るるの日記

なんでも書きます

真如・本質は変わらず、縁により変わる

2020-10-16 14:31:43 | 日記
真如とは、中道・法性・実相・生命など、真如の体勢は永遠に変わらないが、縁に従って種種の相を起こす。これを随縁真如の智という
変わらない性を不変真如の理という

●天の月の実体は不変真如
雲によって相の変わる月は随縁真如
●火は照らすは随縁真如
焼くは不変真如
●我々の生命は不変真如
染浄の二法で変わる生命は随縁真如

染浄の二法は一理である

2020-10-16 14:13:48 | 日記
我々の生命は、即一念三千の妙法でかるが、染浄の二法によって、それぞれ幸・不幸を現出する

生命の染法とは、悪縁によって汚れた生命の状態。薫じて迷いとなる。迷いは衆生
生命の浄法とは、善縁によって清浄な生命の状態。薫じて悟りとなる。悟りは仏界

この迷悟の二法は、二といえども、法性真如の一理である


常楽我浄

2020-10-16 13:55:53 | 日記
一切の生命は常住の実在
現世は清らかな楽土
永遠の生命を覚知し、絶対の幸福生活を営むことができる

【常】とは無常に対し永遠の意味で、生命は永遠に連続して不滅であること

【楽】とは苦に対し、人生は楽しむためにあり、娑婆世界は楽土であること。また苦を明らかに見つめ、それを涅槃菩提の楽とすること

【我】とは無我に対し、生命の本質をいい、仏が我が宇宙に満ちていること

【浄】とは空(不浄)に対し、清らかの意味。染法を離れ浄法であって、身も国土も清浄な存在をいう

釈尊は当時のインドの社会が現世主義、享楽主義であるのを見て、この世は苦であり、空であり、無常であり、無我であると説いた

そしてこのような苦・空・無常・無我の世を捨て、出家して道を求めよと説いた

しかし釈尊出世の本懐なる法華経には、【常楽我浄】と説いて、この世は、我も人も国土も、常住の実在であり、清く楽しいものであると顕した

諸菩薩は常楽我浄の風にそよめき
娯楽快楽しているよ☺️



諸根の清浄を得て煩悩即菩提となる

2020-10-16 12:59:27 | 日記
煩悩とは、三惑等が心を煩わし身を悩ますことを言う。人生・生活における悩み、苦しみ、不幸である
無明の発達したものである

菩提とは悟りの境地をいい、人生・生活における喜び、楽しみ、幸福である
法性の発展したものである

煩悩を断ぜず、煩悩はそのまま菩提となる。なんでかと言うと煩悩と菩提境地二にして、境地不二であるから、煩悩を断ぜず、五欲を離れず、諸根を清浄することを得て菩提となる

清浄は仏なり