ここに天皇詔(の)りたまはく
「朕(われ)聞く、諸家のもたる帝紀及び本辞、既に正実違ひ、多く虚偽を加ふと。今の時に当たりてそのあやまりを改めずば、未だ幾年をも経ずして、その旨滅びなむとす。これ乃ち邦家の経緯、王化の鴻基(こうき)なり。故、これ帝紀を撰録し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽り削り実(まこと)を定めて、後世につたえむとおもふ」とのりたまひき。
時に舎人(とねり)有り、姓は稗田、名は阿礼、年はこれ廿八(二十八)。人と為り聡明にして、目に渡れば口に誦み、耳にふるれば心にしるす。即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継と先代の旧辞とを誦み習わしめたまひき。しかれども運(とき)移り世異(かわ)りて、未だ其の事を行ひたまはざりき。
【ここにおいて天皇は、「私が聞くところによると、諸家で伝え持っている帝紀と旧辞は、すでに真実と違い、偽りを多く加えているとのことである。今この時において、その誤りを改めないならば、幾年もたたないうちに、その本旨は滅びてしまうであろう。
この帝紀と旧辞はすなわち国家組織の根本となるものであり、天皇政治の基礎となるものである。そこで帝紀を書物として著わし、旧辞をよく調べて正し、偽りを除き真実を定めて、後世に伝えようと思う」と仰せられました。
この時、舎人がおりまして、その氏は稗田、名は阿礼と申し年は28歳でありました。生まれつき賢く、一度見た文章はよく暗誦し、一度聞いた話は心にとどめて忘れることがありません。
そこで天皇は阿礼に仰せ下されて、帝皇の日継と、先代の旧辞を誦み習わせたのです
しかしながら、天武天皇は崩御され、時勢が移り変わって、まだその撰録の事業を完成なさるまでには至りませんでした。】
★帝紀
歴代天皇の名、后妃、皇子女、重要な事跡、宝算、山陵に至るまでの系譜を中心にした記録
★本辞
神話・伝説・歌謡などを内容とした伝承。記録されたものと、口誦されてきたものがあった
★邦家ね経緯
国家組織の根本原理
★王化の鴻基
天皇政治の大本
★舎人
天皇・皇族の雑事をつかさどる
★稗田阿礼
天宇受売命(あめのうずめのみこと)の子孫の猿女君(さるめのきみ)の一族
猿女氏は女系相続の氏
本貫は伊勢・志摩で大和に移ってから稗田と称した
★誦み習わしめたまひき
古記録を見ながら、古語で節をつけ、繰り返し朗読する