天台が法華経と法華経前の経との勝劣を三種の点で明らかにした
■一 根性の融不融の相
法華経以前の経は、衆生の根性が種々に分かれて不同であり、その機根に応じて法が説かれた。声聞・縁覚・菩薩と、その説法はバラバラであった。これは根性の不融である
法華経にくると、衆生の根性が熟して、みな一様になったため、法華一乗の法を聞くに耐えられるようになった。これは根性が円融して、すべて法華経の一仏乗に統合された
そして方便品でまず舎利弗が成仏の記別を、次いで譬喩品で四大声聞が記別を受けるのである
■二 化導の始終不始終の相
仏の弟子に対する化導は、まず仏が弟子に仏種を下すことに始まる。次いでそれを熟させ、ついに得脱させることで化導は終わる
これは化導の始終である
この過程が明かされたのは、法華経化城喩品にて、釈迦牟尼仏は三千塵点劫の昔、大通智勝仏の第十六王子として、父大通智勝仏が説いた法華経を説法した。その法華経を聞いて仏の種子を植えられた者が、いま法華経を聞いて成仏する弟子であると、その化導の始めを説き明かした
そして三千塵点劫の昔に下種した弟子の根性が熟したゆえに、いままたこの世に出現して、四十余年の間教化して調熟し、最後に法華経を説いて得脱させると、今日の化導の始めを明かした
■第三 師弟の遠近不遠近の相
法華経前の経では、仏はその本地を隠して、この世に生まれて初めて菩提樹の下で覚りを得たと説く
法華経寿量品では、五百塵点劫の昔に成仏しそれ以来この娑婆世間に出現して衆生を教化してきたと、仏の本地を明かされた
仏と弟子との関係は、この世だけの関係ではなく、実は遠い五百塵点劫以来の長い間、師弟関係にあることが明らかにされたのである。これ師弟の遠近の相である
法華経前の経は、仏の本地が明かされず、仏と弟子の関係もたんにこの世かぎりのもの。遠近の相は明かされないので不遠近という