るるの日記

なんでも書きます

観音経 岡本かの子 何よりも観音菩薩を衆生の胸に喚起させることが先決問題

2020-10-21 15:29:55 | 日記
ここで、どうしても疑問が起こってきます。それは「現世の利益、厄除けばかり説いて、それが仏教なのか。快楽主義は外道ではないのか」と言う疑問であります

大乗の教法では、観音菩薩の名によって呼び起こされる生命力自身の偉大な力が、すべてを善導することを、観音菩薩の紹介者たちは深い体験から絶対信じているのです

何をおいても、とにかく観音菩薩を衆生の胸に喚起させればいい。それが先決問題であると同時に終極の目的でもある

後は観音菩薩自身が実際問題に当たって臨機応変に導き下さる。すなわちくどくどしい説明を要しないのであります

観音経 岡本かの子 貧弱な悟る者より強靭な迷える者が使えます

2020-10-21 15:10:51 | 日記
観音菩薩はこの娑婆世界を中心に働く仏神。娑婆世界の住人といえば、惜しい、欲しい、愛されたい、威張りたい等の俗欲が一杯詰まっている凡人です

観音経は、この娑婆世界、現実の人間、現実の生活の位置を少しも動かさず、価値転換を行い理想化しようとする技です。その技を行う観音菩薩は人間に理解が深く、娑婆の現実を親愛していらっしゃいます

凡夫とは人間性が豊かで、良き方に活かされたら、主要な要素となるのです。大乗仏教では貧弱な悟れる者より、強靭な迷える者を有望視しています。よって末法時代はむしろ現実性が濃厚となり、生命のエネルギッシュな時代なのです

岡本かの子 観音経 効果が速い

2020-10-21 14:47:52 | 日記
観音菩薩の功徳は非常に急速に現れるので、一層人々が頼みとするのです。いくら功徳ある仏神でも、その功徳が死んでしまった後とか、何百回、何百日祈り続けた後でなければ、という気の長いのでは躊躇う人もありましょう

観音菩薩の功徳は即時、即処を約束している。経文の偈のところに、いろいろな災害の例を挙げておりますが、いづれも身に迫ったものばかりです

その災害の被害者が「念彼観音力」と唱え念じたその刹那に、災害は消え、また逆に善用されます。間髪いれずであります

足を私
手を宇宙
蜂に刺されるのを災害
チクンと刺された感覚は念彼観音力
即時手が足にとぶは観音菩薩の功徳

岡本かの子 観音経 1 真理とは神秘や奇跡を超越している

2020-10-21 13:49:53 | 日記
観音経には、「多分」「だろう」とぼかした言葉はなく、みな絶対肯定の言葉で結ばれている。それもとても神秘的、奇跡的な事柄を無雑作にはっきり断言している

観音菩薩の名を唱える人は、大火の中に入っても、火も焼くことができないとか、刀で害されようとする時に観音菩薩の名を唱えるならば、振り下ろされた刀は粉々に折れてしまうことが断言されている

観音経の文を、文字通り信じられる人は、どんなに心強さと痛快さをかんじられることでしょう。

物・心一如は仏教二千年前からの道理である。物・心一如ということは、人間も自然もひっくるめて宇宙の存在、一つの生命体だということです

場合によっては精神を物質に融通し、物質を精神化する可能性を認めるのですから、この原理からは経文における奇跡わ神秘も格別不思議なことでもありません

観音菩薩が雨となって現れたら、火は消え、観音菩薩が落電となって落ちたら、刀は折れるに違いありません

仏教の真理は、神秘や奇跡とは関係なく、方便として神秘や奇跡はあってよし、なくても差し支えなく、要はそれらを超越しているのです

立正安国論 9 (るる訳)

2020-10-21 11:45:33 | 日記
帝王は国家を基にして天下を治め、人民は田を領して世上を保つ

しかし他国の賊来て、国を侵略し、その地を略奪すれば、国を失い家を奪われ、いづれの所へか世を逃れるだろう

一身の安堵を思うなら祈れ

世の人々は、後生を恐れ邪教を信じ謗法を尊ぶ。是非に迷うことを嫌だと思えど、尚正しい仏法に帰するも嫌がる

なぜに同じ信じる力を、妄りに邪義を崇めるのか!邪義へのその執着心ひるがえらず、曲意なお存在するならば、必ず無間地獄に堕ちる

広き経文を引くと、専ら謗法を重んじている。悲しいかな皆正法の門を出て、深く邪法の地獄に入る。愚かなるかな。悪教の綱にかかって邪な謗法の教えの網にまつわり、濃霧の迷いの底に沈み愁い、苦しむ

早く信仰の寸心を改めて、速く実乗の一に帰せよ。そうすれば世界は皆仏国土と成り、十方はことごとく宝土。身は安全、心は禅定となる