役所の窓口対応でその町の民度がわかります

2015年04月24日 | 日記
職務上請求書を使って初めて戸籍謄本と住民票を取りました。

役所の窓口ってその市町村の民度が的確に出ていると思いました。

親切で丁寧な人や、ぞんざいな人、偉そうな見下した態度の人、投げやりな人など職員は様々ですが、その人個人としてではなく、どうしてもその市町村の顔として見てしまいます。

私が戸籍謄本を取ったのは市役所ではなく市民センターでしたが、若い方と年配の方2人いてどちらも行政職としての自覚のあるしっかりとした仕事をされる人でした。

私はおもわず「○○(自分の住む町)だったら、こんなことまで教えてくれないです!」と言ってしまいました。いやいやみんな教えてくれますよ、とおっしゃられましたが、そんなことないです!!

私は戸籍のことをまったくなんにも知らず、筆頭者をそもそも間違えて書いて、「直系の人しか取れません」と言われ、慌てて「じゃあ、直系の夫を請求人にして…ああっ!でも生年月日わからないーーーー」と大騒ぎをしていたのですが、そもそも筆頭者を間違えているのだから筆頭者を変えればいいわけで、係りの人の誘導でなんとか無事取ることができました。

結婚したら親の戸籍から出るとかいうすごーく当たり前のことをよくわかってなかったです。自分の戸籍を見たことあるのに、なんぞげ~に見てるんですね。

親子3代が同じ戸籍に入るということは現在の戸籍ではないそうです。子どもが生まれたら戸籍から出るのだそうです。例えば、未婚の母が子どもを産んだら、お母さんは親の戸籍から出て子どもと二人だけの戸籍になるそうです。知りませんでしたーーーー。

係りの方は本当によくできた方でした。
住民票コード通知書についても、ここでできればあなたの町でもできるはずだし、ここでダメならどこでもダメでしょう、と言って自分の担当じゃないのに、調べてくれました。

住民票コード通知書は、職務上請求書では出してもらうことができす、規程の用紙に委任のサイン・ハンコをもらった上で請求し、その場ではもらえず本人に郵送となるということでした。

とっても勉強になりました。

私も社労士の名を貶めたり品位を汚したりしないようにがんばらなきゃ…
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変形労働時間制のややこしさ

2015年04月23日 | 日記
かつて老人ホームに勤務していたころ、1か月単位の変形労働時間制であった。もちろん意味するところなどわかっていなかった。なんとなく1日の労働時間が8時間という法律があるぐらいのことしか知らなかった。

なので、夜勤の日は夜勤入りの日が8時間、夜勤明けの日が8時間と思っていた。当然ながら別々の日だと思っていた。

そうではなく、夜勤入りと明けは1日の扱いで、1か月単位の変形労働時間制は1日の上限がないので割増賃金を支払うことなく、1日につき16時間の勤務が可能であると知ったのはずいぶん後のことである。

なんらかの理由で早く来なければならなかったり、残ったりしなければならない場合、あらかじめ決められた所定労働時間を超えていて、それらは法定労働時間外になるので、たとえ総労働時間が総枠内であっても割増賃金を支払わなければならないのだが、そんなことは全く知らず…というか、それ以前にサービス残業というか、強制残業が当たり前で、制度の適切な運用など意味をなさないかんじでしたが。

1か月単位の変形労働時間制で時間外手当を計算する場合、まず最初に1日の労働時間を見て、次に週で見て、最後に総枠で見て(1日、週でカウントしたものは除く)ってやるわけですが、勤務パターンが10~30近くもあるような事業所では無理です。勤務パターンが少なくても、そもそも総枠内なら割増なしで、超えたとこだけ割増というところが多いと思います。きちんと運用されていないことは当然ながら当局だってわかっていると思います。

手続きさえ取ってあればいいてやつでしょうか。

法律だけががっちり決まっていて、でも運用は無理ってのは変形労働時間制だけじゃないですが…

通常は見て見ぬふりで、なんかことが起きたときだけ「できてない。これじゃあ認められない」ってのでは、正直者がバカをみるってかんじです。

変形労働時間制は単に日と週のきまりを柔軟にするというだけのものであるにもかかわらず、勤務変更に柔軟に対応できると考えられていて、それが放置されています。

ややこしいし、他の方法ないかな…
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ジャニーズファンだった母親たちは今何にハマってるんでしょうか

2015年04月22日 | 日記
8年ほど前の教育雑誌を読み返していたら、「ジャニーズにハマる母親たち」という記事が出てきた。

ママがジャニーズ好きの子はジャニーズ好きだし、韓流好きの母親の子どもは韓流好きみたい。ジャニーズにハマってるママたちはけっこうすごいよ。生活費切りつめてもコンサートに行くみたいな、本気のファン

というある母親の言葉が紹介されており、

学校のお母さんたちとランチをすると、必ずジャニーズの話題が出て、みんなそれぞれお気に入りがいて、その子のことにすごくくわしいそうです。

ジャニーズ事務所の成り立ちについて説明し(アメリカ大使館の軍事援助顧問団の仕事をしていた日系二世のジャニー喜多川氏が、野球チームの少年たちで作った劇団がそもそもの始まりだそうです)、ジャニーズ事務所のタレントが出演する映画やドラマに過激なシーンが多いということで、子どもに悪影響があるのでは?という記事の内容で、ジャニーズにハマる母親たちについていいも悪いも書かれていませんでした。

趣味は人それぞれなので、ジャニーズにハマっても、それで育児などを放棄したりお金を使い込んだりしなければいいんじゃないか?と思うのですが、しかし気になるところがあります。

男の子の母親なら誰しも、ジャニーズに入れさせたいんじゃないんですか

というある母親の言葉です。

ええっ!!そうなん!??というのが私の正直な感想です。

なんで???ジャニーズなん?

心理学的な解釈はあるのだろうけど、わからん!!

こういうことに疎すぎて全然わからないです。

もひとつ。

親子でってのも、よくわからないです。子どもと一緒のコンサートなんて親子ふれあいコンサートで十分やわ…いいかげん子どもと離れたい…

小学校高学年になった子どもとコンサートなんか行きたくないなぁ

そういえば、20年ぐらい前にもバイト先で子どもと一緒にジャニーズのコンサート行くっていう主婦の人がいて、ふーん、変わってるなと思ったが、その人は「みんな子連れで来てる」って言ってました。

これ普通なのか。知らなかった。

今はお母さんたち何にハマってんだろ。
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あてがわれた教育をありがたく思うグローバル人材って?

2015年04月21日 | 日記
どんな仕事でもそうだが、特に資格が必要な仕事において、その専門性を高めるために自らの意志で自腹を切って学んでいる人というのはどれくらいいるのだろうか。

私は保育関係の仕事5年間、介護関係の仕事6年間の経験があるが、保育関係では自腹を切って学ぶということがほとんどなかった。職場での勉強会や仕事の一環としての外部研修への参加、やや強制的な書籍の購入はあったが、自ら保育に関する書籍を購入したり、外部の研修に参加したりということはなかった。休日はもっぱら気晴らしに費やした。

行政との関係や虐待に関することなど、わからないことは多かったが、積極的に「知ろう」「学ぼう」という気力に乏しく、その日その日の仕事に追われ流されていくというかんじで、人間関係に疲れ、保育の仕事そのものに興味を失ってしまった。

その後なんとなくの流れで介護の仕事につき、そこで初めて自ら学ぶという経験を得た。保育の仕事に比べてあまりにもヒマであり、時間が有り余り勉強する時間があったのと、なぜこんなにもヒマなのか?という疑問に対する答えを知りたかったのが学ぶ直接のきかっけだった。

書籍をひもとくまでもなく、ヒマな理由はすぐにわかった。画一的な介護と身勝手な介護の解釈が一体となって、職員のヒマ状態が生じていた。

私が最初に勤務したのは「ユニット型」と称される特別養護老人ホームである。全室個室で9~10人で1つのグループを形成しており、10グループあった。「少人数的で家庭的」であるとして、厚労省が推進して当時大流行であった。従来型の特養からやってきた介護職員などはユニット型に勤務しているというだけで、画期的なすばらしい介護をしていると思い込んでおり、従来型の特養に対し根拠なき優越感を持ち、いかにユニット型施設がすばらしいかということを機会あるごとに聞かされた。

私の目には「家庭的」を錦の御旗に、最低限の身体介護さえしない職務放棄とうつるものが多かった。

コミュニケーションの時間が取れないからおむつ交換の回数を減らそう、という意見が堂々と述べられていた。

……


こんなことを延々と書くつもりじゃなかった!

研修だ。専門性を向上させるための自らの学びについてだった。

とにかくヒマで、介護福祉士の国家試験を受けるには3年も働かなきゃいけないっていうんで、福祉住環境コーディネーターなるものを取ってみたり、介護の本を買って読んだりした。外部研修のお知らせが掲示板に貼られていたので申し込んだら、自分でお金を出さなきゃいけないこと、勤務時間ではなく公休を使って参加することなどを念を押され、不思議そうに申込書を渡された。事務方からは「変わった人」と思われたようだ。

職場からあてがわれた研修はつまらないもの、くだらないものがほとんどであったが、多少おもしろいと思ったものでも復命書を提出した時点で記憶から消えてる。

その後県外の研修にも参加するようになり、全国の介護関係者と話をすることもできた。今でも忘れられない思い出であり貴重な体験であったと思います。

ではまとめます。

あてがわれたものをありがたいと思う人間っているんでしょうか?もしいるとしたら、それは奴隷根性がしみついていると思います。

あてがったものをありがたいと思わせ、かつ自主的な人材であってほしいっていうのは従業員に曲芸を求めてるってことでしょうか?

協調性があって前向きでグローバルな人材…言ってる意味をわかってるんでしょうか?

教育訓練費は企業ではなく、労働者に支払うべきと思います。

アビバやNOVAが儲かっただけってのは労働者の責任じゃないからね!
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スマホによってもたらされた不便さから解放される

2015年04月20日 | 日記
スマホを手放しガラケーに変えて4日経つ。3年ぶりのガラケーとあって、使い勝手もわからず不便は感じたが、依存の度合いが激減した。

スマホに始まりスマホで終わる日々だったのが、今では「ケータイどこだっけ?」程度に扱いがぞんざいになっている。

メールや電話で使っているにもかかわらず。

流行りものに飛びついたわけではなく、仕事上の必要から使い始めたとはいえ、あんな小さなものにここまで生活を支配されるとは思いもしなかった。

小・中学生でも持っているスマホだが、大人はこの小さな恐るべき機器を子どもが持つことの意味をどの程度理解しているのだろうか。

良くも悪くも世界とつながる機器であるが、おそらく多くの人が「ごくごく限られた小さな世界」に没頭しているのではないか。

きのう、児童館で子どもを遊ばせていたのだが、子どもを見守りながらスマホをいじっている親が多かった。

私も多少経験はあるが、見ずにいられないのである。目の前にあることよりもなぜか、スマホの中のことが気になるのである。

ネットにすぐつながるので、なんでもすぐに調べられるのである。とっても便利。でもその便利さは私の生活をとても不便にしてしまった。

スマホのない生活は不便さをはるかに上まわる開放感がある。

「世界と簡単につながる」スマホは私たちの視野をさらに狭くしてしまった
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