12月7日の朝日小学生新聞に「小学生の作文に感動広がる」と題して、広島のゆきのりくんという一年生の作文が紹介されていました。
この作文は朝日新聞社主催、第4回「いつもありがとう」作文コンクールに応募され、3万通を超える応募の中から最優秀賞に輝いた作品だそうです。
ゆきのりくんのお父さんは天婦羅やさんでした。
ゆきのりくんがお店にいくと、空いているはしっこの席に座らせ「ちょっと待っとけよ」とゆきのりくんの大好きなエビの天ぷらを揚げて食べさせてくれたそうです。
お父さんは、ゆきのりくんが3歳だった2007年3月に心臓発作により、突然この世を去られたそうです。
お父さんがお仕事に行くときに毎朝お母さんが玄関で「行ってらっしゃい」と手渡していたお弁当箱。
ゆきのりくんはいつもこの様子をみていて「俊ちゃん(お父さん)が行っちゃうんだ」とちょっと寂しい思いを感じていたそうです。
お父さんがなくなってからこのお弁当箱は「いつか使ってもらえたらいいな」と思い、お母さんは戸棚の奥にしまっていました。
ゆきのりくんは塾に持っていっていたお弁当箱が小さくなってきました。(幼稚園の頃のお弁当箱なのかな?)
お母さんは「お父さんが使っていたお弁当箱ちょっと大きいけど使ってみる?」と戸棚にしまってあったお弁当箱を出してきてくれました。
再びお母さんの美味しいお料理が詰められたそうです。
ゆきのりくんはお父さんと一緒に食べようと、蓋にご飯を乗せてあげたそうです。
その時のことを夏休みの自由課題として、作文コンクールに応募することにしたのです。
ゆきのりくんはいつもお父さんが座っていたダイニングの椅子を仏壇の前に持ってきて遺影のお父さんとお話するように三時間もかけて作文を書いたそうです。
~アサヒコムの記事より一部引用~
今年の夏、今までの弁当箱では量が足りなくなり、大きくしてほしいと恵津子さんにお願いした。お父さんが使っていた弁当箱が棚から出てきた。「俊ちゃん(お父さん)のエビの味がする」。その弁当箱でご飯を食べると、そんな気がした。「俊ちゃん(お父さん)の分。一緒に食べたいだろうから」。初めて使った時、ふたにご飯を乗せ、一緒に食べた。 ・・中略。
8月下旬、夢を見た。仏壇の下からお父さんが出てきた。「戻って来てよかったね」。お父さんは「天国におったけど、また来られてよかったよ」と頭をなでてくれた。大好きなプラレールで遊んだ。夢からさめてダイニングに行くと、お父さんのいすはやっぱり空いていた。
「さみしいけれど、ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます」 ・・・・・。 (以上)
この作文のことがネットで有名になり、ゆきのりくんの作文が読めるアサヒコムのサイトのアクセス数が大変な数になったそうです。
ゆきのりくんのかわいい、そして勇気ある作文を読み、涙し、暖かい優しい気持ちになっているかたが増えているそうです。
「お父さんのおべんとうばこ」で検索するとアサヒコムのサイトが出てきますので、是非かわいいゆきのりくんと素敵なお弁当箱の写真にあってみてください。
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201011300226.html です。
速報
「今年の漢字」
「暑」
でした。
ほんとに暑かったですよね。
この作文は朝日新聞社主催、第4回「いつもありがとう」作文コンクールに応募され、3万通を超える応募の中から最優秀賞に輝いた作品だそうです。
ゆきのりくんのお父さんは天婦羅やさんでした。
ゆきのりくんがお店にいくと、空いているはしっこの席に座らせ「ちょっと待っとけよ」とゆきのりくんの大好きなエビの天ぷらを揚げて食べさせてくれたそうです。
お父さんは、ゆきのりくんが3歳だった2007年3月に心臓発作により、突然この世を去られたそうです。
お父さんがお仕事に行くときに毎朝お母さんが玄関で「行ってらっしゃい」と手渡していたお弁当箱。
ゆきのりくんはいつもこの様子をみていて「俊ちゃん(お父さん)が行っちゃうんだ」とちょっと寂しい思いを感じていたそうです。
お父さんがなくなってからこのお弁当箱は「いつか使ってもらえたらいいな」と思い、お母さんは戸棚の奥にしまっていました。
ゆきのりくんは塾に持っていっていたお弁当箱が小さくなってきました。(幼稚園の頃のお弁当箱なのかな?)
お母さんは「お父さんが使っていたお弁当箱ちょっと大きいけど使ってみる?」と戸棚にしまってあったお弁当箱を出してきてくれました。
再びお母さんの美味しいお料理が詰められたそうです。
ゆきのりくんはお父さんと一緒に食べようと、蓋にご飯を乗せてあげたそうです。
その時のことを夏休みの自由課題として、作文コンクールに応募することにしたのです。
ゆきのりくんはいつもお父さんが座っていたダイニングの椅子を仏壇の前に持ってきて遺影のお父さんとお話するように三時間もかけて作文を書いたそうです。
~アサヒコムの記事より一部引用~
今年の夏、今までの弁当箱では量が足りなくなり、大きくしてほしいと恵津子さんにお願いした。お父さんが使っていた弁当箱が棚から出てきた。「俊ちゃん(お父さん)のエビの味がする」。その弁当箱でご飯を食べると、そんな気がした。「俊ちゃん(お父さん)の分。一緒に食べたいだろうから」。初めて使った時、ふたにご飯を乗せ、一緒に食べた。 ・・中略。
8月下旬、夢を見た。仏壇の下からお父さんが出てきた。「戻って来てよかったね」。お父さんは「天国におったけど、また来られてよかったよ」と頭をなでてくれた。大好きなプラレールで遊んだ。夢からさめてダイニングに行くと、お父さんのいすはやっぱり空いていた。
「さみしいけれど、ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます」 ・・・・・。 (以上)
この作文のことがネットで有名になり、ゆきのりくんの作文が読めるアサヒコムのサイトのアクセス数が大変な数になったそうです。
ゆきのりくんのかわいい、そして勇気ある作文を読み、涙し、暖かい優しい気持ちになっているかたが増えているそうです。
「お父さんのおべんとうばこ」で検索するとアサヒコムのサイトが出てきますので、是非かわいいゆきのりくんと素敵なお弁当箱の写真にあってみてください。
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201011300226.html です。
速報
「今年の漢字」
「暑」
でした。
ほんとに暑かったですよね。
それにしても、お父さん、どんなに心残りだったことでしょう・・・
読んでくださってありがとうございました。