛えた基礎スケーティングに共通するものがあったのでしょうか。
三浦 シングル時代に本田武史先生に習っていた時、スケーティングのクラスが週1回あったので、それは基礎になっていると思います。
木原 僕が習っていた長久保裕先生は本田さんの現役時代の先生なので、ストローキングの手法で似た点があったのかもしれません。三浦さんのストローキングはけっこう重心が下がるんです。体重を落としこんで氷に伝えてプッシュするという氷の捉え方が僕と似ていると思います。(青字:管理人)
三浦 無意識で滑るだけで合いますよね。2人で滑ると無駄な力を入れずに勢いよく伸びるので、すごく気持ち良いなと思いました。
木原 実はペアに転向してからの8年、自分のシングル時代の持ち味だったスピードが落ちてきていたと感じていたんですが、三浦さんとペアを結成してから自分本来のスピードが出てきているなと思います。転向後の5〜6年は技術力もなかったこともあってスピードが出ませんでした。今の滑りが僕の本当の滑り。すごく自然に滑れるので、それは三浦さんのおかげですね。
自然と笑顔の2人「僕は昔の自分が戻ってきた」
「木原選手の言葉で前向きにしてもらっている」
相性の良い2人で結成し、すぐに手応えは感じましたか?
木原 まだ最初の1年は自信がありそうでなかったです。本当の自信がついたのは2021年の世界選手権で10位になったところからです。
あの世界選手権では、こんなに楽しそうな木原選手を久しぶりに見たな、と思いました。
木原 特に意識しているわけではなく、自然とシングルのときのように、楽しかったら楽しいという表情が出るようになったんです。とても不思議で、意識していることではなく自然に笑顔が出る。昔の自分が戻ってきているなと感じました。これが本当の僕なんだなというのを、最近思いました。
三浦 本当に毎試合、笑顔だよね。演技中に二度見しちゃうくらい笑顔で滑っています。
木原 いやいや、五輪の個人戦フリーは、三浦さんが先に笑っていました。3回転トウループを降りたら、満面の笑みだったよ!
三浦 みんなにそれは言われてます(笑)
カナダ・オークビルでの練習の日々も笑顔なのでしょうか?
三浦 木原さんが落ちこむことはないですね。「今日が悪くても明日から頑張ろう」とすぐに切り替えられる人なので。私は引きずるタイプなのでいつも「大丈夫だよ」と言ってくれて、前向きにしてもらう側です。
木原 コーチのブルーノ・マルコットが「常にポジティブでいろ」という指導なので、先生からメンタル的なコーチングの言葉をもらえるようになったことが僕たちの成長に繋がっていると思います。三浦さんはジャンプの調子が悪いと落ちこみやすいけれど、ジャンプは日によって調子の悪い時があるもの。「考えすぎても跳べないので、明日になれば大丈夫」と話しています。
木原選手やコーチらのアドバイスで、メンタル面は変わりましたか?
三浦 実はシングル時代のほうが、ジャンプを失敗しても誰にも迷惑かけないという気持ちで、清々しくミスしているタイプだったんです。でもペアは失敗したら失敗したほうの点数になるので「自分のせいだ」という考え方をするようになり、落ちこみやすくなってきたんです。
木原 ペアなのでお互いさまなんですけれどね。僕がリフトを失敗する時もあるし、お互い気にしなくていいのだけど、考えすぎなところがあるんです。
北京五輪の個人戦、ショートで3回転トウループをミスした時も、そんな思考回路でしたか。
三浦 五輪の時は、私はパンク(ジャンプが2回転になること)してしまったので、もう少しタイミングをずらしていれば3回転回れていたと思うと後悔が残ります。せっかく相手はクリーンに跳んでいたのに、私のせいで点数を失った、と。それで演技後に謝っていました。
木原 三浦さんは試合でミスがあると、演技後すぐに「ごめんね、ごめんね、龍一ちょっと! ごめんね」と慌てて謝ってくれるんですけど、僕は一度もミスしたことを怒ったことないんですよ。演技後でキツくて疲れているだけなのに、怒っていると思うらしくて。「いやいや、ちょっと休ませて」という気持ちでした。
三浦さんにとっては、自身のアップダウンを学んだシーズンでしたね。
三浦 今季は「過去の自分たちを超える」という目標を掲げていて、毎試合それを超えていったことでむしろ乗りこえる壁がどんどん高くなっていきました。自分が失敗したらその目標が途絶えてしまうんだ、と。ネガティブに考えていたと思います。
木原 そういった意味では、世界選手権であれだけミスしたから、来季のハードルが落ちてよかったんじゃない(笑)。世界選手権が今季一番良くなかったので、上がって下がって、次は上がる。
三浦 降りたら登れるね。
三浦選手は猫、木原選手は大型犬
対戦ゲームは木原が「勝たせてあげる」
メンタルの作り方は、今季の試合を通じてつかめてきましたか?
木原 だいぶ見えてきたものはありますね。オータムクラシックとスケートアメリカが良くて、そしたらプレッシャーを感じてNHKは緊張して。五輪のフリーが良かったから世界選手権はそこまで気持ちを持ち上げられなかった。自分達のリズムが見えたことで対策も考えられています。
試合前のリラックス法で、対戦ゲームをするというのもルーティンになってきましたよね。
三浦 去年の世界選手権の時に試合前にゲームをやって、うまくいったんです。今季はオータムクラシックからちゃんと時間を計算して、公式練習のあとの本番前のこの時間はゲームね、と決めたりしています。
木原 ゲームをやっている間は勝つことに集中するので、試合のことを忘れられるんです。どうしても試合前って色々考えてしまうけど、公式練習のことも忘れて気持ちがリセットされるし、リラックスできます。良い方法が見つかったなと思います。もちろん僕が勝つと三浦さんは怒るので、わざと接戦になるようにして負けてあげるんですけど。
そのあたりは、9歳差がうまく生かされているのですね。
木原 年齢が近かったら色々とケンカしていたと思います。自分の10年前はどうだったかなと思うことでうまくいっていると思います。
三浦 私一人だと忘れ物にも気づかないし、木原さんは保護者みたいな感じです。
2人の関係は動物に例えるとどんな感じでしょう?
木原 三浦さんは、気まぐれな猫かな。ジャンプの着地の仕方も猫っぽいし、日常生活でも、気まぐれに寄ってきて、さーっと去っていく。
三浦 木原さんは、大型犬っぽいです。だから大型犬が猫を背中に乗せている感じ?
木原 それは可愛いですね。僕は大型犬っていう感じかもしれません。歳と共に丸くなったので。
8年後は37歳「むしろピークが来てるかも」
「2人の笑顔を届け続けたい」三浦
4年後、そして8年後も目指すと宣言されました。木原選手は8年後は37歳ですね。ペアは息が長いので、不可能ではなさそうな気がします。
木原 はい。メーガンコーチの元パートナーであるエリック・ラドフォード選手は37歳で現役ですし、実現可能だと思います。3回転2種類くらいなら全然跳べますし、むしろピークが来ているかも知れないです。中国のウェンジン・スイ/ツォン・ハンのペアも、勝ち始めてから数年では優勝まで行っていない。僕たちも、ここからは違う時間が必要なんだと思います。今までが修行期間で、次のステップになるには時間が必要。やっぱり4年じゃ絶対足りない、8年後までやる、そう思います。
三浦 異議無しです。
4年後の五輪メダルも十分に圏内ですが、やはり気持ちは8年後までなのですね。
木原 これほどベストなパートナーとはお互い二度と出会うことはないと思います。だから1年でも多く一緒に滑っていたいんです。僕にとってはこの2人でのペアしか考えられないので、この次は引退しかないと覚悟を決めています。
三浦 五輪の個人戦フリーの前に私をどうにか笑わせようとしてくれていた時に、「僕は五輪でフリーを滑れるのは初めてで、それだけで素晴らしいことだから、今日は全ミスでもいいんだよ」という話をしてくれて、その言葉で、私はここが最終地点じゃないんだと思えました。次の五輪も、そしてその次の五輪もあるなと。そして本番前にも「フリーを滑らせてくれてありがとう」って言われて木原さんと組んで良かったと思いました。将来的にはまず、国際スケート連盟(ISU)主催大会でタイトルを獲りたいと思います。
五輪後は世代交代も起きると思いますが、ペア界を背負う覚悟は出てきましたか。
木原 スイ/ハンたちのように世界を背負うという覚悟はまだないけれど、まずは日本のペア界を背負っていきたいです。僕たちが頑張ることで日本の方々が注目して下さって日本のペアが増えれば、それが世界へと繋がっていきますから。
中国組は4回転などの技術の高さ、ロシア組は演技力、それぞれ持ち味がありました。自分たちが見せたい魅力というのはありますか?
木原 僕たちはシンプルにスケートの楽しさを届けたいと思っています。ジャッジの方に「ペアの競技はいつも辛そうな顔をして滑っているものだけれど、あなたたちはいつも笑っているから、それが好きなの」と言われたことがあって、それまで笑顔の価値を意識していなかったんですが、素晴らしいことなんだと思えました。ペアは技一つ一つに体力を使うのでキツくて、その真剣さが顔に出やすいんです。だからこそ僕たちが笑っているのが新鮮に映るみたいで、この笑顔は消したくないなと思いました。
三浦 本当にたくさんの人が「笑顔で滑っているのが楽しそうで、印象深かった」と言ってくださっています。この笑顔をこれからも続けていきたいです。
木原 そう。みんなスケートを好きだからやっているけれど、競技になるとその気持ちを忘れやすい。「そういえば楽しいからやってるんだよね」という純粋な気持ちを笑顔として届け続けたいです。
ありがとうございました。8年後まで楽しみです!
2022年4月、都内にて取材
(今回はキヤノンの自動撮影カメラ 『PowerShot PICK』を使い、インタビュー中の何気ない瞬間を自動で撮影しました。その写真もこの記事に使っていますのでぜひご覧ください。)