るるの日記

なんでも書きます

親鸞・非僧非俗=人に非ず

2021-12-18 17:05:25 | 日記
浄土とは何か
高僧とは何者か
、、
問いを立て、それに答える自問自答の歌謡形式の和讃
人間と空間・時間をめぐってわき上がる和讃には、親鸞の自己省察の痛烈な思いが流れていた
それを和讃のリズムで告白した
それが【愚禿悲嘆述懐和讃】になって実る

愚禿とは愚者・悪人
愚者や悪人は僧でもなければ俗人でもない。世間から追放されたアウトロー
人に非ず
それが非僧非俗の非に重なる


親鸞・法然という重すぎる荷物を解き放つ

2021-12-18 16:45:15 | 日記
親鸞・盛期は、旅の移動の中にある
流罪と移住の時期。40代から60代
行くての定まらない自由な気分だった。妻を得て子供もつくっている。だから、、破戒・無戒の言葉が念頭に去来した日々だった
妻帯の負い目
家族という血縁との共同生活
家族をともなう親鸞の旅
覚悟のうえの破戒・無戒の孤独な旅
【目標は1つ。万民救済のシンボル念仏の道を自分なりの方法で見つけること。その一点である】

その道を見つけるためには2つの荷物があまりにも重すぎた
★師の法然の念仏に関わるもの
★博士論文という専門的なもの
この2つの重い荷物からどうしたら身軽になれるのか、、
新しい自問自答がはじまった

師の法然が知恵第一の持戒僧であるなら、おのれは何者か?
そのような知の権威をつき崩さねばならぬ。そして新たな問いを突き立てねばならぬ、、
和讃の道だった
歌謡といってもよい
とにかく歌の世界に抜け出たい
そこに出れば民が待っている

【南無阿弥陀仏をとなふれば
この世の利益きはもなし
流転輪廻のつみきえて
定業中ようのぞこりぬ】

論文から歌への転換
教行信証から和讃への跳躍
新たな展開
まさしく研学と修行という重さからの自立解放の道へ
七五調のリズムが天啓のように響くようになった



親鸞・重い荷物を背負った時代は、重さを感じない若さがある

2021-12-18 15:18:19 | 日記
親鸞の生涯は前期・盛期・晩期に分かれる

【前期】
比叡山時代
研学と修行
論文制作
比叡山からの下山
流罪
関東へ移住

■エネルギーあふれているけれど、重い荷物をずっしり背負ったつらい時代である。しかしそれは青春から壮年にいたる自負と野心にあふれる時代。重さを重さと感じない時。

■教行信証と称される彼の文章は、当時の権威ある高僧たちにあてた博士論文だった。高僧には法然もいた
この博士論文の宛先は、やがて師となる法然一点にしぼられた

当時の高僧は誰もそれを正統な博士論文だと見なさなかった。悲運の論文という他なかった

同心円の中で呼吸し生きていた西行、法然、親鸞

2021-12-18 15:01:50 | 日記
西行が73歳でこの世を去った時
親鸞は18歳だった。比叡山にのぼっていて下界の動きに油断のない眼差しを向けていた

親鸞がひそかにあとを追おうと決めていた法然は58歳。念仏の火を揚げて、生き生きした活動をはじめていた

西行は西へ行く人
法然は西へと誘う人
そして親鸞
これら3人は同心円の中で呼吸し生きていた。同じ戦火の騒がしい空気を吸って生きていた

半僧半俗(西行)と非僧非俗(親鸞)はつながっている

2021-12-18 14:53:15 | 日記
■西行は【半僧半俗】だと、彼自身が云ったわけではない

親鸞は【非僧非俗】
「もう、単なる僧ではないぞ
かといって単なる俗人でもないさ」
非僧非俗だと、彼自身の言葉ではっきり言った。言っただけでなく書いた。非と半の違いを強く意識していた

いったい、どんな生き方をするのか?
非僧非俗、、
僧ではない
俗ではない

半僧半俗ならまだ、言わんとしていることは、何となく伝わる
半分は僧、半分は俗人
そんな人はいくらでもいる
これが非僧非俗となると、そうはいかない
だが、、
西行から親鸞への道は
一筋の途切れることのない道であった
半僧半俗から非僧非俗への道はつながっているのである