るるの日記

なんでも書きます

古事記 天武天皇 天の時未だいたらず

2020-11-20 10:30:28 | 日記
然れども天の時、未だいたらずして、南山に蟬蛻(せんぜい)し、人事供給(そな)わりて、東国に虎歩(こほ)したまひき

【しかしながら天運の開ける時にまだ至りませんので、近江を去り、身を吉野山に隠して出家なさいましたが、やがて人々も多く集まりましたので、近江朝と戦うために東国へ威風堂々と進軍なさったのです】

★南山
吉野山

★蟬蛻(せんぜい)
セミの如くもぬけ
皇太子の位を去って吉野山に出家したこと。寺は奈良県吉野郡大淀町にある比曾寺(今の世尊寺か)



古事記 天武天皇 夢の歌を聞きて~

2020-11-20 10:16:23 | 日記
夢の歌を聞きて、業(あまつひつぎ)をつがむことを相(うら)へ、夜の水に投(いた)りて基(もとい)を承(う)けむことを知りたまひき

【夢の中で歌を聞いて皇位を継ぐことを占われ、壬申の乱においては真夜中に横河で黒雲を見て、やがては帝位を継承すべきことをお知りになりました】

★夢の歌を聞きて
天智天皇崩御の際に歌われた「吉野の鮎」

★夜の水に投りて
伊賀国名張の横河を渡るときに、黒雲を見て皇位継承を占った

古事記 天武天皇 飛鳥の清原の大宮に~

2020-11-20 10:01:19 | 日記
飛鳥の清原(きよみはら)の大宮に大八州御(おはやしまくにしら)しめしし天皇(すめらみこと)の御世(みよ)にいたりて、潜龍元(せんりょうげん)を体し、潜雷期に応ず

【飛鳥の浄御原(きよみはら)の大宮で天下を治めになりました天武天皇の御世になりまして、天皇は皇太子としてすでに天子たるべき資質を備えておられましたが、好機到来しましたので、それに応じて天子たる徳をお現しになりました】

★潜龍
皇太子
水底に潜みいまだ雲を起こさない龍
天子の徳がありながら、まだ位につかない者。天武天皇の名は大海人皇子

★元
天子たる資質を備える

★潜雷期
潜龍と同じく皇太子のこと




古事記 古代への回 即ち夢に覚りて~

2020-11-20 09:38:15 | 日記
即ち夢に覚りて神祇を敬ひたまひき。このゆえに賢后と称す。けぶりを望みて黎元(れいげん)を撫でたまひき。今に聖帝と云ふ。境を定め邦を開きて、近淡海(ちかつあふみ)に制(おさ)め、姓(かばね)を正し氏を選びて、遠飛鳥(とほつあすか)にととのへたまひき。ほしう各異(おのもおのもこと)に、分質同じからずといえども、古をかむがへて風いうを既にすたれたるにただし、今に照して典教を絶えむとするには補はずといふことなし

【崇神天皇は夢の中で神の教えを悟り、神祇を崇敬になりました。このために賢明な君主と申し上げています

仁徳天皇は民家から上る炊煙の少ないのを見られて課役を減じ、人民を慈しまれました。今になお聖帝と言い伝えられています

政務天皇は近江の宮で政をお執りになり、国郡の境を定めて国土を開発なさいました

允恭天皇は飛鳥の宮にあって天下を治め、姓氏を正されました

このように歴代の政治にはそれぞれ緩急があり、華やかさと質素との違いはありましたが、どの御世においても古代の事跡をよく考えて、風教道徳の既に崩れてしまっているのを正しくし、現今の時勢をはっきり見定めて、人間の規範の絶えようとするのを補強しないということはありませんでした

★歩(ほ)しう各異(おのもおのもこと)に
歴代天皇の政治に緩急あること

★風いう
風教道徳

★典教
正しい人道の規範と教え

古事記 古代への回 化熊川(くわゆうがわ)~

2020-11-20 09:01:50 | 日記
化熊川(くわゆうがわ)を出でて、天剣を高倉に獲、生尾径(せいびみち)を遮りて、大鳥(たいう)吉野に導きき。舞を列(つら)ねて賊をはらい、歌を聞きて仇を伏す

【その途中、熊野で不思議な熊が川から出てきた時、その邪気を祓う、天つ神の剣を高倉下の倉の中で得たり

吉野川では、尾のある人が道を遮ったり、そして八咫烏の導きで、熊野から吉野にお入りになったのでした

さらに忍坂では歌舞を合図にして賊軍を打ち払い、平らげられました】

★天剣
天照大御神・高御産巣日神の配慮により、高倉下の倉の中で神剣を得た

★大鳥吉野に導き
高御産巣日神から遣わされた八咫烏に導かれて、吉野から熊野に入った

★舞を列ねて
大和国磯城郡忍坂で賊を討った