母校の応援を兼ねて箱根駅伝をテレビ観戦しながらこの記事を書いています。
私にとっては2台目のミヤタのフレームを使ったロードです。
1981年のツール・ド・フランス第17ステージでミヤタのフレームを使用したCAPRISONNE-KOGAMIYATAチームのピーター・ビネンは区間優勝を飾っています。
そしてピーター・ビネンは総合成績も5位、ヤングライダー賞マイヨ・ブラン(白いジャージ)を獲得しています。
1980年代、私はミヤタのフレームを使用していることが誇りでした。
プロチームのレプリカジャージは着ないことが私の方針でしたがこの頃は、CAPRISONNE-KOGAMIYATAチームのレプリカジャージを着て、MIYATAのレースキャップを被っていました。
ミヤタのフレームは当時の日本の自転車乗りの誇りでしたが、現在では、ミヤタサイクルはメリダのフレームを輸入する立場になりました。
パーツではシマノが世界を席巻しているといっても良いでしょう。しかし、フレームでは、GIANT、MERIDAの二大台湾メーカーが世界を席巻しています。それどころかビアンキ、コルナゴといったイタリアを代表するブランドまで一部は台湾でのフレーム製造のようです。
コストの事を考えれば国内製造はどうしても割高になると思いますので仕方ないですが、かつてのミヤタの栄光の日々を思うと寂しい限りです。
パーツは色々と買い集めてきて組みました。
クランク、フロントギア:スギノマイティコンペ 48×42
ペダル:極東プロエーストラック用 トウクリップとストラップ:三ヶ島
(当初取り付けたサイクロンマーク2が不調だったのでデュラエースに代えましたが、マーク2ではないサイクロンは優れた変速機でした)
リアデュレイラー:シマノデュラエース(当初はサンツアーサイクロンマーク2)
フロントデュレイラー:サンツアーサイクロンマーク2(当初のままです)
(変速レバーは当時ダウンチューブに付いていました)
コントロールレバー:シマノデュラエース
(当時のタイヤはチューブラーです。スペアタイヤをサドルに付けて走るのが一般的でした)
サドル:ゼウス2000(スペインのメーカーのパーツです知ってますか?)
シートポスト:シマノデュラエース
ステム:日東パール ハンドル:日東ユニバーシアード105
ヘッド小物:シマノデュラエース
前後ブレーキとブレーキレバー:サンツアーシュパーブ(製造はダイアコンペです)
ホイールは今のような完組ホイールではなく手組です。
ハブ:シマノデュラエース(シマノが初めて発売したフリーギアと一体式の自転車史に残るパーツです)
リアスプロケットは現在と同じカセット式で7段変速です。(デュラエースなのに7段です…)13×14×15×16×18×20×22の構成です。
一番軽いギアで42×22です。(1.90倍)重い!
いやとんでもない。昔はみんなもっと重いギアを踏んでいました。
42×22は軽い方でした。ローギアで22を使っていたら馬鹿にされるほどでした。
現在使っているのはシマノの10速でフロントインナー34×リア28(1.21倍)ですが、80年代ではツーリング車のギア比でした。
リム:マビック スポーク:確か国産の星スポーツです。この頃のスポークは強度不足でよく切れましたので、スポークの本数は36本、とても多いです。
タイヤ:現在はビットリアの普及品のチューブラーが付いてますが、昔はウォルバー(今はないブランドです)をよく使っていました。
昔のサイクリストにとっては懐かしいパーツを使って組み上げた1台です。
ミヤタも今はメリダの輸入元です。
もう一度かつての栄光を取り戻してほしいです。
できれば日本製のフレームをツール・ド・フランスで見たいものです。
ロードマンじゃなくて、グリーンのフレームという点は明確ですが、それ以外は記憶がイマイチ。
でも、色合いがピッタリで、マークがこんな感じだった様な…と思い、懐かしさを感じます。
リアに折り畳み式のキャリアを付け、ゴム紐で黒革の学生鞄と手提げ鞄を縛り付け、高校を通っていたのを思い出しました。
20年経って、ロードに乗る様になるとは想像しませんでしたね。(笑)
良いモノを見せて頂き、ありがとうございました。