■科学とは
科学は物資を対象とした学問であり、外界の様々な現象を観察・調査・研究することにより、そこに相互の因果関係を追及し、一つの法則を見いだそうとする。さらにその法則から推論し、新しい分野の研究が進められているあらゆる学問は、人類に貢献し幸福をもたらすことを目的にしている。そこを逸脱したものは無意味である。科学は物質面から人類に幸福をもたらすものである
他方では核兵器や科学兵器を生み出して戦争を大規模にし、為政者に利用されて人類に危機を与え、大きな不幸の原因にもなっている
科学の世界を知れば知るほど、そこには自ずからなる限界があるのを知る
■宗教とは
宗教は生命を対象としている。あらゆる宗教は死を論じ、死後の生命を述べて、生命の問題にふれている。生命こそ最も本源的なものであり、あらゆる文化、生活の根底をなす。ゆえに生命を扱っている宗教はあらゆる文化、あらゆる生活の根本となるべきである
■科学と宗教の関係
両者の本質を見た時、この両者は対立するものではない。また互いに矛盾してはならないのである。逆にいえば科学と矛盾する宗教は誤った低級な宗教である
高度な科学研究者のなかには、宗教を肯定する人が少なくない
アインシュタインはキリスト教を否定しつつも、「真の宗教」という表現で、偉大なる宗教の出現を渇望している
湯川秀樹も、人間の知能、科学の限界を述べ「叡知の源泉となる宗教」という表現で、新しい宗教の出現を望んでいるのである
真の宗教は科学と矛盾せず、科学を指導するものである
科学は実験を重んじ、一定の方向と秩序をもって実験する。実験のデータから一つの結論を導きだすには、推論の段階で実験者の思想が無意識のうちに入りこむ。また科学に方向と力を与えているのが思想であり、哲学である。アリストテレスが「哲学を科学を成立させる土台」として形而上学と呼んだのも、このことを示している
真の宗教は、生命を対象とした偉大なる哲学である以上、科学に偉大なる力と方向を与えるものである
科学は宗教の一分野である
物の変化現象は、宇宙の姿の一断面である。だから科学の世界は部分観である。宗教は、経文に「如来は如実に三界の相を知見す」とあるように全体観に立っている
宗教は「科学性」を、その内に内包し、科学を支える人間生命に光明を照らす宗教でなくてはならない
もともと西洋の科学は、自然を人間生命と分離し、そこに貫かれている因果関係を追及してきた。そしてその分野で多大な成果をもたらしてきた。しかしそれは宇宙、自然のある側面の因果の追及であって、全体ではない「真理を生み出す何億という鼓動のうちの、小さな一つの脈拍」に過ぎないのである
仏法は人間と自然を密接不可分なものと論じ、人間生命に内在する因果の法則を説き顕わし、人間と自然(宇宙)を貫く因果の法則を体系づけている
科学は自然現象を対象とし因果を追及する学問であり、仏法は生命を対象とし因果を把握した哲学である。その方法は科学は分析的・帰納的であり、仏法は総合的・演繹的であるが、究極には両者は絶対に矛盾するものではない