るるの日記

なんでも書きます

空白の天気図

2020-10-07 13:55:18 | 日記
すごく面白い本でした。

今まで関心がなかった気象庁や気象台の仕事にも興味がわいてきた。これからも、気象庁ホームページやWikipediaで気象関係を調べて勉強したい!

昭和20年8月6日原爆投下と広島に降った黒い雨はもちろん、9月17日の台風による広島の山津波はつながっていて人災という事件である




柳田邦男の観測精神

2020-10-07 13:40:00 | 日記
観測の観は、虚心に自然を見ていると、現象の本質がまざまざと見えてくることであろう。
虚心とは赤子の心ではなく、成心を去るということであって、人それぞれの学問や知識によってちがう。
子供の心ということであるなら、子供の方がいつも自然をよく見ていることになるから、学問など全く無用になってしまう。

現象の本質というのは、そこに見えてきた一種の帰納的な、動かしがたい結論のようなものだろう。莫大な資料を次々と書き記し、吟味しているうちに、突然歴史の一コマが主観を越えて浮かび上がってくる。そこをとらえて柳田氏かこの作品を作り上げたのなら、それは観測精神の見事な成果である

神殿に詣ずるがごとく観測し、天の啓示をかしこみて、己の業務に勤しむ

2020-10-07 13:26:55 | 日記
昭和初年「観測精神」を様々な形で鼓吹したのは岡田武松であるが、気象技術者の使命感として、台風などの非常時において正確な観測を続けることの重要なことは明治時代から言われていた。

さらに大正時代になると広島測候所長・中村勝次は「広島気候の歌」という歌を「天の啓示をかしこみて、己の業務(つとめ)にいそしまん」と結び、使命感を強調している

岡田武松は昭和8年に書いた「測候き談」の中で観測精神を次のようにのべた「気象観測は、晴雨計や寒暖計なぞの示度を定刻に読み取って製表すれば良いのだ、なぞと考えていたら大いなる誤解だ。勿論それも気象観測の一部分ではあるが、ほんの一部分である。測器には表れない気象要素も多々あり、気象顕象も甚だ多い。それに気象全体の模様なぞは決して測器には出てこない。これらは観測者が絶大の注意を払って観察し、できるだけ詳細に書き付けておくより方法はない、、」

岡田はさらに観測精神とは一体何かということを説明している
「これは自然に判るという以外に説明のしようがないが、用意周到、時間厳守などはその精神の表れであるが、刻々と変わりゆく気象に対し、その真相を見逃すまいという真剣味が、この精神の核心であると思う。この真剣味で観測に従事する時は、一点の邪念がなく、一片の俗心が沸き得ないことは、神殿に詣でるときと、少しも異ならない、、この真剣味の入っていない観測は、全く一場のお芝居である。この精神は気象観測そのもののみに必要であるのではない。処世のどの方面にも、仕事のどの部分にも役立つ」


マル秘文書を保存していた上松清氏

2020-10-07 12:42:22 | 日記
昭和46年
気象庁通信参事官「上松清」は実に貴重な資料を秘蔵していた。

戦時中のマル秘文書や暗号表は、終戦と同時にすべて焼却されたことになっているが、上松氏は重要書類はいつまた参照しなければならない時が来るかも知れず、暗号表は再び作成することは大変だからと、焼却寸前だった文書類の一部を気象台構内に穴を掘って埋め、数年後進駐軍の目がうるさくなくなってから掘り出した。ところがもはや戦前の文書など公的には全く不要な反故になっていたので、個人的に自宅に保存していた

記録する意味

2020-10-07 12:28:43 | 日記
昭和20年、広島地方気象台の台員は、原爆炸裂の真っ只中に身をさらした被爆者でありながら、同時に原爆と台風という二重の災厄を科学の目でしっかりと見つめていた観察者であった。気象台の台員が日々の観察を欠測なく続行するということは、あまりにも当たり前に見えるかもしれないが、それは背広を着た安穏な時代の机上の思考に過ぎない

困難な時代と状況の中で、仕事を守り抜くことはどういうことなのか?そうした職業的意識を支えるものは何なのか?

広島は不思議な力を持つ街である。ジャーナリストが一度そこに足を踏み入れると、その街のために何かを書かなければならないという責任感の虜になるのである。しかしそれは8月6日のことばかりに目を向けてのこと。9月17日のことなど思いも及ばないことだった。

原爆で焦土と化した広島を襲った、情報途絶下の台風災害、、、それは人災などという陳腐な表現を遥かに越えた現代の事件であった。それは昭和20年9月17日の事件であったが、核時代に生きる私たちにとって、いつ何時同じ状況下に置かれるもわからぬ。まさしく現代の危機を象徴する事件であり、昭和20年9月17日を記録する意味もそこにある