桐蔭学園の低迷の原因ってブログを書いて以来,やっぱり学校法人のガバナンスって大事だなと思っていろいろ発信していると,いろんな情報が私のところに集まってくる。
なかでも(ガバナンスの観点から)私の興味を引くのは,以下の2つ。
1 昭和57(1982)年,柴田周吉初代理事長が入院(4月)後,7月21日に,柴田理事長が三菱化成で預かっていた桐蔭学園の学校法人の理事長印を,鵜川校長(の部下の方)が「ちょっと借ります,すぐ返します」と言って預かり,そのまま返さなかった
…7月21日ってのがえらい具体的。。。 その後にすぐ鵜川校長が理事長代行になった。
…昭和53年に,鵜川校長が金銭トラブルを起こして神奈川県のなんとか教育長を辞任してから,柴田周吉理事長は鵜川校長を信頼せずに,理事長印を三菱化成に預けていたという。
2 その2年後の昭和59(1984)年に,鵜川校長が理事長に就任。さらにその2年後の昭和61(1986)年に,鵜川校長以外の理事が一斉退任(解雇)。この理事会の議事録はあるものの,実際に理事会は開かれなかった(という)。
…この辺は,当時,読売新聞の記事にもなったらしい。実際に理事会を開かずに議事録だけ作るってことなんてあり得るのかと思いますが…
この辺の事実がもっと詳しく知りたい(事実関係の確認をしたい)。けど,もう35年以上も前ですね。歴史に葬られることになるのか…
情報提供者のご連絡をお待ち申し上げております! コメント欄は非公開なのでコメントくださいませ。