悠翠徒然

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2019-10-04 13:44:05 | Weblog

かな課題私的考察その5

2019-10-04 06:56:37 | Weblog
まず全体を見てみましょう。



面白い散らし方ですよね。

そして墨継ぎ無しで書かれています。

この二つが書き手の、この句に対する解釈なのかもしれません。

白扇の上にゆらゆらと流れてゆく墨、、、

そんな絵が浮かんできました。


墨継ぎを『かな』で行わずに書く事を前提に解説を進めてまいりましょう。



『白扇尓たけ』まで、そこそこの太さの連綿線で繋げています。

少し鬱陶しさを感じるぐらいの連綿です。

これも、白扇上を流れる墨をイメージしているのではないかとおもいます。


実際白扇にたっぷりと墨を含ませた筆で書いてみると、如何に左手で扇部分を広げてみても、やはり骨組みの段差が邪魔をして、書きにくいのです。
白扇の紙も、墨を染み込むと思わせておいて、意外に染み込まない、、、

書道用の白扇以外は、防水加工されているのかもしれませんね。

自由にならない。
コントロールできない。

そんな自制できないエネルギーの軽い暴走を、この句から感じ取った書き手が、この様な散らしと連綿線を用いて表現した様な気がするのです。



最初の墨はたっぷりとつけておかねば、一号の小筆では最後までもちません。

かといって、半分以上おろしてしまっては、途中でかすれさせることはできません。

絶妙な筆のおろし方と墨つけの勉強になりますね。

墨が足りずに墨継ぎするのであれば、『か』からほんの少し墨継ぎして、『墨』までは確実にもたせてください。

『能』は少し早く書いて滑筆にしましょう。



『堂』でゆっくりと書けば、毛に染み込んだ墨がおりてくるので、再度潤筆に近い雰囲氣を出せます。

『万』は筆先を使って繊細に、そして『り』は再度速度を上げて滑筆にし、その勢いを『可』の一画目まで続け、二画目以降『奈』までは、筆先に墨をおろさせながらゆっくりと書いていきます。

緩急の使い方で、潤滑の対比を細かく行っています。

『白扇尓たけ』と『能堂万り可奈』の対比が美しいですね。

潤滑の差を出す時、潤筆時は小ぶりに、滑筆時は大きめに文字を書くのが、その存在感の差を無くすのに良いとされていますが、この作品ではあえてその逆を使っていると思われます。

一文字一文字ではその存在感で潤筆に押されてしまいますが、塊とその動き、そして儚げで感傷的な終わり方で、対等な存在感を出しているとおもいます。


コントロールできない暴走気味のエネルギーでさえ、いつかは終息の時を迎える。
そうであるならば、終息ギリギリまでコントロールすることを試みてみよう。
試みる中で、何か見えるものがあるのかもしれない。
だったらそれを見ない選択はないだろう。
なぜなら、それを私の魂が求めているのだから。


そんな解釈も感じ取れる作品ですね。

深読みしすぎかな(^○^)

でも、それもまた、高橋先生のかな作品の深くて面白いところであります。

これにて、今回の競書課題の私的解説はおしまいです。

締め切りは10月14日です!

ラストスパートしていきましょう〰