私はコブクロと同じくらいに森山直太朗さんのことが大好きな時期がありました。
直太朗さんの存在を知ったのは2002年年12月6日。NHKスタジオパークからこんにちはの、金曜日のコーナー「スタジオDEライブ」に出演された時のことでした。
そのとき何を歌われていたのか、森山良子さんの息子さんと紹介されたのかははっきり覚えていないのですがUPテンポの「星屑のセレナーデ」といっぺん変わって、
最後の曲として歌われた「さくら」・・・。これがすばらしかったのです。
もちろんコブクロの「桜」も大好きだったのですが、すばらしい歌があるんだな~って感動しました。その翌年、「さくら」が120万枚を超える大ヒットにつながったときは、やっぱりいい曲は多くの人の心に届くんだな~と実感しました。
そして先日、直太朗さんが、NHKの「スタジオパークからこんにちは」にゲスト出演されていたとき偶然、見ることができました。(朝ドラ主題歌の関係だと思います)
その中で、2002年に初出演の時歌われた「さくら」が多くの人の心を打ったという話になり
そのときの映像も少し流れました。
その放送を見ていたある福島県在住の女性の番組宛の手紙があまりにも大切な内容だったので、スタッフがすぐに直太朗さんに届けられ、翌年桜前線とともに全国北上ライブをしていた直太朗さんはずっとこの手紙を大事に持って回られたそうです。
この手紙が本当にすばらしくご本人の許可を得て、テレビでも黒田アナウンサーが涙をこらえて紹介してくださいました。
見られなかった人にも「みさとさん」というこの方の娘さんが実際に力強く生きてきた足跡を感じていただけたらと思い、テレビで紹介された手紙をここで紹介させていただきたいと思います。
~福島県在住の方が 森山直太朗さんにあてた手紙~
「スタジオパークに出演されていた森山直太朗さんの澄んだ歌声に
心が洗われる思いでした。
実はそのとき披露された「さくら」を聴きながら、共にに見ていた
主人と涙があふれて仕方ありませんでした。
その歌詞は、新しい道を歩んでいく希望に満ちた者たちへの応援歌なのでしょう・・。けれど私たちには2002年年3月に亡くなった娘への想いが重なり、森山
さんが、コンセプトとして持っていたであろうものとは別の思い入れをもって
この曲を聴くようになりました。
娘「みさと」は小学6年生なかばに病に冒され、科学治療にも、度重なる手術にも堪え、
一年後、摘出したがん細胞は100パーセント死滅。まず再発の心配はないだろう、とのお墨付きをもらって退院しました。
しかしその喜びも8ヵ月半という短い期間でした。
再発、転移、手術、再々発、再手術。・・それでも娘はしっかり前を向いて
生きました。
中学卒業、高校受験も果たしました。
咳き込みながらも5教科の学科試験をやり遂げ、次の日は面接試験。
悪魔は声帯をも押しつぶし、声なき声で面接官の質問にも答えた娘です。
がんばりました・・・・・・・・・・・・・・。
その日の午後でした。
家族みんなで受験が終わるまで我慢していた映画を見に行きました。
その途中でした・・・・・。
15歳の春にするべきことをしっかりと成し遂げて、娘は逝ってしまいました。
暖かい春でした。
例年よりも早く咲いた桜はあっという間に散ってしまいました。
戒名にも「桜」の字が使われています。
きれいだけれども、なんとなくはかない名前です。
記録を残したわけでもなく、優れた詩や絵を残したわけでもなく、しかしとても強く生きた娘でした。
しかしその生き方はあまりにもドラマチックでした。
「さくら」を聴く度、そんな想いになることを、森山さんにお許しいただければ幸いです。」
直太朗さんも泣いているし、手紙を読んだ黒田アナウンサーは、震える声で声が詰まりそうになりながらもしっかりと読まれました。
何回も何回も同じ歌を唄いつ続けていると、時折誰に歌っているのか、その対象がわからなくなるそうです。この手紙はそんな時いつも心をゼロにしてくれて、きちっと歌わなければ。と前を向かせてくれていたそうです。
コブクロの「桜」もいつも自分の立ち位置を教えてくれる曲。と言われていました。「桜とさくら」「手紙」「太陽」と同じタイトルの曲を持っている、直太朗さんと
コブクロ。不思議な共通点をまた見つけたような気がしました。
直太朗さんが出演されるということでまた、あのお手紙を下さった福島県の女性から、お手紙が来ていました。娘さんは生きていらっしゃったら、今年19歳だそうです。直太朗さんが主題歌を歌われている「風のハルカ」を見ながら主人公ハルカに娘さんの姿を重ねてみていらっしゃるようです。「出会った人もあまりにも少なく恋愛など知らず逝った娘ですが、このような機会をいただき、直太朗さんをはじめ多くの方に「みさと」を知っていただくことができました。皆さんの心の中にみさとを生かせていただければ幸いです。今年も娘の旅立った日には同級生が集まってくれます。久々に友達に囲まれ楽しそうに笑っているみさとに会えるような気がします。
そのときには私も直太朗さんのうたが笑顔で聴けるようになっているかしら・・・。」
出会った方があまりにも少なく経験したことも少ないと、悲しんでおられ、みさとさんのことを知っていただいた方の心のどこかに生かしていただいたらうれしいということでしたし、短かったけれど力強く生き抜いたみさとさんを知っていただきたくて紹介させていただきました。(番組ではお名前も公表されていました。)
私はこの放送を見て涙が止まらなくなってしまいました。また直太朗さんのさくらを聴きたくなりました。
また一層「桜」と「さくら」が特別な曲になった気がします。
直太朗さんの存在を知ったのは2002年年12月6日。NHKスタジオパークからこんにちはの、金曜日のコーナー「スタジオDEライブ」に出演された時のことでした。
そのとき何を歌われていたのか、森山良子さんの息子さんと紹介されたのかははっきり覚えていないのですがUPテンポの「星屑のセレナーデ」といっぺん変わって、
最後の曲として歌われた「さくら」・・・。これがすばらしかったのです。
もちろんコブクロの「桜」も大好きだったのですが、すばらしい歌があるんだな~って感動しました。その翌年、「さくら」が120万枚を超える大ヒットにつながったときは、やっぱりいい曲は多くの人の心に届くんだな~と実感しました。
そして先日、直太朗さんが、NHKの「スタジオパークからこんにちは」にゲスト出演されていたとき偶然、見ることができました。(朝ドラ主題歌の関係だと思います)
その中で、2002年に初出演の時歌われた「さくら」が多くの人の心を打ったという話になり
そのときの映像も少し流れました。
その放送を見ていたある福島県在住の女性の番組宛の手紙があまりにも大切な内容だったので、スタッフがすぐに直太朗さんに届けられ、翌年桜前線とともに全国北上ライブをしていた直太朗さんはずっとこの手紙を大事に持って回られたそうです。
この手紙が本当にすばらしくご本人の許可を得て、テレビでも黒田アナウンサーが涙をこらえて紹介してくださいました。
見られなかった人にも「みさとさん」というこの方の娘さんが実際に力強く生きてきた足跡を感じていただけたらと思い、テレビで紹介された手紙をここで紹介させていただきたいと思います。
~福島県在住の方が 森山直太朗さんにあてた手紙~
「スタジオパークに出演されていた森山直太朗さんの澄んだ歌声に
心が洗われる思いでした。
実はそのとき披露された「さくら」を聴きながら、共にに見ていた
主人と涙があふれて仕方ありませんでした。
その歌詞は、新しい道を歩んでいく希望に満ちた者たちへの応援歌なのでしょう・・。けれど私たちには2002年年3月に亡くなった娘への想いが重なり、森山
さんが、コンセプトとして持っていたであろうものとは別の思い入れをもって
この曲を聴くようになりました。
娘「みさと」は小学6年生なかばに病に冒され、科学治療にも、度重なる手術にも堪え、
一年後、摘出したがん細胞は100パーセント死滅。まず再発の心配はないだろう、とのお墨付きをもらって退院しました。
しかしその喜びも8ヵ月半という短い期間でした。
再発、転移、手術、再々発、再手術。・・それでも娘はしっかり前を向いて
生きました。
中学卒業、高校受験も果たしました。
咳き込みながらも5教科の学科試験をやり遂げ、次の日は面接試験。
悪魔は声帯をも押しつぶし、声なき声で面接官の質問にも答えた娘です。
がんばりました・・・・・・・・・・・・・・。
その日の午後でした。
家族みんなで受験が終わるまで我慢していた映画を見に行きました。
その途中でした・・・・・。
15歳の春にするべきことをしっかりと成し遂げて、娘は逝ってしまいました。
暖かい春でした。
例年よりも早く咲いた桜はあっという間に散ってしまいました。
戒名にも「桜」の字が使われています。
きれいだけれども、なんとなくはかない名前です。
記録を残したわけでもなく、優れた詩や絵を残したわけでもなく、しかしとても強く生きた娘でした。
しかしその生き方はあまりにもドラマチックでした。
「さくら」を聴く度、そんな想いになることを、森山さんにお許しいただければ幸いです。」
直太朗さんも泣いているし、手紙を読んだ黒田アナウンサーは、震える声で声が詰まりそうになりながらもしっかりと読まれました。
何回も何回も同じ歌を唄いつ続けていると、時折誰に歌っているのか、その対象がわからなくなるそうです。この手紙はそんな時いつも心をゼロにしてくれて、きちっと歌わなければ。と前を向かせてくれていたそうです。
コブクロの「桜」もいつも自分の立ち位置を教えてくれる曲。と言われていました。「桜とさくら」「手紙」「太陽」と同じタイトルの曲を持っている、直太朗さんと
コブクロ。不思議な共通点をまた見つけたような気がしました。
直太朗さんが出演されるということでまた、あのお手紙を下さった福島県の女性から、お手紙が来ていました。娘さんは生きていらっしゃったら、今年19歳だそうです。直太朗さんが主題歌を歌われている「風のハルカ」を見ながら主人公ハルカに娘さんの姿を重ねてみていらっしゃるようです。「出会った人もあまりにも少なく恋愛など知らず逝った娘ですが、このような機会をいただき、直太朗さんをはじめ多くの方に「みさと」を知っていただくことができました。皆さんの心の中にみさとを生かせていただければ幸いです。今年も娘の旅立った日には同級生が集まってくれます。久々に友達に囲まれ楽しそうに笑っているみさとに会えるような気がします。
そのときには私も直太朗さんのうたが笑顔で聴けるようになっているかしら・・・。」
出会った方があまりにも少なく経験したことも少ないと、悲しんでおられ、みさとさんのことを知っていただいた方の心のどこかに生かしていただいたらうれしいということでしたし、短かったけれど力強く生き抜いたみさとさんを知っていただきたくて紹介させていただきました。(番組ではお名前も公表されていました。)
私はこの放送を見て涙が止まらなくなってしまいました。また直太朗さんのさくらを聴きたくなりました。
また一層「桜」と「さくら」が特別な曲になった気がします。
実は、他のアーティストの‘さくら’って、あまり心から耳を傾けて聴いた事がありませんでした・・・
コブクロの‘桜’を知っていたから・・・コブクロのほうが絶対に良いんだから!と反発していたのでしょうね・・・
でも、どなたの曲にも必ず‘意味’や‘想い’があるんですよね?
この書き込みはレスするのは難しいですよね。
できればみさとさんのお母様に読んでいただければ一番よかったのですが・・・。
みさとさんが一人でも多くの人の心に小さく光をともしてくれたとしたらいいなあと思いました。
あの時も泣いちゃいましたが・・ 今も文字として読んで泣いてしまいました。。
どのアーティストの方にも、今の自分をリセットする大切な歌があるんですよねっ。
あの時・・ 「スタジオパーク」を観た私達若い世代には、『命の大切さ』を改めて考えさせられたと思います。。
上手く言葉として書くのは難しいのですが・・・
少しでも、きょうちゃんさんのブログを見て、多くの人が何かを感じ取ってくれればいいですねっ。。
本当・・このブログを みさとさんのご両親に見ていただきたいですねっ。。
きょうちゃんさん・・、みさとさんのお母様の素敵な手紙を書きとめてくださってありがとうございます
難しい内容なのに、コメントくださってありがとうございます。
交流掲示板に書き込みさせていただいたせおか、おとといと、昨日のこの私のブログを訪れて下さった方は今まで出一番多かったです。
この書き込みを読んでくださった方に確かにみさとさんという女の子が力強くいきていた事実を知っていただけたなら、うれしいです。
コブクロのHPから来てくださったのかな?
コメントが増えていたのでうれしかったです。
琴をされているんですね。きっと素敵なんでしょうね。
このお手紙を書いてくださったお母様。
テレビではお名前が紹介されていたので、そのお名前を
入力して検索してみると、たまたまあることで見つかって、
そこのサイトのBBSで、「その手紙を書いたのは私です。」と
みさとさんのことを紹介させてもらった2日後くらいにお母様が見つかりました。
事後承諾になってしまいましたが、みさとさんが力強く生きていらっしゃった琴を一人でも多くの方に知ってもらいたいと思ってブログとコブクロの交流掲示板に紹介させていただいたことをお詫びしました。
読んでいただいていたらうれしいです。
みさとさんがあわせてくれたような気がしてなりませんでした。
琴の演奏がんばってくださいね。
スマイルさんは、スマイルももさんと同じ方ですか?
いつもコブクロラブのブログそしてオフィシャルでの書き込み楽しく拝見させて頂いております。
そうなんですね森山氏のこともお好きだったんですね~私もコブクロと同じくらい森山氏の事が好きです。彼らは学年的には一緒ですよね。
勿論、この日の放送もドキドキしながら見守っていました。その手紙の件はコアなファン(自分でいうなって感じですが・・笑)でも知り得ない事で独自の表現力を持つ森山氏の別の一面を見た日でもありました。
あんまりコブクロ好きで森山氏も気になる(なっていた)方のコメント見かけたことがなかったのでうれしくてレスしてしまいました。失礼しました。
直太朗さん好きなコブファミさん、一人知っています。どこか通じるものがあるんでしょうね。
どちらも言葉を大事にされているところなど。
そうなんですか、ファンの方も初めて聞かれる秘話だったのですね。