大網方向へ。切通しの下り坂。
けっこう車の行き来が多く、急なカーブが続く中、スピードも出てるようで、路端を歩くのはちょっと恐い!
眼下に民家。
眼下の左右が開けてくる。
右に下る道が旧道?
※「Googleマップ」では「大網街道」と表示されている。
房総らしい谷戸、田園風景。
振り返る。
北方向。
南東方向。
今度は上り坂。
右奥に「圏央道」の橋脚。
南方向。
「大網白里市」に。
千葉市から大網白里市へ。
「圏央道(千葉区間)」をくぐる。
北方向。
この右手に旧道?
来た道を振り返る。
この付近。「県道20号(現大槻街道)」から分かれた旧道があるはずですが、ちょっと不明。
この川沿いに大網駅へ。
大網白里市のマンホール。
太平洋に面している大網白里市の名勝九十九里浜海岸に朝日が昇るデザイン。
前方に「大網駅」。
西側方向。
※この川沿いが「房総東往還」道になっています。
来た道を振り返る。
大網駅改札口。
当駅開設当初は東金線の福俵駅方面に500 mほど進んだJR東日本大網保線技術センター付近にあり、東金駅方面から千葉駅方面と安房鴨川駅方面の双方向に分岐する線形であった。そのため、当駅を経由する房総東線(現・外房線)の列車はスイッチバックが必要であった。スイッチバックが必要な線形については千葉駅も参照されたい。
1972年(昭和47年)5月に、当駅と房総東線の線路が移設のうえ高架化され現在の形態となった。かつての房総東線の線路は貨物列車用の短絡線として1996年(平成8年)まで使われていたが、新茂原駅での貨物取扱終了により撤去された。
スイッチバックの解消により、外房線と内房線を経由して房総半島を循環すると蘇我駅で列車編成の向きが逆転するため、このような列車の設定が困難となった。
(「今昔マップ」より)
1974年時点の旧大網駅周辺空中写真(国土画像情報カラー空中写真(国土交通省)より)
駅の位置が異なっていることに注目。また、駅の構造上、外房線のホームは急カーブになっている。
国鉄の旧千葉駅は現在の千葉市民会館付近にあり、東京方面から走ってきた総武本線の列車は内房線・外房線へと走るためにスイッチバックしなければならなかった。スイッチバックは大幅に時間をロスするだけでなく、列車の運転本数を増やす障害になっていた。
※千葉駅もかつては複雑な構造したスイッチバックでした。
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(「今昔マップ」より)