前稿(こちら、クリスチャンには勇気がある)からの続き。
クリスチャンその他の宗教家には勇気がある。
現世で幸せにならずとも、死して名を残さん的な永生観があるから。
こう言えるとすると、その逆も言える。
俗物には勇気は出ない。
そう言って差し支えあるまい。
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先日も、某上場会社で、不祥事を起こさぬための「勇気」とか古典から学ぶ価値を講演したとき、一番「刺さった」のは、このネタ。
俗物には勇気は出ない。
出世したい、上司に気に入られたい、人事評価を上げたい、給料上げたい、、、そういう世俗的な下心がある人には、絶対に勇気は出ない。
「保身」の気持ちがある人、または強い人には勇気は絶対に出ない。
人生意気に感ず、功名また誰か論ぜん、みたいな痩せ我慢ができる人ではないと、勇気は出ない。
現在世俗社会において、勇気を出す、ってことは、「オレは出世しなくてもいい、出世よりも大事なことがある」っていう、美学というか、信念というか、痩せ我慢。
やせ我慢できぬ者には勇気は出ない。
美学のない者には勇気は出ない。
信念なき者には勇気は出ない。
「身を保ち妻子を安んずる」(『李陵』の表現)者には勇気は出ない。
「勇気を出しましょう」なんて掛け声をいくら叫んだところで、勇気は出ない。
美学なき俗物には、勇気は出せない。
俗物とは、美学なき者を言う。
美学とは、辛い道を行く、痩せ我慢。
古典を学びましょう。
カッコいい精神に憧れましょう。
それで美学を身に着けましょう。
勇気は、一朝一夕には、出ない。
長い時間をかけた、読書の力によって、勇気が出る。
身も蓋もない話かもしれませんが、そういうものだと思います。