親鸞・盛期は、旅の移動の中にある
流罪と移住の時期。40代から60代
行くての定まらない自由な気分だった。妻を得て子供もつくっている。だから、、破戒・無戒の言葉が念頭に去来した日々だった
妻帯の負い目
家族という血縁との共同生活
家族をともなう親鸞の旅
覚悟のうえの破戒・無戒の孤独な旅
【目標は1つ。万民救済のシンボル念仏の道を自分なりの方法で見つけること。その一点である】
その道を見つけるためには2つの荷物があまりにも重すぎた
★師の法然の念仏に関わるもの
★博士論文という専門的なもの
この2つの重い荷物からどうしたら身軽になれるのか、、
新しい自問自答がはじまった
師の法然が知恵第一の持戒僧であるなら、おのれは何者か?
そのような知の権威をつき崩さねばならぬ。そして新たな問いを突き立てねばならぬ、、
和讃の道だった
歌謡といってもよい
とにかく歌の世界に抜け出たい
そこに出れば民が待っている
【南無阿弥陀仏をとなふれば
この世の利益きはもなし
流転輪廻のつみきえて
定業中ようのぞこりぬ】
論文から歌への転換
教行信証から和讃への跳躍
新たな展開
まさしく研学と修行という重さからの自立解放の道へ
七五調のリズムが天啓のように響くようになった