とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

『フィリップ・ビゴのパン』の本が届く

2015年11月10日 20時12分29秒 | 料理・菓子・ジャム・食生活

 今日届いた本。

さっそくパラめくりして見てみたが、すぐに買ってよかったと思った。

アマゾンのレビューでは「感動した」という評が多かったが、本当にその通り。ビゴのまっすぐな情熱が伝わってくる。

 

序文を読むと、ビゴにとってパンとは何かが分かった。

 

P11

Le Pain Quotidien

  パン・コティディアンと読む。「日々の糧」という意味である。私のパンに対する気持ちはこの一語に表わせる。

 私が日本に来たのは40年前。今では日本でもどこでもパン食文化が発達し、バゲッドをはじめとするフランスのパンが全国どこでも手軽に買えるようになった。しかし日本のパン文化の根っこの部分は40年前とあまり変わっていない、と私は思っている。

 それはなぜか。日本においてパン派主食である必然性がないからだ。これがフランスとの大きなちがいである。私はフランス人だ。だから私にとって、パンは毎食の主食であり、命の糧となる神聖な食べ物である。日本における白いごはんと同じ感覚だと思ってもらえばいい。毎日、毎食、食べるものだからこそ、真のおいしさが問われるものなのだ。

 私はそうざいパンや菓子パンは個人的には好まない。だが日本人がパンをつくるときの発想はこうだ。パン生地とおかずやおやつを組み合わせて、パンをつくろうとする。生地にすぐ何かを練りこんで味付けパンにしようとする。この発想はフランス人の私にはないものだ。なぜなら、パンはおかずと一緒に食べる主食だからだ。

  (中略)

主食という視点では、日本とフランスにはもうひとつ大きなちがいがあるように思う。それは、パンの価格に対する考え方である。主食であれば、価格は手頃でなくてはならないのだ。

 (中略)

パン屋は手頃な価格設定で、たくさん売ることで店の経営を成り立たせる商売だ。芦屋本店では、30kg仕込みの生地は15分で分割を終える。スピードと効率もパン屋にとっては重要だ。

(中略)

パティスリーはパン菓子を売り、一方でパン屋は焼菓子も売るが、ふたつの店の意味合いはえらくちがう。パティスリーはリッチで美しいことを、パン屋は安くて毎日のおいしさを求められるのだ。だからパン屋はクリームや生地の配合や作り方も、シンプルでいいと思っている。

 

どうでしたか?ビゴの信条のまっとうなこと。

さらに、本的にはちょっと前後しますが、以下を読むと、さらにまっとうさに久しぶりに触れたという感動がおきます。

 

P8

パンは生き物である

ビゴの店おパンはおいしいという自負がある。

しかし配合が特別だったり、特別なつくり方をしているわけではない。

(中略)

 パンは手のかかる子供のようなものだ。なによりも十分時間をかけて、ゆっくりと育てなくてはいけない。早く発酵させることばかりを考えて、イーストの量をふやしたり、高温で発酵させると、大きくはふくらみはしても、熟成が追いつかず、香りや風味に乏しくなる。こういうパンは劣化も早い。ちゃんと時間と手間をかけて育てなくてはならないのだ。

 また、生地をこねるときも、人間の子が一人前になると親の手から離れていくのと同様だ。ちゃんと練れてコシがでてきたら、たとえそれまでベトベトと手についていても、自然に手から離れるようになる。生地のこねあがりも判断する一番の目安は、この手から離れる時である。コシの力は、パン生地が生きる力であり、コシがでてきたら、パンに生きる力がでてきたということだ。

 おいしいパンをつくるための唯一といえるコツは、生地と心を砕いてつきあい、最大限に生かしてやること。材料やつくり方ではない、パンの気持ちを理解すること。これが一番だ。

 

 さて、おっちょこちょいの私は、さっそく粉と食パン焼き型を注文しました。やりたいと思った時がチャンスなのでありますが、どうなることでしょうか?

 

ビゴのお店は銀座プランタンの地下にありました。今度行ってきてもいいが、出不精の私ゆえ、いつか行ってきます。

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