昭和初年「観測精神」を様々な形で鼓吹したのは岡田武松であるが、気象技術者の使命感として、台風などの非常時において正確な観測を続けることの重要なことは明治時代から言われていた。
さらに大正時代になると広島測候所長・中村勝次は「広島気候の歌」という歌を「天の啓示をかしこみて、己の業務(つとめ)にいそしまん」と結び、使命感を強調している
岡田武松は昭和8年に書いた「測候き談」の中で観測精神を次のようにのべた「気象観測は、晴雨計や寒暖計なぞの示度を定刻に読み取って製表すれば良いのだ、なぞと考えていたら大いなる誤解だ。勿論それも気象観測の一部分ではあるが、ほんの一部分である。測器には表れない気象要素も多々あり、気象顕象も甚だ多い。それに気象全体の模様なぞは決して測器には出てこない。これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けておくより方法はない、、」
岡田はさらに観測精神とは一体何かということを説明している
「これは自然に判るという以外に説明のしようがないが、用意周到、時間厳守などはその精神の表れであるが、刻々と変わりゆく気象に対し、その真相を見逃すまいという真剣味が、この精神の核心であると思う。この真剣味で観測に従事する時は、一点の邪念がなく、一片の俗心が沸き得ないことは、神殿に詣でるときと、少しも異ならない、、この真剣味の入っていない観測は、全く一場のお芝居である。この精神は気象観測そのもののみに必要であるのではない。処世のどの方面にも、仕事のどの部分にも役立つ」