rinkydinkstudioの名付け親であり、音楽の師匠でもあった人の消息が三十年ほど分からなくなっていたのですが、西日本新聞の記事でその師匠を見つけてびっくり!
ドラマーとして随分鍛え上げてもらいました。
以下記事です。
『山下達郎らと奏でた、シティー・ポップ黎明期 福岡市の緒方さん ロフト・セッションの未発表音源リリース』
西日本新聞
キーボード奏者として活躍していた20代の緒方泰男さん
緒方泰男さん(右から2人目)、伊藤銀次さん(右端)が参加していた「バイバイ・セッション・バンド」
「ロフト・セッションズ・アウトテイクス」のジャケット
1970~80年代の日本で誕生した「シティー・ポップ」が近年、海外で人気を集めている。その黎明(れいめい)期をけん引した山下達郎さんらとライブを重ねた元プロミュージシャンのキーボード奏者が福岡市にいる。映画配給会社「九州シネマ・エンタープライズ」取締役の緒方泰男さん(65)がその人だ。この秋、東京のライブハウスなどで活躍した緒方さんらミュージシャンたちのセッションアルバムのアウトテイク(未発表音源)盤がリリースされた。
緒方さんは福岡市生まれ。7歳の頃からピアノを始め、高卒後の18歳から地元でプロ活動。ヤマハ系音楽学校で学んで1975年に上京した。
シティー・ポップの先駆けバンド「シュガー・ベイブ」の解散後、初となる山下達郎さんのソロライブに参加。伊藤銀次さん、吉田美奈子さん、山岸潤史さんらとも共演した。76年に坂本龍一さんの後任として「りりィ&バイバイ・セッション・バンド」に参加する一方、東京・下北沢などの「ロフト」でセッションライブを重ねた。
今秋発売されたのは、当時、ロフトで活動した女性歌手たちと、緒方さんら当時20代の気鋭のミュージシャンたちが組んで仕上げたセッションアルバム「ロフト・セッションズ VOL・1」(78年)の収録曲のうち、新たに見つかった6曲8バージョンの未発表音源を収めた「ロフト・セッションズ・アウトテイクス」。未発表音源に加え、6曲のオリジナル音源を収めた2枚組CDだ。
緒方さんがセッション・リーダーでキーボード奏者として参加している楽曲は「こぬか雨」(作詞・伊藤銀次、山下達郎/作曲・伊藤銀次)。シュガー・ベイブで山下さんが歌ったが、解散に伴いレコード収録の機会を失い「幻の名曲」と呼ぶファンもいたという。後に、伊藤銀次さんのソロアルバム「デッドリイ・ドライブ」に収録された。
「-アウトテイクス」の「こぬか雨」は、歌はソウルフルな高崎昌子さんが担当。バイバイ・セッション・バンドの田中章弘さん(ベース)らが参加している。
オリジナルは、軽快なリズムギターとベース、ドラムに、歌心あるキーボードがバランスよく絡み、黎明期のシティー・ポップらしい洗練された仕上がりだ。一方で、アウトテイクの音源はダビング調整をしておらず息遣いが伝わるような味わいがあり、聞き比べた緒方さんは「リズムが暴れた感じで生々しい。歌が艶っぽい」と語る。
◆洋楽を追い越せと、高いクオリティー
シティー・ポップは、米国のロックやR&B、ジャズなどの要素を取り込み、都会的で洗練されたイメージで語られる。和製ロックバンド「はっぴいえんど」を源流に、山下達郎さんや大貫妙子さん、竹内まりやさんらの楽曲が代表的だ。
「-アウトテイクス」発売は、シティー・ポップが海外から注目される中、オリジナル盤の再発売の依頼があったのがきっかけ。発売元のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントの星健一さんは「音源を探していて、偶然、アウトテイクの音源が見つかった。クオリティーが高く、これは世の中に出すべきだと考えた」と振り返る。
シティー・ポップの世界的な流行の背景には、ユーチューブなどデジタル媒体の普及がある。「一つはDJ文化が世界に広がっていて、(多くの音楽関係者が)サンプリングソースとして面白い音源を探している。サウンドが面白ければ国籍は関係なく、音源をループ(繰り返し)して使う」と星さん。
「Jポップの黎明期、洋楽に追いつき追い越せと、20代のミュージシャンたちが洋楽のエッセンスを日本語にのせて消化していった。70年代の楽曲はクオリティーが高い」と流行の理由を分析する。
◆アイデンティティーが認められている
緒方さんは「流行というより(シティー・ポップという)あるくくりであの時代に生まれた音楽のアイデンティティーが認められているという印象がある。現代の音楽はデジタル的に作り込み過ぎて、人間的な要素を失っている。人間が演奏している雰囲気を含んだ、あの時代の音に、多くの人が何かを感じているのかもしれない」とみる。
山下達郎さんとのセッションでは、コード進行表を渡され、3回ほどのリハーサルで本番だった。山下さんがギターを奏で「テンポはこのくらい」とリードするくらいで、注文はほとんどなく、音で対話し、仕上げる。ソロパートはすべて任された。
ビル・エバンスらジャズ、B・B・キングらブルースの素養がある緒方さんと、ビーチ・ボーイズやラスカルズ、マービン・ゲイなど米国のポップ・ロックやR&B、ソウルに詳しい山下さん、という具合に、それぞれのメンバーの嗜好(しこう)が交わって独自の音世界が生まれていく。
「伊藤銀次さんの音づくりは関西出身らしくおおざっぱでニュアンス重視なのに対し、山下さんは勉強家で、例えばビーチ・ボーイズのコーラスなどは音譜に落として研究していたと思う。それまでの歌謡曲と自分たちの音楽(シティー・ポップ)の違いを、山下さんは『メロディーのリズムだ』と言っていた」と振り返る緒方さん。
「69年の(米国の野外ライブ)ウッドストックをはじめ、パワーと濃いエッセンスがある新しい洋楽に大量にぶつかって、一生懸命に咀嚼(そしゃく)し、自分たちのものとして出力する。必死は必死でした。新しいものを生み出した時代だったと思う」。緒方さんはそう結んだ。(吉田昭一郎)