外国人へのおもてなしなどという幻想はいいかげん捨てたほうがいいと思う

2015年04月14日 | 日記
日曜日、兼六園に花見に出かけた。新幹線が開通したせいか、去年に比べて格段に人が多いように思う。特に外国人観光客の姿が目立つ。

仕事で富山に行くと、郊外を通るせいもあるが、同じ外国人でも労働者(たぶん経営者も)の姿が多い。コンビニなどでは、イートインコーナーや車中でよく食事をしている。

私の実家は富山市のはずれで、昔から過疎地帯であったが、今はさらに人口が減り、姪っ子の通う小学校は全校児童50人ほどである。2年前に入学したとき、たった6人しかいない新1年生のうち2人が外国人だった。

すぐ隣の射水市にある小学校はさらに外国人子弟が多い。

太鼓山ランドという大きな公園があるのだが、小学校高学年から中学生くらいのアジア・アフリカ系男子が転落死したらどうすんだ!というような危険な場所でよく遊んでいる。

日本に働きに来る人も観光で訪れる人もずいぶん増えたが、経済効果ばかりに目がいき、摩擦にはあまり触れられていないように思う。

以前ある教育雑誌で辛淑玉(シン・スゴ)さんが、保育所の先生たちはいっしょうけんめいであるにもかかわらず、外国人の親とうまくコミュニケーションをとることができず、苦しんでいると書いていた。雑巾を持ってくることや掃除当番のこと、お弁当を持ってくることなどを説明するのだが、外国人母たちは全然できないそうだ。文化が違うため、言われていることが理解できないのだ。だが、保育士さんたちはそのことが理解できず、何度言ってもちゃんとやってくれない…となるらしい。
これ児童養護施設でも同じです。外国人父母は自分たち日本人と文化という背景が全く異なるという認識がないので、全然うまくいかない。結局差別的な発言で悪態をつくことになる。

「おもてなし」はまるで日本人の特権であるかのように、各自治体がきそって「おもてなし」をアピールしているが、私はこの「おもてなし」が嫌いである。欺瞞と卑屈と傲慢のにおいがプンプンしているからだ。それほど鼻が利くほうではないはずだが、やけににおう。

日本人は青い目と金髪の外国人に対して「ガイジンさん」などと、これまた卑屈そのものの呼び方で親しんできたが、黒い髪黒い眼のガイジンさんや頭にスカーフを巻いた褐色の肌のガイジンさん、まったく異なる宗教観を持つガイジンさんにも「おもてなし」の心で接するのだろうか?

日本に住んでいる中国・韓国のガイジンさんには容赦ないかんじですが…

浮かれてないでいいかげん現実的な問題に目を向けたほうがよい。

英語だグローバルだと騒いでいるが、「おもてなし」などという幻想を駆逐するのが先である
コメント
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