るるの日記

なんでも書きます

古事記 大国主神の子、言代主の神秘的隠れ方

2020-12-08 15:23:18 | 日記
答へて白(まお)さく
「僕(あ)は得白さじ
我が子八重言代主神(やへことしろぬしのかみ)、これ白すべし。しかるに【鳥遊(とりのあそび)・取魚為(すなどりす)】とて、【御大(みほ)の前(さき)】にゆきて、未だ還り来ず」とまをしき

故、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を遣はして、八重言代主神をめし来て、問ひ賜ひし時、其の父の大国主神に語りて言はく
「恐(かしこ)し。この国は天つ神の御子に立奉らむ」といひて、その船を踏み傾(かたぶ)けて、【天の逆手(さかて)を青柴垣(あおふしがき)に打ち成して隠りき】

★八重言代主神
(やへことしろぬしのかみ)
託宣の神
やへ→幾重にも栄える

★鳥遊(とりのあそび)・取魚為(すなどうりす)
鳥を弓で射たり、魚釣りをして遊ぶ

★御大(みほ)の前(さき)
島根県八束郡美保関町の岬

★天の逆手を青柴垣(あおふしがき)に打ち成して隠りき
※逆手→逆らう手、呪術のための拍手
※青柴垣→神籬(ひもろぎ)
神を迎える依り所
※隠りき
♦️今まで顕身(うつしみ)であった者が隠身(かくりみ)の神となって、神籬(ひもろぎ)の中に隠れた

※言代主神を祀る美保神社では、毎年四月七日「青柴垣の神事」を行っている

■これに答えて大国主神は、
「私はお答えできません。私の子・八重言代主が答えます。今あいにく、鳥狩りや魚取りをすると言って、美保は岬に行ったまま、まだ帰って来ません」と申した

それで天鳥船神をそこへ遣わし、八重言代主神を呼び寄せて、建御雷神が尋ねたところ、父の大国主神に向かって言代主神は
「恐れ多いことです。この国は天つ神の御子に差し上げましょう」
と言って、すぐさま乗ってきた船を踏み傾け、天の逆手を打って船を青葉の柴垣に変えて、その中に隠れてしまった




古事記 剣神⚔️建御雷之男神・大国主神と交渉始まる

2020-12-08 14:35:20 | 日記
是こをもちてこの二(ふたはしら)の神、【出雲国の伊那佐(いなさ)の小浜】に降り到りて、十掬剣(とつかつるぎ)を抜きて、【逆(さかしま)に浪の穂に刺し立て】、其の剣の前に【趺(あぐ)み坐して】、其の大国主神に問ひて言りたまはく
「天照大御神・高木神の命もちて、問ひに使はせり。汝(いまし)の【うしはける】葦原中国は、我が御子の【知らす国】ぞ、と言依(ことよ)さし賜ひき。故、汝の心いかに」
とのりたまひき

★出雲国の伊那佐の小浜
出雲大社西にある稲佐浜

★逆(さかしま)に浪の穂に刺し立て
刃先を上にして、柄の方を波の上に刺し立てた

★趺(あぐ)み坐して
あぐむ→足組む
建御雷神は剣神なので、剣の先に姿を現す

★うしはける
支配する
その主格は常に神

★知らす国
うしはけると同じだが、政治的な意味が強い


■そこでこの二柱の神は、出雲国の伊那佐の小浜に天降りして
長剣を引き抜いて、波頭に逆さまに刺し立て、その剣の切った先にあぐらをかいて、大国主神に
「天照大御神と高木神の命令で、おまえたちの意向を尋ねに、我々をお遣わしになった

おまえが支配している、葦原中国は、わが子が治める国だと天照大御神がその御子に統治を委任されたものだ。それでおまえの意志はどうなのか」と尋ねた





古事記 伊都之尾羽張神と息子建御雷神→伊耶那岐命に関係する神あらわる

2020-12-08 13:52:03 | 日記
是こに天照大御神詔りたまはく
「またいづれの神を遣はさば吉(よ)けむ」とのりたまひき

思金神(おもひかねのかみ)及諸神白(まをさく)
「天の安河の河上の天の石屋(いわや)に坐す、名は【伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)】是れ遣はすべし
もしまた此の神に非(あら)ずば、其の神の子、【建皆雷之男神(たけみかづちのをのかみ)】此れ遣はすべし

また其の天尾羽張神(伊都之尾羽張神)は、天の安河の水を逆(さかしま)に塞き上げて、道を塞きて居(お)る故に、他(あた)し神は得行かじ。故、別(こと)に【天迦久神(あめのかくのかみ)】を遣はして問ふべし」とまをしき

故、天迦久神を使はして、天尾羽張神に問ひたまひし時、答へて白さく、「恐(かしこ)し。仕へ奉らむ。しかれども此の道には、わが子建御雷神を遣はすべし」とまをして、貢進(たてまつ)りき。ここに【天鳥船神(あめのとりふねのかみ)】を御雷神に副(そ)へ遣はしたまひき

★伊都之尾羽張神
(いつのおはばりのかみ)
伊耶那岐命が、火神の迦具土神(かぐつちのかみ)を斬った時の
大刀の神

★建御迦雷之男神
(たけみかづちのおのかみ)
雷神、剣神

♦️この父子の神がともに剣神の属性を持っているのは、国譲りの交渉役としてふさわしい

★天迦久神(あめのかくのかみ)
鹿の神

★天鳥船神
(あめのとりふねのかみ)
※鳥のように、速く走る船の神
※雷は船に乗って天翔(あまがける)という宗教的観念


■葦原中国への使者派遣は再度不成功に終わり、天照大御神は
「今度は、どの神を遣わしたらよかろうか」と言われた

思金神と大勢の神たちが
「天の安河の上流の天の石屋にいる、伊都之尾羽張神を遣わすのがよろしいでしょう。もしまたこの神ではないのなら、その神の子、建御雷之男神を遣わすのがよいでしょう

また、その天尾羽張神(伊都之尾羽張神)は、天の安河の水を逆に塞き上げて道を塞いでいるので、他の神はとても行かれますまい

特別に天迦久神(あめのかくのかみ)を遣わして、行くかどうか尋ねるのがよいでしょう」
と申し上げた

天迦久神を遣わし、天尾羽張神に尋ねたところ、この神は
「恐れ多いことですが、お仕えします。しかし使者として行くのは、私の子・健御雷神を遣わすのがよろしいでしょう」
と言って、即座にわが子を使者として、差し上げた

天照大御神は天鳥船神を建御雷神に添えて、葦原中国に遣わした








古事記 短気な阿遅志貴高日子根神の正体は、蛇神🐍⚡️雷神

2020-12-08 12:38:27 | 日記
これに阿遅志貴高日子根神いたく怒りてのりたまはく、「我(あ)は愛(は)しき友有(な)れば弔ひ来(こ)しのみ。何とかも吾(あ)を穢(きたな)き死人に比(なそ)ふる」とのりたまひて、御はかせる十掬剣(とつかつるぎ)を抜きて、その喪屋を切り伏せ、足もちて蹴い離ち遣(や)りたまひき

此は【美濃国の藍見河(あるみがわ)の河上なる喪山(もやま)といふ者(やま)なり】。その持ちて切れる大刀の名は大量(おおはかり)といひ、亦の名は神度剣(かむどのつるぎ)といふ

故、阿治志貴高日子根神は怒りて飛び去りたまひし時、其の【いろ妹】高比売命、其の【御名(みな)を顕さむ】と思ひき。故、歌ひていはく

天(あめ)なるや、
弟棚機(おとたなばた)の、
頂(うな)がせる
玉の御統(みすまる)、御統に、
穴玉はや、み谷、二(ふた)渡らす、
阿治志貴、高日子根神そ

とうたひき
この歌は夷振(ひなぶり)なり


★美濃国~喪山というやまなり
岐阜県の長良川上流の郡上川
または、岐阜県不破郡垂井町の相川か
美濃市大田矢田の伊瀬、不破郡垂井町府中に「喪山」と称する小丘あり

★いろ妹
同母妹

★御名を顕(あらは)さむ
兄の正体を明かし知らせようとした
名は正体ともいうべきもの

★天なるや
天に在る

★弟棚機(おとたなばた)の
弟(おと)→年下、若い
棚機(たなばた)→たなばたつ女(め)。天上にいる機織女(はたおりめ)
後に七夕伝説と習合し、織女星をさすようになった

★頂(うな)がせる
首にかける

★玉の御統(みすまる)
玉を緒に貫いて統べくくる

★穴玉はや
穴玉→穴のあいてる玉
はや→嘆く
穴玉を嘆くのは、阿遅志貴高日子根神の正体が、穴と関係が深い蛇神(雷神)であることを示す

★み谷二渡らす
※長大な蛇が、二つの谷にまたがっている姿
※雷光が、二つの谷を同時に照らす

★夷振り(ひなぶり)
田舎風の歌曲


■ところが阿遅志貴高日子根神は、ひどく怒り「私は天若日子が親しい友達なので弔いにわざわざやって来たのだ。それなのに何だって私を汚らしい死人なんかに見立てるのだ」
と言って、腰につけていた長剣を抜いて、喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばしてしまった

蹴飛ばされた喪屋は、今、美濃国の藍見河上流にある喪山という山である。喪屋を切った大刀の名は大量(おおはかり)といい、別名・神度剣(かむどのつるぎ)という

阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去った時、その同母妹・高比売命(下照比売)は兄が神の正体を人々に明かそうと思った。そこで

天なるや、、、(天上にいる若い機織女が、首にかけている、緒に貫いて統べた玉。緒に統べくくった穴玉よ。その穴玉のように、谷二つを渡る、阿遅志貴高日子根神ですよ)と歌った

この歌は振夷(ひなぶり)という歌曲である




古事記 死んだ天若日子に瓜二つの、大国主神の子・阿遅志貴高日子根神

2020-12-08 11:19:55 | 日記
この時、【阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)】到りて、天若日子の喪を弔いたまふ時、天より降り到れる天若日子の父、その妻皆哭きて云はく
「我が子は死なずて有りけり」「我が君は死なずて坐しけり」と云ひて、手足に取り懸りて哭き悲しみき

其の過ちしゆえは、この二柱の神の容姿甚能(かたちいとよ)く相似たり。故、これをもちて過ちき

★阿遅志貴高日子根神
(あじしきたかひこねのかみ)
大国主神の子

■下照比売の兄の、阿遅志貴高日子根神が来て、天若日子の喪を弔うと、天上からくだってきた天若日子の父と、天若日子の妻たちはみな泣いて
「わが子は死なないでここにいる」
「わが夫は死なないでここにいらっしゃった」
とその手足にとりすがって泣き悲しんだ

阿遅志貴高日子根神を、死んだ天若日子神と間違えた理由は、この二柱の神の顔や姿がたいへんよく似ていたからである