或る夜の事。
狐は先輩と一緒に或るパブリック・ハウスのカウンター席に腰をかけて、絶えずミルクを舐めてゐた。
狐は余り口をきかなかつた。
しかし先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。
先輩は頬杖をしたまま極めて無造作に狐に質問をした。
「君は猫をかぶってゐるよね。狐といふ綽名なのに」
私は猫をかぶってゐます。狐といふ綽名なのに。
「自分を曝け出してみやうとは思わないの?」
思ひません。私は猫かぶりの狐なのです。
「自分を曝け出すと楽になるよ。曝け出してみたまえよ」
厭です。
「総てを曝け出してすつぽんぽんになつてみたまえよ。丸裸になるの。そして丸裸を私に見せて♡」
絶対に厭です。断固拒否します。すつぽんぽんにはなりません。丸裸を先輩には見せません。
「ふむん?」
先輩はお喋りを止めて考え込んだ。
狐の言葉は先輩の心を知らない世界へ神々に近い世界へと解放したのかもしんない。
狐は火酒を注文し割賦の中のミルクと混ぜ合わせて舐めた。
先輩は云つた。
「ねえ。正直に答えて。正直に云つてみれ。あなたはわたくしのこと好きでしやう?」
え? 嫌いですよ。かなり嫌いです。大嫌いです。
「では何で仲良くにこにこ呑んでいるの?」
楽しくないです。
「〇〇(←狐の本名)、愛してる」
やめてください。先輩には彼氏さんがいるでしやう? 彼氏さんといちやいちやしてください。
「今、付き合つているお方は彼氏ではなくて彼女よ♡」
如何でもよいです。聞きたくもない情報を聞いてしまつた。その彼女さんといちやいちやすればよいではないですか。
「可愛いよ。〇〇。かなり酔つてる所為もあるかもしれないけど……。でも……、一寸……。あなたとならいいかなと思つてるの」
な、何が?
「愛してる。〇〇。試してみない?」
な、何を?
「すつぽんぽんになつて……」
そこで先輩はお喋りを止めて顔を卓に突つ伏し、眠り込んだ。
先輩の心は知らない世界へ神々に近い世界へと解放したのかもしれない。
幸せそうににへらと笑い顔で酔い潰れている……。
狐は、ミルク入りの火酒を舐めてながら隣で眠つている先輩の顔を見詰めていた。
酔い潰れて眠つてしまう先輩の姿を見るのは久しぶり。いつもは酔い潰れるまでは呑まない人なのにな。
それに今宵の先輩は悪戯けが過ぎる。
何かあつたのかな?
其のパブリック・ハウスは極小さかつた。
然し、パンの神の額の下には赫い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。
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