今朝の福島での地震びっくりしました。
鳴り続ける警報
テレビから呼びかける避難
東日本大震災のことがよみがえりました。
津波一メートルで100セントのかたがなくなるおそれがありますって、専門家の方がいわれてました。
すぐに避難をされた方々の行動をほめておられました。
今日は2000年の11月22日。初めてコブクロのことを知った記念日です。
過去の自分の記事に来てもらいます。
良かったら読んでみてくださいね。
11月7日はは筑紫哲也さんの命日です。
当時携帯のフラッシュニュースで突然、訃報を知らせる文字が流れてきて目を疑いました。
すぐにオフィシャルの交流掲示板に筑紫さんの追悼の記事を書き込みをさせていただきました・・・。
肺癌と闘病中でいつかNEWS23に復帰されると思っていました。
番組名にはずっと筑紫哲也のNEWS23となっていたような気がします。
筑紫さん。私はあなたがいなかったらコブクロに出会うのがずっとずっと後になっていたと思います。
2000年11月22日のNEWS23で関西の放送で好評だったということで、筑紫さんがコブクロのことを取り上げてくださったのです。
私は何気なくテレビをつけていて「こぶくろ」
名前の由来は二人の名前、小渕と黒田からきている・・。と紹介され、へーそうなんだ。面白いなあと思いました。そして、小渕という苗字が元総理大臣の小渕おぶち)恵三さんと同じ字ということで心に残りました。
不思議と黒田さんがとっても背が高くて小渕さんとの背の高さが違ってデコボコしていること、どんなお顔をされていたか・・などほとんど記憶に残っていません。
ただ関西でストリートをしていてあまりにも人が集まりすぎて、しょっちゅう警察の人に怒られ、なかなかストリートライブができにくくなってきているという風に紹介されていました。
京橋の歩道橋があまりにも人が集まりすぎて折れるんじゃないかって思ったことなど。
ある教会での50人ライブをしている様子が流れていました。
初めての方がほとんどなので何を歌うか曲順を練っている二人。
太陽を歌われていたような。
ナレーターの言葉が残っています。
「コブクロの魅力の一つにその歌詞の素晴らしさにあります・・」と桜の歌詞が唄のバックにテロップで流れました。
その曲がどんなメロディーだったのか全く覚えていなかったのですが、その歌詞がその時の私の心境にぽっかりはまって涙がスーッと流れてきました。
がんばれとかいう歌詞があるわけじゃないのに、背中をそっとなぜられたような気がしました。
その頃3人目の子供がおなかにいて、少し前近所の医院で看護師さんを募集しているよ、やってみない?と友人に誘われていて、自転車でその医院を見に行き、もう一度、白衣に身を包みキャップをつけた自分を想像して少しウキウキしていました。
面接を受けようとする前に妊娠がわかりました。
うれしくなかったわけではないけど、なんか社会からしばらくの間置いて行かれるような・・・そんな寂しさを感じている複雑な心境でした。
「桜」は大丈夫、今のままでいいんだよ。今までやってきたことで大丈夫って、今から思えばYELL ~エール~の歌詞のような見えないエールをもらったような気がしました。
筑紫さんはおっしゃいました。
この二人はある意味今の時代と逆走している。
複雑な音を使い録音をされる時代で、ギター一本と声だけ、マイクも使っていない。一度にできるだけ多くの人に聴いてもらおうとする人が多いのに、できるだけ少ない人数でと30人、50人ライブをしている。
歌詞もすごく大切にしている。
面白い。というようなことをおっしゃっていました。
あれからずっとコブクロのことを見守ってこられていたんですね。
2006年10月21日。NEWS23の金曜深夜便に再びコブクロを呼んでくださいました。
残念ながら筑紫さんは大分からの中継でスタジオでの共演は実現しませんでした。
6年前武道館が夢って言われていましたね、ある意味夢がかなったわけですが、
今後の夢はなんですか?」と筑紫さんが質問。
小渕さんが「武道館へ行くと言う夢を周りのスタッフ、応援してきてくれた人たちがずっともち続けてくれていたからだと思います。
その間にであった人たちは、かけがえのないものだったんだなと思います。
僕らが出会って8年。
これまでの8年間は決して簡単ではなかった。
これからの夢はこれからまず8年やり続けていることです。それは一番難しいことであり一番楽しいことでもあると思います。そしてもっと長く歌って行きたいです。」と小渕さんが言われました。
そこへ筑紫さんが。
「今日はそちらへうかがえなくて本当に残念です。正直、(2000年のNEWS23の時)とってもいいなあは思ったけど
まさかここまでブレイクするとは思いませんでした。
こういうとき黒田さんは、いつもうなづいているだけだね。実にいい組み合わせだ」
コブクロのお二人よりもずっとずっとずっと人生の先輩であられるのに、「小渕さん、黒田さん」と呼ばれていることがとても新鮮で、感動をしました。
あー筑紫さんはずっとコブクロをいろんなところで見ておられたんだなーってわかりました。
当時黒田さんは歌番組に出られてもあまりしゃべっていなくて黒田さんのことを無口って思っている方が多かったような気がします。
スタジオでは「風」を。アコースティックで。
秋の夜にしっとりとあう、素敵な選曲でした。
その放送がなぜか一番見ていただきたい人がおられる関西では番組の時間の都合で放送がカットされたんでしたね。
そしてその年の大晦日。NHK紅白歌合戦も「風」を歌われました。
筑紫さん、コブクロに出会わせてくださってありがとうございました。
天国でいつか会えたら、絶対にお礼を言いたいです。コブクロに光を当ててくださらなかったら会えませんでした。ありがとうございます。と・・。
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鳴り続ける警報
テレビから呼びかける避難
東日本大震災のことがよみがえりました。
津波一メートルで100セントのかたがなくなるおそれがありますって、専門家の方がいわれてました。
すぐに避難をされた方々の行動をほめておられました。
今日は2000年の11月22日。初めてコブクロのことを知った記念日です。
過去の自分の記事に来てもらいます。
良かったら読んでみてくださいね。
11月7日はは筑紫哲也さんの命日です。
当時携帯のフラッシュニュースで突然、訃報を知らせる文字が流れてきて目を疑いました。
すぐにオフィシャルの交流掲示板に筑紫さんの追悼の記事を書き込みをさせていただきました・・・。
肺癌と闘病中でいつかNEWS23に復帰されると思っていました。
番組名にはずっと筑紫哲也のNEWS23となっていたような気がします。
筑紫さん。私はあなたがいなかったらコブクロに出会うのがずっとずっと後になっていたと思います。
2000年11月22日のNEWS23で関西の放送で好評だったということで、筑紫さんがコブクロのことを取り上げてくださったのです。
私は何気なくテレビをつけていて「こぶくろ」
名前の由来は二人の名前、小渕と黒田からきている・・。と紹介され、へーそうなんだ。面白いなあと思いました。そして、小渕という苗字が元総理大臣の小渕おぶち)恵三さんと同じ字ということで心に残りました。
不思議と黒田さんがとっても背が高くて小渕さんとの背の高さが違ってデコボコしていること、どんなお顔をされていたか・・などほとんど記憶に残っていません。
ただ関西でストリートをしていてあまりにも人が集まりすぎて、しょっちゅう警察の人に怒られ、なかなかストリートライブができにくくなってきているという風に紹介されていました。
京橋の歩道橋があまりにも人が集まりすぎて折れるんじゃないかって思ったことなど。
ある教会での50人ライブをしている様子が流れていました。
初めての方がほとんどなので何を歌うか曲順を練っている二人。
太陽を歌われていたような。
ナレーターの言葉が残っています。
「コブクロの魅力の一つにその歌詞の素晴らしさにあります・・」と桜の歌詞が唄のバックにテロップで流れました。
その曲がどんなメロディーだったのか全く覚えていなかったのですが、その歌詞がその時の私の心境にぽっかりはまって涙がスーッと流れてきました。
がんばれとかいう歌詞があるわけじゃないのに、背中をそっとなぜられたような気がしました。
その頃3人目の子供がおなかにいて、少し前近所の医院で看護師さんを募集しているよ、やってみない?と友人に誘われていて、自転車でその医院を見に行き、もう一度、白衣に身を包みキャップをつけた自分を想像して少しウキウキしていました。
面接を受けようとする前に妊娠がわかりました。
うれしくなかったわけではないけど、なんか社会からしばらくの間置いて行かれるような・・・そんな寂しさを感じている複雑な心境でした。
「桜」は大丈夫、今のままでいいんだよ。今までやってきたことで大丈夫って、今から思えばYELL ~エール~の歌詞のような見えないエールをもらったような気がしました。
筑紫さんはおっしゃいました。
この二人はある意味今の時代と逆走している。
複雑な音を使い録音をされる時代で、ギター一本と声だけ、マイクも使っていない。一度にできるだけ多くの人に聴いてもらおうとする人が多いのに、できるだけ少ない人数でと30人、50人ライブをしている。
歌詞もすごく大切にしている。
面白い。というようなことをおっしゃっていました。
あれからずっとコブクロのことを見守ってこられていたんですね。
2006年10月21日。NEWS23の金曜深夜便に再びコブクロを呼んでくださいました。
残念ながら筑紫さんは大分からの中継でスタジオでの共演は実現しませんでした。
6年前武道館が夢って言われていましたね、ある意味夢がかなったわけですが、
今後の夢はなんですか?」と筑紫さんが質問。
小渕さんが「武道館へ行くと言う夢を周りのスタッフ、応援してきてくれた人たちがずっともち続けてくれていたからだと思います。
その間にであった人たちは、かけがえのないものだったんだなと思います。
僕らが出会って8年。
これまでの8年間は決して簡単ではなかった。
これからの夢はこれからまず8年やり続けていることです。それは一番難しいことであり一番楽しいことでもあると思います。そしてもっと長く歌って行きたいです。」と小渕さんが言われました。
そこへ筑紫さんが。
「今日はそちらへうかがえなくて本当に残念です。正直、(2000年のNEWS23の時)とってもいいなあは思ったけど
まさかここまでブレイクするとは思いませんでした。
こういうとき黒田さんは、いつもうなづいているだけだね。実にいい組み合わせだ」
コブクロのお二人よりもずっとずっとずっと人生の先輩であられるのに、「小渕さん、黒田さん」と呼ばれていることがとても新鮮で、感動をしました。
あー筑紫さんはずっとコブクロをいろんなところで見ておられたんだなーってわかりました。
当時黒田さんは歌番組に出られてもあまりしゃべっていなくて黒田さんのことを無口って思っている方が多かったような気がします。
スタジオでは「風」を。アコースティックで。
秋の夜にしっとりとあう、素敵な選曲でした。
その放送がなぜか一番見ていただきたい人がおられる関西では番組の時間の都合で放送がカットされたんでしたね。
そしてその年の大晦日。NHK紅白歌合戦も「風」を歌われました。
筑紫さん、コブクロに出会わせてくださってありがとうございました。
天国でいつか会えたら、絶対にお礼を言いたいです。コブクロに光を当ててくださらなかったら会えませんでした。ありがとうございます。と・・。
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