庭木の剪定は結構好きかも。
猫の額ほどの拙宅の庭ですが、のこぎりを使って太い幹の根元から切ったり、根こそぎ引っこ抜いたり、繁りすぎた枝葉をバサリバサリと剪定して、日当たりと風通しを良くしたり…
横浜の実家で父親に教わった剪定技術を引き継いで、たまに庭木の剪定を楽しむ。今朝も、朝4時の浩然之気を吸うかを思って郵便受けまで歩きながら、陋屋の庭木を自画自賛的に眺めていた。
おお、先日の剪定で切りすぎたと思ったけど、1か月したら、とても見栄えが良くなった。やっぱり切ってよかった…
そこでふと、ひらめいた。
庭木の剪定は部下の教育に似ている。
変な方向に伸びた庭木は、下の方からバサッと切る。そうすると、1か月もすると、全体がスッと綺麗に見える。早いうちに切らないと、後から切るのは大変だったりする。サンクコストを感じちゃったり。
同様に、部下が変な方向に進んだら、早めに矯正する。若いうちからきちんと指導する。そうしないと後々苦労する。どうしても合わない人と無理に一緒に働かない。ダメな人には早めに去ってもらうことがお互いのため。
子供の教育もそうだろう。親が行う道徳倫理情操教育は、10歳まで。子供の人格は10歳である程度できあがる。10歳までは親を神のように慕ってくれる。
このように、
庭木の剪定は、後進の教育に酷似する。