るるの日記

なんでも書きます

昭和20年9月17日 台風は 17日夜半九州南部に達するみこみ

2020-10-03 15:13:40 | 日記
翌17日、広島では、降り方は強くないが雨足に切れ目がなくなってきた。

午前8時 午前6時の天気図作成
台風の位置は昨日より確実に北上。移動状況から判断すると、台風は四国へは行かず、九州南部に真っ直ぐ進んでくることは確実。速度は速まっているように見えた

中央気象台は新たな予想として、17日夜半頃九州南部に達する見込みという発表をしており、上陸予想時刻をかなり早くしていた

そうなると広島地方も、今夜から荒れだし、18日朝には暴風雨になることも覚悟しなければならない

秋の台風は迷走しないで直接やってくる。この長雨に台風がまともにやってくれば洪水。気圧はわずかずつ下がり始めている。台風が九州南方にいるうちから雨が強まっている。雨が心配。白井技手は尾崎技師に相談

尾崎は気象特報を出したいという白井の申し出を認めた

広島管区気象台は17日午前10時に「台風接近にともない今夜から風雨強くなるべし」という気象特報を出した。同時に鉄道機関に対する鉄道警報を発令した

発令したといっても、関係機関に直ちに電話で通報したり、ラジオで住民に知らせたりする体制ができていたわけではない。気象台の電話回線はいぜんとして復旧していなかった

昭和20年9月16日 枕崎台風 18日朝方九州または四国に上陸の予報

2020-10-03 14:47:24 | 日記
広島管区気象台(広島地方気象台から昇進)が九州南方から西日本に接近しつつある大型台風について中央気象台から注意を促されたのは昭和20年9月16日午前10時すぎ。それは台風の進路にあたるおそれのある地方の気象官署すべて同時に知らされた

当時の台風情報は、ずばり一本の線で進路を予想していた。よく外れたが、うまく当たることもあった。

台風は18日朝頃九州または四国に上陸するおそれがある。当然西日本のどこかが、台風の直撃を受けることになるが、台風がかなり大きそうなので、どこへ上陸するにせよ、西日本一帯は警戒の必要があり、広島も暴風雨を予想しなければならない

広島気象台では台長は上京中、台長代理は帰省中、主任は病欠のまま音沙汰なし、技術主任は実家に預けていた妻子を引き取りに行って留守、、という状態であった。それでも留守を預かった若手の台員たちは意気盛んだった「お偉いさんが誰もいなくても、俺たちだけで迎えうってやるさ」「どんと、来いだ」めいめい勝手なことを言いあった

原爆症と免疫力

2020-10-03 14:14:55 | 日記
広島地方気象台の建物の中にいて直接原子爆弾の放射能をあびなかった者が原爆症に冒されたのは、被爆直後市内を歩き回って、大量の残留放射能にさらされたり、放射能をあびたチリを吸い込んだりしたためだったのだが、当時の医学的知識ではそこまで解明することはできなかった。広島ではそれを原爆症と知らずに死んでいった被爆者が多かった。死なないまでも、発病した者は病名も治療法もわからぬまま、長期間にわたって苦しみ抜かなければならなかった。

もっとも同じように市内を歩き回って、同じように残留放射能の影響を受けても、人によって原爆症になったりならなかったりの差があった。

その差の原因ははっきりしないが、気象台の台員の場合、年長者がバタバタとやられたのに対し、若くて体力のある者は原爆症の兆候すら見せなかった。抵抗力の強弱、年齢の活力の差が微妙なところで発病するか、しないかを分けたのかもしれない。

昭和20年・中央気象台と地方気象台の格差

2020-10-03 13:52:34 | 日記
中央気象台の場合、地方気象台との地位の格差があまりにも大きかった。

中央気象台の幹部は大学出や養成所本科出のエリートを中心とする、あたわば貴族集団であったのに対して、地方気象台や測候所の職員はとにかく定時の観測を中央に送ることを守り抜かねばならぬ歩兵集団であった。

貴族集団は歩兵集団の誠実な働きの上に成り立っているのだが、さりとて歩兵集団の一部に困難な事態が発生しても、それに敏感に反応して何らかの手を差しのべるという発想はしない

中央にとって一地方のデータが入るかどうかは「多数の中の一つ」に過ぎない事柄なのに対し、地方気象台や測候所にとってデータを送れるかどうかは絶えず「全てか0か」の問題である。

結局、中央は地方に無限の奉仕を求めるが、決して地方に対しては無限の奉仕はしない。時には切り捨てることさえある。

中央気象台は広島地方気象台のデータが入電しなくなったことを気にはしたが、広島の原子爆弾被災に対する判断が甘かった、、というよりは、時代そのものの論理なのだった。この論理に中央も地方も誰も疑いを持たない時代なのだった

たとえ広島気象台が新型爆弾でやられたとしても、、、

2020-10-03 13:35:32 | 日記
広島地方気象台は苦しい事態に置かれているにもかかわらず、中央気象台からは何の連絡もない。「俺たちは見捨てられたんじゃ」台員の間にはこんな捨て台詞も聞かれた。

中央気象台は決して広島を見捨てた訳ではない。広島気象台の被災状況については、気象電報がバッタリ途絶えてしまったために把握しかねていたし、たとえ広島の気象台が新型爆弾によってやられたとしても、それは当面広島地方気象台長の指揮の下に応急の対策をとるべきものである、というのが暗黙の建て前になっていた。第一国策自体が、本土決戦に備えて、敵による分断があっても、地方ごとに独立して抗戦を続行するような体制作りをしていたのであった