使ったお金は戻ってこないのでうまく元を取りましょう

2015年04月18日 | 日記
すでに支払ってしまって取り戻せない費用のことを「サンク・コスト」と言うそうです。本来なら無視すべきことなのに、どうしてもとらわれてしまう性質があるようです。ギャンブルで負けたときに、負けを取り戻そうとして更にお金をつぎ込むこんだりするのがよい例かと思います。

でもギャンブルに限らず、サンク・コストにとらわれることは多いと思います。気晴らしに買い物に出かけたが、特に買いたいものもない、しかしわざわざ足を運んだのに何も買わないのももったいない気がして、なんか買わないことには気がすまないとか、けっこうあります。結局お金と時間を浪費して、気晴らしにもならず自己嫌悪に陥るのですが…

『行動経済学~経済は「感情」で動いている』の著者で明治大学情報コミュニケーション学部教授の友野典男さんが、サンク・コストにとらわれる人の心理について次のように言っています。

今までに支払ってしまったお金について「無駄にしたくない」という思いが働くのは、個人であろうと企業さらに国であろうと同じである。「元を取ろう」とする行動を行動経済学ではサンク・コスト効果というが、個人にとっても企業や国にとっても強い呪縛になり、振り切ることが難しい。人間の心理には「自分が失敗した」とは認めたくない気持ちがあり、そのためなんとしても続けねばと思い込み、方向転換を阻む。

わかっちゃいるけどやめられない、でしょうか。

サンク・コスト効果に縛られる人や企業は多いだろうが、サンク・コスト効果どこ吹く風という人も多いような気が…

えーっとですね、例えば我が子が「どうしても音楽をやりたい」(絵でもなんでもいいんですよ)といって、音大を受験して合格してですね、半年か1年経って「自分のやりたいことではなかった」とかいって勝手にやめてしまったら、サンク・コスト返せ!となりますよ。

県外の私立の大学なんぞに行って、国家資格なんぞも取って、地元に帰ってきたらフリーターでぶらぶらしてる、あるいはぜんっぜん関係ない仕事をしているとかいうとき、サンク・コストどうしてくれるん!!となります。

「元を取らなきゃ」とか「もったいない」とか考えろ!「自分が失敗した」って、そんなに早く決めつけるな、まだあきらめるなって言いたいですよ。

資格がありながらその職に就いていない潜在~~という人は多いと思います。サンク・コスト効果が働いていないようです。

もったいないから資格と経験をいかしましょう!


こんな話になるはずじゃなかったのに
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面倒くさいが新人研修くらい自社でできます

2015年04月17日 | 日記
新年度が始まり、いろんなところで新人研修なるものが行われているようです。私はいつも仕事が長続きせず中途採用ばかりだったのであまり経験はありませんが…

その数少ない経験と他の人の話から感じるのは、「すごく初歩的なことを教えている」ということです。例えば電話の取り方、丁寧語の使い方、あいさつのしかたとか…

サラリーマン川柳で、「電話口『何様ですか』と聞く新人」というのがあったので、それも必要かとは思うのですが、にしてもですよ、マナー教室から始めるんですか?おたくの会社は、って思いますよ。そしてそれが当たり前で誰もおかしいとは思ってないみたいです。

だって、電話口で『何様ですか?』って聞くんだから、まず電話での応対のやり方を教えないといけないでしょ、それさえできないのが今どきの新人ですから、という声が聞こえそうです。えらい。面倒くさいと思っていないのか、面倒くさいけどやらなければならないと思っているのか…

親のやるべことを会社がやらねばならないなんて、今の時代にはヘビーです。

でも、こういうのって講師を呼んで研修会を開いてやることなのかと疑問には思う。それこそOJT(現場で仕事をしながら学ぶこと)ってやつでいいんじゃないか?っていうか、OJTでしか教えられない、学べないことではないか?OFFJT(職場以外での座学など)が少なく、OJTには限界があるなどと言われ、こぞって外部委託の研修に走っているが、そもそもサービス業(大雑把に人と接する仕事としておく)ではOJT自体ないでしょ。私は保育も介護も小売りもOJTと言えるようなものは経験したことがない。マクドナルドやミスタードーナツ
ぐらいだ。マニュアルばかりと批判はされているが、それさえなくててんでバラバラなのが多くのサービス業の実態だと思うな。

外部委託はラクだがカネがかかる。それだけのカネをかける価値のあるものなのか。「その程度」のものなら自分でできないか、考えてみたほうがいいと思います。

外部委託=ダメなわけではもちろんないです。自分でいいと思うものを選ぶべきだということです。面倒くさいです。丸投げしたくなります。自社の社員には何が必要かなんて興味ない会社には丸投げで助成金が出るような研修がおすすめです。
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リバースモーゲージで消費活性化はいいですが相続時もめますよ

2015年04月16日 | 日記
持ち家を担保にまとまった資金を貸し出す「リバースモーゲージ」を取り扱う銀行が増えているとして、どの新聞も取り上げていた。

リバースモーゲージなる言葉はずいぶん前に聞いたことがあったが、実際に利用しているという話はめったに聞かない。私が初めて知った事例は福祉現場においてである。

社会福祉協議会が取り扱っており、生活保護受給者とそれ以外で内容が異なっていた。

新聞の見出しにあるように

持ち家担保に老後資金
死亡後に売却・一括返済

と言われると、大変けっこうなことのように思えるが、それほどすばらしいことなのかはちゃんと検証してみないことにはわからない。

三菱UFJ銀行が言うように、「相続する家が残らないことへの抵抗感がなくなって利用が増えれば、消費が活性化して日本経済の成長にもつながる」のか?

持ち家を担保にする以上、ある一定の評価額がないとダメなわけで、田舎だと全然対象にならなかったりする。

価格の下落でお金が借りれなくなってしまったり、本人の死後家が売れなかったりすごく安くしか売れなくて、相続人が返済しなきゃいけなくなったり…相続放棄されたり…

このため、推定相続人全員の承認が必要となっている。

ただでさえもめそうな相続がさらに紛糾しそうじゃないか。

アメリカやフランスではよく利用されているようだが、アメリカ型とフランス型の違い、借り手と貸し手のメリット・デメリットを比較して、よく検証してみるべきではないか。

ちゃんと内容を理解しないまま契約してトラブルとなっていることが多いのではないかと思う。

相続でもめたことがある人はこの制度、宣伝ほどにはすばらしくないことは想像できると思う。

NISAもそうだが、いいことしか伝えてない場合、当然ながらそんなはずはないので、よくないことは何なのか自分で確認しないといけません。

家を売却した金で返済じゃなくて、売却は貸し手が責任持てばいいんじゃない?

住宅ローンもだけど、ろくに土地も調べず借り手の会社がどうとかそんなことばっかり調べて、銀行ってほんとにやなやつらだよ。
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若者の政治離れがもう少し続かないと困る人もいる

2015年04月15日 | 日記
私は選挙には疎いほうである。長年無関心でもあった。それでも、1票差や0.5票差で負けた・勝ったという話を聞くとなんとも言えない気持ちになる。

地方議会選挙などで投票率が極端に低くなると、票がうすーくなって、当選した人も落ちた人も大差がなくなってしまうようだ。

これは当事者やその周辺の人にとっては重要なことだが、選挙に行かないような人にとってはどうでもいいことである。

博報堂の原田曜平さんが、月刊誌「潮」の連載・アジア若者見聞録で、日本の若者の政治離れについて書いています。

日本で若者の政治離れが指摘されはじめてずいぶん経つ。しかし、国が豊かになり成熟していけば、政治の力で社会を大きく変えられる範囲はおのずと狭まっていくので、政治への関心は薄れ、その他のことに関心が移っていくのは必然である。しかし、アジアでは台湾・香港・シンガポールはそれなりに豊かで、日本と同じ成熟ステージであるにもかかわらず、日本の若者よりもずっと政治に関心が強い。つまり、日本の若者の政治離れは際立っており、突出しているということだ。

投票しても無駄、政治家はみんなダメという声は多いが、原田さんは日本は他国に比べ政治的に恵まれていると言います。

政治家や官僚の汚職問題一つとっても、アジアの他の国に比べれば相対的にはクリーン。そのせいか「放っておいても大丈夫だろう」と、安心感が働き政治に無関心となる。

韓国は北朝鮮との緊張関係、香港は中国共産党の支配下、台湾は中国との緊張関係、シンガポールやマレーシアは人種問題など、緊張を抱えている。一方日本は、このような「若者たちが政治に関心を持たざるを得ない要素」がない。

政治に無関心であることが許容されている、ある種の「平和ボケ」である。とまあ、原田さんは若者に厳しいことを言っています。

じわじわと生活を追いつめる危機はあるのですが、そうした危機から目を逸らし、政治離れを続けるのは「外は真冬なのに、家の中の暖房でぬくぬくと過ごしている」姿であると締めくくっています。

暖房ぬくぬくでなにが悪いと反論されそうです。

昔の若者は「安保はんたーい」とか言って、政治にはおおいに関心があったようですが、その後どうしてんですかね?ほとんどの人は卒業してるんじゃないですか?

おじさん・おじいさんたちは若者が政治に関心を持って立ち上がってもらったら困ると思うのですが…

若者は政治に関心がないといっても、素直なところがありますから、政治熱心な人が「誰それさんお願いね!」と票を頼んだらちゃーんと入れてくれたりなんかしますよ。適当に返事だけしといて投票に行かない人も多いですが、意外と行く人も多いのです。

若者が政治に関心を持ったら、これうまくいかないよ。

人海作戦で勝利してる人たち、ほんとに若者に政治的関心を期待してるんですかね?
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外国人へのおもてなしなどという幻想はいいかげん捨てたほうがいいと思う

2015年04月14日 | 日記
日曜日、兼六園に花見に出かけた。新幹線が開通したせいか、去年に比べて格段に人が多いように思う。特に外国人観光客の姿が目立つ。

仕事で富山に行くと、郊外を通るせいもあるが、同じ外国人でも労働者(たぶん経営者も)の姿が多い。コンビニなどでは、イートインコーナーや車中でよく食事をしている。

私の実家は富山市のはずれで、昔から過疎地帯であったが、今はさらに人口が減り、姪っ子の通う小学校は全校児童50人ほどである。2年前に入学したとき、たった6人しかいない新1年生のうち2人が外国人だった。

すぐ隣の射水市にある小学校はさらに外国人子弟が多い。

太鼓山ランドという大きな公園があるのだが、小学校高学年から中学生くらいのアジア・アフリカ系男子が転落死したらどうすんだ!というような危険な場所でよく遊んでいる。

日本に働きに来る人も観光で訪れる人もずいぶん増えたが、経済効果ばかりに目がいき、摩擦にはあまり触れられていないように思う。

以前ある教育雑誌で辛淑玉(シン・スゴ)さんが、保育所の先生たちはいっしょうけんめいであるにもかかわらず、外国人の親とうまくコミュニケーションをとることができず、苦しんでいると書いていた。雑巾を持ってくることや掃除当番のこと、お弁当を持ってくることなどを説明するのだが、外国人母たちは全然できないそうだ。文化が違うため、言われていることが理解できないのだ。だが、保育士さんたちはそのことが理解できず、何度言ってもちゃんとやってくれない…となるらしい。
これ児童養護施設でも同じです。外国人父母は自分たち日本人と文化という背景が全く異なるという認識がないので、全然うまくいかない。結局差別的な発言で悪態をつくことになる。

「おもてなし」はまるで日本人の特権であるかのように、各自治体がきそって「おもてなし」をアピールしているが、私はこの「おもてなし」が嫌いである。欺瞞と卑屈と傲慢のにおいがプンプンしているからだ。それほど鼻が利くほうではないはずだが、やけににおう。

日本人は青い目と金髪の外国人に対して「ガイジンさん」などと、これまた卑屈そのものの呼び方で親しんできたが、黒い髪黒い眼のガイジンさんや頭にスカーフを巻いた褐色の肌のガイジンさん、まったく異なる宗教観を持つガイジンさんにも「おもてなし」の心で接するのだろうか?

日本に住んでいる中国・韓国のガイジンさんには容赦ないかんじですが…

浮かれてないでいいかげん現実的な問題に目を向けたほうがよい。

英語だグローバルだと騒いでいるが、「おもてなし」などという幻想を駆逐するのが先である
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