るるの日記

なんでも書きます

古事記 語り手の工夫は、漢訳仏典から採り入れた

2020-11-19 15:11:15 | 日記
口承性は語りである
古事記は誦習(繰り返し読む)という口承性(口伝えに伝承する)で成立した

語り手は、聞き手を意識して、語りの内容を、聞き手の耳と心に快く、印象に強く残るように工夫する必要がある

そのためには接続詞や接続助詞などを多く用いて、文脈を途中で切らないようにする工夫が施される

古事記に「故・爾・是・乃・即・而」などの接続関係の助詞が頻出しているのはこのためである

また同じ語や句を繰り返して文章を韻律的(リズム的)にする工夫も施されている

例えば、天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)の物語には、「乞い渡して」「ぬなとももゆらに」「さがみにかみて」「吹きうつる気吹の狭霧に成れる神」などの句が数回にわたり繰り返されている。この繰り返しのリズムに乗って、誓約の呪儀が荘重に聞き手の心に印象づけられるのである

小島憲之氏は、接続の助詞や、同語の繰り返しの使い方は、漢訳仏典の文体からの影響があると述べている



古事記 エキケコソトノヒヘミメモヨロ・ギゲゴゾドビベ

2020-11-19 14:42:08 | 日記
漢字の音を用いて一字一音で、国語を表記する方法は「万葉集」に頻繁に用いられている(万葉仮名)

仮名の
「エキケコソトノヒヘミメモヨロ」と、その濁音の
「ギゲゴゾドビベ」
合計二十一音は、奈良時代には、それぞれ二通りに使い分けられていた

ミを表記するのに
【美・弥】甲類
【味・微】乙類
の二通りの区別がある

「上」は「加美」と書き「加味」とは書かない

「神」は「加微」と書き「加美」とは書かない

この区別はアイウエオの五母音の他に三母音、合計八母音あったため

古事記はこの仮名遣いをほぼ正確に用いていて、解釈に役立つし、平安時代の偽作ではないという論拠にもなる。なぜならば平安初期には乙類の字音はなくなり、甲類、乙類の区別は守られなくなったからである





古事記を文章(音訓混合)にする作業

2020-11-19 14:10:33 | 日記
稗田阿礼たちによって誦習(繰り返し読むこと)されてきた帝紀と旧辞の「原古事記」を、元明天皇の和銅四年に、漢字に造詣の深い太安万侶(おおのやすまろ)が撰録することになった。

ところが当時の日本は固有の文字を持たず、言葉も心も飾り気がなくて、これを漢字で文章に書き表すことは困難で、誦習された「原古事記」を漢字で表記することに太安万侶は大きな障害に直面したと思われる。

字訓ばかりで書くと、字の意味と古語の意味が一致しない。反対に字音ばかりで書くと文章が冗長(文章が無駄に長くなる)になると記してあり、苦心の結果、次のような表記法を考案した。

■一句の中に漢字の音と訓とを交えて用いる
久羅下那州(音読・くらげなす)
多陀用弊流之時(訓読・ただよへるとき・之は読まない)

■一事の全部に漢字の訓だけを用いる
万物之妖悉発
(よろづの、もののわざは、ひとことごとにおこる)

■言葉の意味のわかりにくいものには、注をつける

■従来の表記の慣例に従って書く。人名や地名に多い
日下(くさか)
帯(たらし)
春日(かすが)
飛鳥(あすか)

以上が太安万侶が考案した表記法で、これを適宜に混用して、古代の国語を文字に写そうとした。








古事記は女性が監修したか

2020-11-19 13:32:20 | 日記
古事記における矛盾は、歴代神権政治の元祖・天照大御神と在野勢力の代表・須佐之男命の物語にも見える。

両神の誓約(うけい)にしても、勝ったのは須佐之男命であり、特に大蛇退治物語では、この神が高天原世界の反逆者であることを忘れたかのように、武勇・愛情・知略を兼備した偉大な英雄神として、生き生きと描かれている。

古事記の矛盾を解明する鍵は、この書の成立事情の中にある。古事記は宮廷の私的な作品ではなかったのではないか?日本書紀のように官選の作品であったら、須佐之男命や倭健命を人間性を備えた在野的な人物には仕立て上げなかっただろう。

そうならば天武天皇の政治的思想は古事記の中で、十全に実現されたとはいえない。古事記は政治的ではなく、文学的に仕上がっている。そこには喜び、怒り、悲しみ、嘆く人間が生きている。「古人の真心」が息づいているからである。

このように明暗の交錯した人間の造形は、天皇に仕える官僚ではなく、生活感情を持った女性による誦習がなくては不可能であっただろう。

古事記 浪漫的将軍・倭健命

2020-11-19 13:08:19 | 日記
景行天皇の条

倭健命が西方征伐の後つづけて東方征伐を命ぜられた時、伊勢神宮に仕える叔母の、ヤマトヒメに次のように言い、「患(うれ)へ泣きて」辞去(別れの挨拶をし立ち去る)するという記事がある。

「天皇すでに吾死ねと思ほすゆえか、西の方の悪しき人等を討ち遣わし、返りまいのぼり来し間、いまだ幾時も経ぬに、軍衆をも賜わずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに道はすらむ。これによりて思へば、猶吾すでに死ねと思ほしめすなり」

自己の運命を「患へ泣き」ながら包み隠さず述懐する倭健命に「皇国の古人の真心」を見るが、しかし古事記の目標である神権政治、天皇政権の厳格主義から見れば二律背反の関係にある
勅命には一言も反論せず、叔母に向かって天皇の仕打ちを恨み嘆く倭健命は、官僚的でなく、浪漫的将軍であろう