軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

松本自転車競技場の歴史

2018-10-18 20:37:51 | 日記

1978(昭和53)年のやまびこ国体、更にさかのぼり1977(昭和51)年の高校総体のために松本市の浅間温泉近くに333.3mの自転車競技場が建設されました。粗末なプレハブの管理棟があるだけでしたが、私にとっては思い出深いトラックです。
今は取り壊されて県民文化会館(キッセイ文化ホール)が建てられています。
松本自転車競技場は、そこから数㎞離れた場所にかりがね公園自転車競技場として新設されました。
こけら落としには自転車界のレジェンドで、当時スプリント世界チャンピオンの中野浩一さんが来てくれて模範レースをしてくれました。
地元選手のエキシビションとして行われたエリミネィションレースに私も出場しました。
ところが、かりがね公園自転車競技場もその後Jリーグに昇格した松本山雅FCの練習グランドに変わってしまいました。
そして自転車競技場は廃止になった浅間温泉国際スケート場のリンクの敷地内に333.3mのトラックを新設することで、日本で一番標高の高いベロドロームになり、記録が出やすい走路として知られるようになりました。
写真は7月に開催されたJICF国際トラックカップのレースのものです。
元スプリント世界チャンピオンのテオ・ボス選手が来てくれました。
1000mTTでは1分00秒581という好タイムが、女子スプリント予選200mFTTでは10秒571のアジア記録が出ていました。
コメント
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