もう何年になるでしょう。
コブクロの公式ホームページの交流掲示板に終戦記念日には必ずカキコさせていただいていました。
数年前からはもう書くのをやめようかな。このブログにだけ書かせてもらおうかなと迷ったりしましたが、少しでも読んでくださる方がいるかも。と思い、昨年までは書かせてもらっていました。
しかし、今年はこちらにだけ書かせてもらおうと思います。
先日コブクロ掲示板のほうに、9年前のkiroro&コブクロの京都円山公園の音楽堂でのライブの思い出から、翌日その感動を伝えたくて一本指で初めて投稿した日のこと、出迎えてくださった方の暖かい言葉をいただいたこと。。。などかなり時間をかけて書き込みをしました。
私はあの掲示板をコブクロへの手紙と思っていつも書いていました。
夜遅くまでレスは一つもついていませんでした。
ところが夜中に見ると私の投稿が消されていました。
自分でと削除した覚えもないのに・・。
もしも読んでくださった方や、レスが私の知らないうちについていたらその方に申し訳ないなあと思い、投稿が消えてしまったこと、先ほど投稿した文章に何か不適切なことがあったらすみませんという内容の記事を投稿しました。(パスワードも変更して)しかし、それも間もなく削除されてしまいました。
どうして削除されたのか、投稿の基準がわからなくなったので、問い合わせをして、回答をお願いしましたが、いまだお返事をいただいていません。
セキュリティーが強化されているのか、私のパソコンからは以前の自分のブログなどの書き込みからコピーして貼り付けることができなくなっていて、昔のことでしたから、何度も思い出しながら、訂正しながら時間をかけて投稿したものでした。
それが、簡単に消されてしまい、何がいけなかったのかわからず、ちょっとすっきりしない状態なのです。
でも自分では大丈夫と思った文章でも管理人さんにはここがいけないというところああったのだとおもいます。そこが知りたいのですが。
コブクロを守るために、疑わしい内容や、貼り付けが簡単にできないようになっているのかもしれません。
だから、今年はここにだけ書くことにしました。(自分のブログを参考にしています)よかったら読んでみてください。
戦争を知らない子供たちという曲がありました。1983年、戦争を知らない子供たち83という曲を北山修さんが『戦争を知らない子供たちという曲を知らない子供たち』のために書きました。
そして今は終戦記記念日を実感するのは甲子園の正午の黙とうに一番感じるという人もおられます。なので書かせてもらいました。
今日は67年目の終戦記念日。年々新聞の記事やテレビのニュースでも取り上げられる量が減ってきてい
ます。
子供も夏休み。学校でも教えてもらえないし、実際に戦争を体験された方の高齢化は進むばかりです。
数年前ある新聞のコラムを読んでいて夏の甲子園と戦争の悲しい関係を知りました。
何も大げさのことなどしなくても終戦に日に子供たちに私が何か話をするだけでも良いんじゃないのか
なあと思うようになりました。というか私たちが今度は伝えていく番になったのではないのかなあと思
うようになりました。
今年の全国高校野球大会は第94回です。
本当は1915年(大正4年)に始まったので本当は今年は確か第98回であるはずなのです。
どうして4回回数が少ないかは、大正時代に第4回大会が米騒動で、昭和16年の第27回大会の二回は回数
にはカウントされていますが、開催直後途中で中止。第二次世界大戦中の昭和17年から20年の間の4回が
は中断になったからだそうです。
終戦一年後の昭和21年から現在まで休むことなく開催されています。
そして
甲子園の名物である大きな屋根銀傘。今はアルミ製だそうですが当時は「鉄傘」と呼ぶ鉄でできていた
屋根だったそうです。
その銀傘は武器を作るために政府に提出。
グラウンドは食料確保のための芋畑に。
当時あった室内練習用のプールは潜水艦の実験施設として使われたそうです。
そして多くの高校球児(過去に大会に出場した人も含め)が戦争の犠牲になりました。
ある年の新聞社の方の夏の甲子園の抽選会での挨拶の中に終戦記念日にされる正午のの一分間の黙祷に
ついて話が心に残りました。
「正午の黙祷はただ戦争による犠牲者の冥福を祈るだけではありません。
多くの高校球児の冥福と、今現在この大会が無事行えるようになった『平和の世の中』がずっと続きま
すようにと祈るため。もあるのです。」と話をされていたのです。
これからもこの悲しい4回の大会の回数のずれはずっと消えることなく続いていきます。
数年前亡くなったたおばあちゃん女優として多くの人に愛されたの『原 ひさこ』さんは自分の誕生日が
広島に原爆が投下された日8月6日であることに大変胸を痛め、戦争が終わってからは、誕生日の祝いは
せずに『すいとん』を食べて心静かに祈っていらしたということを、亡くなったときのテレビ番組で知
りました。
コブクロの歌の中には「この指とまれ!」という平和を願う曲があります。
数年前まで毎年開かれていた『風に吹かれて』という野外ライブ。このタイトルはボブディランが20歳の時にベトナム戦争を嘆い
て作られた♪Blowin’ in the wind♪という作品の日本語タイトルから来ているいるそうです。
『風に吹かれて』は反戦コンサートではないけれどの裏メッセージには平和=みんなの幸せという願い
が込められているそうです。(以前のドットコムのコラムのセッキーさんの書き込み参照)
自由に歌が歌え、自由に好きな音楽が聴ける。それだけでもすごく幸せなことなんですよね。
終戦記念日に私は毎年子供が聞いているかどうかわからないけど、甲子園の黙祷が近づくとこんな話を
勝手に聞かせています。
そして。
私が決めてことは毎年家にいたら水団(すいとん)を作って食べてみることです。
(今年はすいとんじゃなくオムライスになってしまいました)
戦時中は水団(すいとん)は出汁(だし)もとらず、野菜を入れて煮て小麦粉にお水を入れて練ってそ
れをお汁に落として、水で薄めて大事に使っていた自家製のお醤油でほんの少し味付けをしただけのも
のだったそうです。
今食べたらきっとおいしくない味だったと母が教えてくれました。
※お米は戦地に提供されていたので変わりに小麦を作って代用食にしていたと母が教えてくれました。
水団はまずいもの。というイメージがあったのですが昨年作った水団はこれが結構おいしくて子供にも
好評でした。
戦争について何か考えてみる。おじいちゃんやおばあちゃんに戦争のことを聞いてみる。
それだけでも十分良いんじゃないかなあと思った日でした。
ちょっと硬い話を読んでくださってありがとうございました。
甲子園の歴史のことなど自分で調べました。
あやふやになってはいけないので過去の自分の書き込みを参考に書きました。
※追伸
最近気になっている曲
NHKでよく流れる復興ソング『花は咲く』
岩井俊二さんという方が作詞をされています。
出演者の方がガーベラを持ってうたわれています。
津波で妹さんをなくされた生島ヒロシさんの真っ白なガーベラが悲しいです。
この歌詞ができたきっけに岩井さんのところに届いた若い女性からの一通のメールにあるそうです。
『探したい人がいる、会いたい人がいる、恥ずかしいから匿名で探そうかな』
というようなメールだったそうです。
亡くなった方にはきっと数えきれないほどの思い出やエピソードがあったのではないか。その未来が断ち切られてしまった。
この花は咲くという歌詞は、亡くなった方からの視線、というか気持ちを代弁して書かれている部分もあるそうです。
ぜひ聴いてみてください。
追伸その2
夜にすいとんを作りました。
「おかあさん、すいとんはまずく作らんといけんのんよ。味いちもんめにそういう話が合ったよ」と二男が言いました。
キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、油揚げ、小麦粉で作った、すいとんで酒と薄口しょうゆだけで味付けをしました。
すごくおいしくできてしまいました。汗
コブクロの公式ホームページの交流掲示板に終戦記念日には必ずカキコさせていただいていました。
数年前からはもう書くのをやめようかな。このブログにだけ書かせてもらおうかなと迷ったりしましたが、少しでも読んでくださる方がいるかも。と思い、昨年までは書かせてもらっていました。
しかし、今年はこちらにだけ書かせてもらおうと思います。
先日コブクロ掲示板のほうに、9年前のkiroro&コブクロの京都円山公園の音楽堂でのライブの思い出から、翌日その感動を伝えたくて一本指で初めて投稿した日のこと、出迎えてくださった方の暖かい言葉をいただいたこと。。。などかなり時間をかけて書き込みをしました。
私はあの掲示板をコブクロへの手紙と思っていつも書いていました。
夜遅くまでレスは一つもついていませんでした。
ところが夜中に見ると私の投稿が消されていました。
自分でと削除した覚えもないのに・・。
もしも読んでくださった方や、レスが私の知らないうちについていたらその方に申し訳ないなあと思い、投稿が消えてしまったこと、先ほど投稿した文章に何か不適切なことがあったらすみませんという内容の記事を投稿しました。(パスワードも変更して)しかし、それも間もなく削除されてしまいました。
どうして削除されたのか、投稿の基準がわからなくなったので、問い合わせをして、回答をお願いしましたが、いまだお返事をいただいていません。
セキュリティーが強化されているのか、私のパソコンからは以前の自分のブログなどの書き込みからコピーして貼り付けることができなくなっていて、昔のことでしたから、何度も思い出しながら、訂正しながら時間をかけて投稿したものでした。
それが、簡単に消されてしまい、何がいけなかったのかわからず、ちょっとすっきりしない状態なのです。
でも自分では大丈夫と思った文章でも管理人さんにはここがいけないというところああったのだとおもいます。そこが知りたいのですが。
コブクロを守るために、疑わしい内容や、貼り付けが簡単にできないようになっているのかもしれません。
だから、今年はここにだけ書くことにしました。(自分のブログを参考にしています)よかったら読んでみてください。
戦争を知らない子供たちという曲がありました。1983年、戦争を知らない子供たち83という曲を北山修さんが『戦争を知らない子供たちという曲を知らない子供たち』のために書きました。
そして今は終戦記記念日を実感するのは甲子園の正午の黙とうに一番感じるという人もおられます。なので書かせてもらいました。
今日は67年目の終戦記念日。年々新聞の記事やテレビのニュースでも取り上げられる量が減ってきてい
ます。
子供も夏休み。学校でも教えてもらえないし、実際に戦争を体験された方の高齢化は進むばかりです。
数年前ある新聞のコラムを読んでいて夏の甲子園と戦争の悲しい関係を知りました。
何も大げさのことなどしなくても終戦に日に子供たちに私が何か話をするだけでも良いんじゃないのか
なあと思うようになりました。というか私たちが今度は伝えていく番になったのではないのかなあと思
うようになりました。
今年の全国高校野球大会は第94回です。
本当は1915年(大正4年)に始まったので本当は今年は確か第98回であるはずなのです。
どうして4回回数が少ないかは、大正時代に第4回大会が米騒動で、昭和16年の第27回大会の二回は回数
にはカウントされていますが、開催直後途中で中止。第二次世界大戦中の昭和17年から20年の間の4回が
は中断になったからだそうです。
終戦一年後の昭和21年から現在まで休むことなく開催されています。
そして
甲子園の名物である大きな屋根銀傘。今はアルミ製だそうですが当時は「鉄傘」と呼ぶ鉄でできていた
屋根だったそうです。
その銀傘は武器を作るために政府に提出。
グラウンドは食料確保のための芋畑に。
当時あった室内練習用のプールは潜水艦の実験施設として使われたそうです。
そして多くの高校球児(過去に大会に出場した人も含め)が戦争の犠牲になりました。
ある年の新聞社の方の夏の甲子園の抽選会での挨拶の中に終戦記念日にされる正午のの一分間の黙祷に
ついて話が心に残りました。
「正午の黙祷はただ戦争による犠牲者の冥福を祈るだけではありません。
多くの高校球児の冥福と、今現在この大会が無事行えるようになった『平和の世の中』がずっと続きま
すようにと祈るため。もあるのです。」と話をされていたのです。
これからもこの悲しい4回の大会の回数のずれはずっと消えることなく続いていきます。
数年前亡くなったたおばあちゃん女優として多くの人に愛されたの『原 ひさこ』さんは自分の誕生日が
広島に原爆が投下された日8月6日であることに大変胸を痛め、戦争が終わってからは、誕生日の祝いは
せずに『すいとん』を食べて心静かに祈っていらしたということを、亡くなったときのテレビ番組で知
りました。
コブクロの歌の中には「この指とまれ!」という平和を願う曲があります。
数年前まで毎年開かれていた『風に吹かれて』という野外ライブ。このタイトルはボブディランが20歳の時にベトナム戦争を嘆い
て作られた♪Blowin’ in the wind♪という作品の日本語タイトルから来ているいるそうです。
『風に吹かれて』は反戦コンサートではないけれどの裏メッセージには平和=みんなの幸せという願い
が込められているそうです。(以前のドットコムのコラムのセッキーさんの書き込み参照)
自由に歌が歌え、自由に好きな音楽が聴ける。それだけでもすごく幸せなことなんですよね。
終戦記念日に私は毎年子供が聞いているかどうかわからないけど、甲子園の黙祷が近づくとこんな話を
勝手に聞かせています。
そして。
私が決めてことは毎年家にいたら水団(すいとん)を作って食べてみることです。
(今年はすいとんじゃなくオムライスになってしまいました)
戦時中は水団(すいとん)は出汁(だし)もとらず、野菜を入れて煮て小麦粉にお水を入れて練ってそ
れをお汁に落として、水で薄めて大事に使っていた自家製のお醤油でほんの少し味付けをしただけのも
のだったそうです。
今食べたらきっとおいしくない味だったと母が教えてくれました。
※お米は戦地に提供されていたので変わりに小麦を作って代用食にしていたと母が教えてくれました。
水団はまずいもの。というイメージがあったのですが昨年作った水団はこれが結構おいしくて子供にも
好評でした。
戦争について何か考えてみる。おじいちゃんやおばあちゃんに戦争のことを聞いてみる。
それだけでも十分良いんじゃないかなあと思った日でした。
ちょっと硬い話を読んでくださってありがとうございました。
甲子園の歴史のことなど自分で調べました。
あやふやになってはいけないので過去の自分の書き込みを参考に書きました。
※追伸
最近気になっている曲
NHKでよく流れる復興ソング『花は咲く』
岩井俊二さんという方が作詞をされています。
出演者の方がガーベラを持ってうたわれています。
津波で妹さんをなくされた生島ヒロシさんの真っ白なガーベラが悲しいです。
この歌詞ができたきっけに岩井さんのところに届いた若い女性からの一通のメールにあるそうです。
『探したい人がいる、会いたい人がいる、恥ずかしいから匿名で探そうかな』
というようなメールだったそうです。
亡くなった方にはきっと数えきれないほどの思い出やエピソードがあったのではないか。その未来が断ち切られてしまった。
この花は咲くという歌詞は、亡くなった方からの視線、というか気持ちを代弁して書かれている部分もあるそうです。
ぜひ聴いてみてください。
追伸その2
夜にすいとんを作りました。
「おかあさん、すいとんはまずく作らんといけんのんよ。味いちもんめにそういう話が合ったよ」と二男が言いました。
キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、油揚げ、小麦粉で作った、すいとんで酒と薄口しょうゆだけで味付けをしました。
すごくおいしくできてしまいました。汗
隊長(何!待ち伏せか!塚原中尉!敵機は何機だ!)
(9機以上はいるかと思います。自分に考えがあります!この高度で飛行するレーダーに発見されるだけではなく、援護機による攻撃が予想されます!敵機の距離はかなり遠くではありますが、こちらの存在に気づいていると思われます。今のうちに急降下し低空飛行すべきです!低空飛行であれば敵のレーダーに気づかれることもなく特攻作戦が成功します。
(塚原翔太中尉)ー戦死ー
昭和20年8月3日、沖縄上空にて戦死
読んでいただいてありがとうございました。