選挙の効果

総選挙の意味

普通の  バリケイト伊東

2019-05-30 08:00:30 | 政治
  登戸での凄惨な事件から2日が経った。日本列島はいつもの普通の生活を取り戻したようだ。芸能人、ほれた、はれた、浮気した、グルメ、バラエティー番組を見てゲラゲラ笑いだ。被害者本人、家族にすれば生涯、事件を忘れる事はないであろう。亡くなられた人の家族にすれば、涙が止まる事はないであろう。どうしようもない喪失感に普通の生活を取り戻すなんて、いつの事なのだろうか。犯人もあわれだ。自分の存在を社会に示すのに、殺人だなんて普通の感覚ではない。殺人すれば、大きな事をやれば、社会は注目してくれるとでも、思ったのか。ひきこもり男の存在証明は、犯罪を犯す事。犯罪の中でも子供を狙うとは、最悪の選択だ。犯人、岩崎の名は日本の犯罪史に残るだろう。いい事をやって名を残す選択は、なかったのか。人生の方向性を間違えて進んでしまった結果が、凄惨な事件を生んだ。早い段階で、ひきこもり依存のあり地獄からの脱却すればよかったのだ。導いてくれる人もいなかったのだろう。岩崎も、ひきこもり依存から抜け出たい葛藤はあったのだろうが、ずるずると中学卒業以来、ひきこもりを続けてしまったようだ。人生、何歳になったって、やり直しはできるのだ。努力もしない、助けも求めない男には運命の神様は、ほほえまない。悲惨な事件を犯すように運命づけられてるのだ。そして、事件を起こした。悲惨な事件が起きる度に感じる事は、人間とは、何者、なんで神様は人間を誕生させたのか、人間はどこに向かってるのだ、人間の使命とは何なのだ。人間がますますわからなくなる。アインシュタインでも、人間を証明する方程式を作れないであろう。狂気は、普通の日常の中にひそんでるのだ。普通の顔をした人間が突然、普通を脱ぎ捨て、狂気の犯行を行うのだ。

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