東京は曇り空だ。千葉ではまだ停電だ。不自由な生活を強いられてる人がまだ多くいる。なぜそんなに復旧に時間がかかるのだ。日本人はおとなしい。外国なら暴動が起きるかもしれない。原発事故の裁判で無罪判決だ出ても、日本人は起こらない。EUやアメリカなら暴動が起きるような騒ぎになるだろう。安倍が社会保障を改悪しようと考えてる。高齢者の医療保険が値上げされるかもしれない。受給している年金は下げられるかもしれない。生活に響くだろう。生活が厳しくなっても、怒らない。日本人は怒りを忘れた民族になってしまったようだ。政治には興味がないのだ。関心は食い物、芸能人、美容、ペットだ。どぶ沼にはまった状況でも、多くの日本人は脱出しようとしない。どぶ沼にはまってる自覚がない。今の腐った状況を肯定するのだ。毎日、猟奇的犯罪が起き、子供の7人が貧困で日本中にこども食堂が作られ、日本の貧困状況は先進国で最悪だ。それでも、日本人は怒らない。政府に怒りをぶつけるより、自己責任にしてしまう。外国のように若者が社会の変革を先頭に立って進めようとしない。今の日本の若者は、幼稚でちゃらくて保守的だ。香港や韓国の若者とは、明らかに違う。変化を求めないと言った所で、限度がある。将来、年金がもらえなくなってもいいのか。親の介護に苦しめられてもいいのか。安倍は社会保障を機能不全にしよとしている。すべてアメリカのように自己責任にしたいようだ。公的健康保険がない国がいいのか。バカ高い医療費を払わされるのだ。そんな国にしたいのか。日本は平和で政治暴動も起きないからいい国だとは、言い難い。変化させなければいけないのだ。水、流れがなければ腐るのだ。日本では、流れを起こす人間がいない。今のままなら多くの日本人は、腐り水の中で死んでゆだろう。自然災害も追い打ちをかけるだろう。いつまでもあくびが出るような平和は続かない。人間の本質は悪と罪であり、自然の本質は破壊と死だ。人間界から戦争と犯罪はなくならない。自然は日頃やさしいが、本質的には破壊的だ。日本は、過去において数えきれないほどの自然災害を受けてる。その事実を忘れてはいけない。この宇宙に変化しないものはない。刻々とすべての物は変化している。今の日本に求められているものは、変化だ。どぶ沼にきれいな水を注入しなければならない。
東京の空はいい天気だ。しかし、私の心は、曇りだ。今日もテレビからは食い物と芸能人ほれたはれた、猟奇的殺人事件、いつもの日本が放送されてる。私的には、ある裁判がトップニュースになると思ってる。その裁判での判決に怒りがこみあげてくる。その裁判とは、福島原発事故当時の東京電力の経営陣の責任を問う裁判だ。三人、全員無罪だ。無罪とは、ふざけるなだ。誰も責任を取らないのか。あれだけの事故を起こしていて、今も多くの人を苦しめていて無罪放免とは、東京地裁の裁判官の良識を疑う。大津波は自然現象だから予測不可能であったのだろうか。2003年当時から専門家の最大15Mの大津波が原発を襲うと警告されていた。そして、14.5Mとの津波が原発を襲った。経営者達は警告を無視して原発を稼働させて、事故につながった。人命や人々の生活より利益を優先させた。地震は自然災害だが、原発事故は人災だ。原発村の住民、電力会社、政治家、官僚、学者達のおごりが事故を起こさせたのだ。日本では、原発の爆発事故など絶対にありえないと、自信満々に語っていた。しかし、爆発事故は起きた。そこに見るのは、慢心とおごり以外のなにものでもない。この裁判は刑事責任を問う裁判なのだ。検察側の弁護士は禁固5年の刑を求めていた。しかし、無罪判決だ。東電を訴えた民事裁判では、多くの賠償と責任を命じる判決が出ている。刑事になると、様相が違うようだ。裁判官は、法を厳格に解釈した結果が無罪判決につながってる。裁判官だって人間の感情を持ってるだろう。もし、身内に原発事故で被害を受け、家にも帰れず、避難先で死亡したりした人がいれば、無罪なんていう判決を出さないであろう。経営者だけでなく、原発を推進する安倍政権、官僚、学者、マスコミの責任も追及しなければならない。事故以来8年も達つと、形骸してゆく。人々の記憶もあいまいになってゆく。福島以外では、原発爆発事故など他人ごとになりつつある。しかし、日本では、沖縄を除いて北海道から九州まで原発はあるのだ。そして、日本の原発はすべて海沿いにある。すぐ側が海なのだ。日本は地震国であり、海で地震が起きれば、津波が発生する可能性が高くなる。福島のように大津波が原発を襲う可能性は十分にあるのだ。油断はできない。歴史は繰り返すのだ。また同じ事故が起きる可能性は多分にある。福島を忘れてはいけない。日本に住んでる限り、原発爆発事故はあなたに降りかかるかもしれない。その時、あなたはどう対処するのだ。相手は放射能だ。見えない、臭わない、色がない、空気みたいな相手と戦わなければならないのだ。高放射能にさらされてれば、命が失われるのだ。低放射能でも長時間、被爆すれば健康被害を受ける。こんな危険極まりない原子力発電システムをよくも事故当時54基も作ったもんだ。コストの安い発電だから日本には必要という論理だ。事故を起こせば莫大な賠償金を払わされるのに、安い発電と言えるのか。日本には原発はいらない。すべて早期に廃炉にすべきだ。日本を放射能で汚染された国土にしてはいけない。今日にも海で大地震が起き、大津波が原発を襲うかもしれない。歴史は繰り返す。
東京はいい天気だ。雨は夜に振るかもしれない。日本はひたすら閉塞と虚構の中で腐るだけだ。平和はいいが、長く続く平和は日本人をぼんくらにしてしまった。香港や韓国のように激しい政治活性は見られない。政治的課題は山積しているのに、政治は盛り上がらない。日本すごいのゆがんだ自画自賛ナショナリズムだけが、横行している。今のあくびが出る平和は永遠には続かない。日本を変えられるのは自然災害だ。地震や津波、台風などの破壊でしか日本は変われないであろう。年内解散なんてうわさされるが、野党が政権を取れる可能性はほとんどゼロだ。安倍の支持率は高い。マスコミ各社で若干違うが、50%はある。私みたいにまったく支持しない人間は、少数派だ。自民党内でも反安倍の動きは見られない。かつてのように激しい権力闘争は懐かしい。対決する野党も弱すぎる。力の差がありすぎるのだ。がれきの中で餓えて始まて日本人は目覚める。語るのも疲れた。
この数字わかりますか。今の日本の高齢者数です。日本の総人口の28.4%です。日本ではどんどん高齢者が増えてる。来年の今頃は、3700万人ぐらいになってるのではないか。4000万人の高齢者が目前に迫ってる。高齢者とは65歳以上の人です。世界一の数です。すごい数なのです。人口の約3割が高齢者とは、驚きだ。今後さらに高齢者は増える。日本の総人口は減ってゆくのに高齢者だけは増えてゆく。若者は増えない。日本では、子供が生まれない。2040年頃には、人口の3分の1が高齢者になる予想だ。日本の高齢者は幸福か。経済的に、健康的に、家族関係が良好なら問題がないが、いろいろな問題を抱えてる高齢者がいる。認知症、病気、ひとりで歩行できない。お金ない、家族から虐待を受けてる等、問題の多い高齢者が多くいるのだ。高齢になっても、自立した生活ができればいいのだが、80歳にもなれば、一般的に体力は落ちる。認知機能も落ちる。若い時とは違ってくる。90歳以上の超高齢者も200万人もいるのだ。今後、90歳以上の高齢者も300万人以上になる予想だ。90歳以上でも自立した生活ができれば問題ないのだが、認知症、寝たきりではだれが面倒みるのだ。国の介護制度は一応あるが、不十分だ。毎日のように家族や介護者の虐待、認知症高齢者からお金をだまし取る等のニュースが流れてくる。こんなに高齢者が多い国では、国力の低下は避けられない。生産性は下がる。労働力も足りなくなる、すでに日本では労働力が足りない。今の介護制度では高齢者を支えられない。年金は大丈夫か、姥捨てが横行するかもしれない。社会不安を引き起こすかもしれない。すでに、多くの日本人は漠然とした不安を抱えてる。安倍政権は社会保障を全体的に機能不全にしようとしている。増々、不安は増大してゆく。安倍は、働かないで、介護や医療に金がかかる高齢者を排除したいのであろう。安倍は社会的弱者には冷たい。国民も現状を受け入れて、抵抗しない。人間、例外なく歳を取る、20歳の人間、40年後には60歳だ。今、20歳の人間、2059年には60歳だ。その時、あなたの生活はどうなってるのだろうか。年金はなし、介護制度もなし、高齢者医療もなし、アメリカ的に自己責任の社会になってるかもしれない。若者は自分が老いる前に親の介護に直面する。介護は大変疲れるのだ。介護苦で親を殺すなんていう事は日本ではよく起きる。何歳になっても健康で経済的にも問題ないならいいが、寝たきり、認知症になったら大変だ。介護制度なんて介護全体の20%ぐらいしかしてない。80%は家族が面倒みなければならないのだ。今後さらに高齢者が増えてゆく事を考えると、国は財政的に高齢者を支えらえなくなるのではないか。姥捨て山が現実になりそうだ。親を人里離れた山に捨てる家族の心情を考えると、胸が痛くなる。江戸時代と同じなのだ。高齢化、介護を他人事として考えてはいけない。人は例外なく歳を取るのだ。全員の問題なのだ。あなたが人間であるならば確実に歳を重ねてゆく。老いて高齢者の容姿になってゆく。美容で老いを隠せなくなってゆく。マイケルジョウダンだってダンクシュートを100歳になれば出来なくなくなる。老いを自分の問題として考えないと、問題は解決しない。
東京はいい天気だ。日本は平和そのものだが、台風15号による千葉県での停電は、深刻な状況だ。現代では電気なしの生活などありえないのだ。現代では、電気は水と同じくらい大切なものだ。まったく電気がないという事は、江戸時代に逆戻りした感じだ。エアコンも冷蔵庫も、テレビも携帯の充電も、照明も、全然使えないのだ。エアコンなしなのか、熱中症で亡くなった人がいる。人工呼吸器も使えなくなれば、命があぶなくなる。東京電力は復旧に全力を注いでるが、はかどらない。倒れた電柱、一本撤去するにしたってかなりの時間がかかるのだ。電線にからまった倒木の撤去にも時間がかかる。想定外の事が起きてるとは、言い難い。台風は自然の生理であるからどうしようもない。しかし、被害は心構えでかなり防げるのではないか。電柱の強度が問題だ。コンクリート製の電柱が完全に折れてしまうのは、強度が足りないのではないか。メーカーは改良の余地がある。木が密生してるところでは、電線回りの木を伐採しておけばいいのではないか。電力不足を解決するのに、個人で発電機を用意しておくにも限界がある。発電機を買う費用、燃料の備蓄などを考えると、かなり難しい。避難所や学校に発電能力の高い発電機を事前に用意しておくはいいのではないか。避難民ばかりでなく、地域の電力を最低限確保させなければならない。その費用は自治体や電力会社、住民で出資すればいいのではにか。政府もお金をけちるな。オリンピックに巨額の金を使うのなら、生活の基本的インフラ、発電設備に金を使え。日本は災害大国なのだから、災害後の生活を考えて、いろいろと考えなければならない。明日は我が身なのだ。千葉県で起きてる事は、日本中どこでも起きる事なのだ。他人事として考えていたら、いつまでも問題の解決にならない。東京が大停電を起こしたら、非常にやばくなる。東京も大地震が予想されてる。台風も直撃するかもしれない。その時、電気の確保をどうするのか真剣に考えておかなければならない。今日にも大地震が起きるかもしれない。その時、あなたはどうやってサバイバルするのか。電気だけでなく、水、食料、医療、薬、トイレ、寝場所、その他をどうやって確保するのか、ひとりひとり考えておくべきだ。飲んで食ってバラエティー番組見て、げらげらと笑ってる場合ではないぞ。