るるの日記

なんでも書きます

何かを奪われたとしても、また起き上がろうとする未来の自分のために、生きる算術は尽くす

2021-12-24 17:39:10 | 日記
がんばって何の意味があるのか?
がんばることに疲れた
もうこれ以上がんばりたくない

そう思ってから、がんばらない生活をつづけると、だんだん疲れがとれて、やがて気分は変わる

そして性懲りもなく、何かをろうとする自分がいる

今、「もう嫌だ、全てを投げ出したい!この気持ちは未来永劫変わらない!」と思っていたとしても、未来の自分がそう思い続けているかどうかはわからない
ある程度時間が経ったら「やっぱり生きたい」と思うようになるのではないか?
だから気が変わり、また起き上がろうとする未来の自分のために、何か奪われたとしても、寿命が尽きるまで生きる算術は尽くすべきではないか?自分の人生を総決算した結果、マイナスになっていたとしても

光を信じるか?暗闇に怯えるか?失ったものの影に、だからこそ得られそうな何かの片鱗は見えていませんか?

2021-12-24 17:05:59 | 日記
ある状況に置かれたとき、マイナス面を見る人と、プラス面を探そうとする人がいる

マイナス面ばかり見ようとする人は、いつも不安です。「批判されるかも、失敗するかも、、、」と躊躇する。プラスの面があっても気づかない。とにかくマイナス面ばかりが気になってしまう

マイナス面があっても、1つでもプラス面はないかと考える人がいる。そのような見方をする人は、ようやく見つけたプラス面をよりいいものにできないかを考える

たとえば、人に否定されたとしよう。それは本当にマイナスだけか?逆に何かの道が開けてないか?
失ったものの影に、だからこそ得られそうな何かの片鱗はある。ダメだったからこそ得られる何かが必ずある

嫌々ではなく、選んだ道をどう行くか考えて、しっかり歩んでみる

2021-12-24 16:43:50 | 日記
「どの道を行くべきか
どの道が正解か」
と悩むことがあります
しかし、これ以上に大事なのは
「選んだ道をどう行くか」なのです

私達はさまざまな選択肢を迫られている。その都度進むことのできる道は1つ。1つの道を選んだその瞬間に、その他無数の選択肢を捨てざるを得ない

せっかく多くの選択肢の中から自分で選んだ道ならば、仮に不本意ながら選ばざるを得なかった道であったとしても、そこから何かをつかみとろうとすればいかが?「他の道を行きたかった」などと思いながら、嫌々行くのではなく、しっかりと歩んでみてはいかが?
もし、それができないのなら、もうその道を行くのはやめて、異なる道を選んで歩いたらいかが?


「こうすればうまくいく」という安全確実な答えなどない。予測した通りにいかなくても「それでもなお、自分は前に進む」という覚悟を持つ

2021-12-24 16:28:45 | 日記
先のことを考えて、今の人生に向き合う態度を変えることはできない。
人生ではときどき、「あのときあんなことをしなければ、今こんな悪い状況になっていなかったかもしれない」と嘆くことがある。しかし「あのとき」はそのような先の結果など予想できなかったのだ

私達にできるのは
自分の手に負える範囲内で、予測を立てて一歩踏み出すこと。その後はその都度直面する新しい状況にその場で対処しつづけていくこと

将来を予測することが無意味ではない。先を予測することは、人生をコントロールしやすくなる。だが、これは決して万能ではない。現実には不確定な要素があり、合理的には説明しきれないことが起こる

つまり「こうすればうまくいく」という安全確実な答えなどないのです。「必ず予測した通りになるはず」という甘い信頼はもたない代わりに、予測した通りにいかなくても「それでもなお、自分は前に進む」という覚悟を持つ

これは、将来を予測する能力を持たない私達が、将来に怯え立ちすくんでしまわないために必要なことなのです

大失敗する場合の特徴

2021-12-24 14:11:11 | 日記
■私達は初めての場所に行く場合、スマホを使っても道に迷ったりする。また会社に入ったばかりの新人は、数ヶ月後には簡単にこなせるようになる仕事でも、初めての場合はうまくこなせない

これは過去の経験に照らし合わせて行うことができない、つまり何も参考にするものがないため起こる
初めてのことは何でも難しい

さらに初めてのことを、初めてと認識せずに「いつも通り」こなそうとすると、多くの場合、悲惨な失敗に陥る
仕事における初めてを特定し、対策をたてよ

■1955年、ある街に新たな建築物を建設することになり、その設計に関するコンペが開催された。全部で200件を越えるデザイン案が提案された。多くのデザインの中からどの1つを選ぶべきか、審査員たちは頭を悩ませた

そんな時、審査員の1人が、1次審査で落とされたデザインの1つを取り出し「諸君、これが私達の街の新たなランドマークとなるにふさわしい建築物である」と叫び、それが採用された

1959年、建設作業が開始された、、だが、、当初の完成予定時期を過ぎても一向に完成しない。建設費用も増えていく。そのうちデザインを考案した人はプロジェクトから外された

結局、完成したのは、当初の予定日から10年後。建設費用は当初の14倍にも膨れ上がった。この建築物は、オーストラリアのシドニーにあるオペラハウス

オペラハウスの屋根の形は極めて独創的。だがあのような形が力学的に安定した建物として存在できるのか、当時の建築技術では検証できなかった

にもかかわらず「デザインが素晴らしい!早く完成させたい」という気持ちから設計作業が完成するまえに工事が開始された。つまり【世界ではじめてのデザインを持つ建築物なのに、十分な設計を経ずして、工事期間と建設費用を決めたのだ】
これではその期間内と費用内で完成できるはずはない