るるの日記

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樋口武男・石橋オーナー「1回くらい赤字にしてもかまへんぞ」→特別損失2100億円を一括処理→910億円赤字→負の遺産の一掃したことで業績回復に弾みがついた

2021-12-22 16:21:34 | 日記
■2002年11月
石橋オーナーが「大和ハウス工業は創業以来、赤字になったことがない。1回くらい赤字にしてもかまへんぞ」と言った
私は耳を疑った
オーナーは尊敬する松下幸之助氏の「赤字は社会悪」という言葉を信奉し、ずっと実践してきたからだ

■大和ハウス工業の損失額。全部ウミを出すと2100億円に達すると分かった。小手先で処理していては時機を失う。2003年3月期で一括処理すると腹をくくった

■2003年2月21日、石橋オーナーが亡くなった
「社葬はするな。1日たりとも仕事を止めてほしくないんや」、生前にオーナーは言っていた

22日、オーナーの棺を納めた車は能登を出て、滋賀のロイヤルホテル、奈良、大阪の事業所、工場、研究所などを回り、創業の地である大阪市浪速区日本橋を経由し、北区の本社ビルに到着した。役員100人が整列してお迎えした

告別式の翌日、本社ビル15階のオーナーの部屋に入った。大きな遺影に向かって私は「一発でやらせてください。2度と赤字にはいたしません。必ずV字回復を成し遂げます」と報告した

■4月30日、2003年3月期の連結最終損益が910億円の赤字になると発表した
特別損失2100億円を一括処理し、創業以来初の赤字に転落した

含み損を数年に分けて処理するのは、重荷を背負い経営を続けるようなもの。配当が減り、賞与も伸びないとなれば、株主も従業員も将来の夢がもてない

5月1日
720円で始まった大和ハウス工業の株価は、714円まで値を下げた。そこで株価が反転した。前日比35円高で引け

5月2日
777円の高額をつけた
営業利益は出ている。負の遺産を一掃したことで、業績回復に弾みがつくと市場は評価してくれた

樋口武男・嫌われ役を引き受けてくださった中坊公平先生

2021-12-22 15:13:01 | 日記
■中坊公平先生の直言は、何度も大和ハウスグループの危機を救った
※「大和団地の様子がおかしい。至急対策が必要だ」とオーナーに最初に進言したのは中坊先生だ

※オーナーの長男で、当時の大和ハウス工業社長・石橋信康さんに諫言したこともある。業績不振もあり、オーナーは社長交代を決断したが、父親だけに言い出せない。代わって中坊先生がオーナーの意思を伝えに行った

※私が大和ハウス工業社長になる時、オーナーは中坊先生に、「監査役として役員会で厳しく発言し、樋口の代わりに嫌われ役を引き受けてやってくれ」と頼んだ

■役員会では、中坊先生からは「少々きつく言いますが、あなたを支えるためと解釈してください」と事前通告を受けた
OBの役員からは「大変らしいな」と声をかけられた。誰かがOBに泣きついたなと察した

石橋オーナーの名代で、中坊先生がきつい発言をしていることを、他の役員は知らなかった。誰が好きこのんでこんな嫌われ役を引き受けてくれるだろう。中坊先生にとっても石橋オーナーは絶対の存在だった

■2005年4月5日本社で開いた永年勤続者表彰式。監査役を退かれる中坊先生も特別に表彰した。表彰状を読み上げているうちに、過去の色々な出来事を思いだし言葉が出なくなった。社員の前で涙を流したのはあれが最初で最後だ





樋口武男・初対面の中坊公平先生に石橋オーナーは言う「弁護士なのに苦労していなくて、人を救えるのか?一番いい苦労は留置場や。入ったことあるか?」中坊先生「はい」

2021-12-22 14:46:52 | 日記
私と同じように毎月石橋山荘に通っていたのが、1963年に大和ハウス工業の顧問弁護士になり、1999年~2005年は監査役を務めていただいた中坊公平先生だ

石橋オーナーは、初対面の中坊先生を近くの定食屋に連れて行き、色々と質問をした。オーナーは「人の苦しみを解決するのが弁護士なのに、おまえは全然苦労をしていない。そんなことで困っている人を救えるのか?」と指摘された

中坊先生が
「どういう苦労をすればいいでしょう?」と尋ねると、オーナーは
「一番いいのは留置場や。入ったことあるか?」と言うと、先生は
「あります、戦時中に米の買い出しに行き、経済警察に見つかって没収されました。頭にきてこれも持っていけ!と、麦をぶちまけまして、公務執行妨害で捕まりました。もう二度としません」とこたえた
オーナーは、「格好ええやないか」と言って笑い、2人の長い付き合いが始まった

ある会食で小渕恵三首相が中坊先生に「あなたはずいぶん変わっているが、誰から教育を受けましたか」と尋ねた。中坊先生は
「能登で療養中の大和ハウス工業創業者、石橋信夫さんです」と答えた
数日後山荘にいる石橋オーナーに、首相からお見舞の電話がかかってきたのに、石橋オーナーは首相に税制改正の注文をつけた、、と先生は笑っていた

樋口武男・石橋オーナー、石川県・能登で療養生活を送る「身内にも外部にも一切借りはないからな」

2021-12-22 14:19:56 | 日記
大阪駅を午前8時42分に出発する特急サンダーバードに乗ると、石橋信夫オーナーが療養生活を送る石川県・能登の石橋山荘に昼12時15分に着く
1999年から4年間、私は毎月、山荘に通った。役員会の直前に経営報告をしていた

報告を終えるとオーナーは、「言わなあかんことを全部言うておくからな」と前置きして猛烈な勢いで話し始める。軍隊時代、会社経営、親戚付き合いにまで及んだ

2人の役員会は、応接室と食堂を往復しながら続いた。最後は寝室で、オーナーはベッド、私は介護人用のベッドで延長戦に臨む。最長で午前3時半まで話しこんだこともある
オーナーの「もう寝よか」の言葉でようやく、打ち止めになった

ある夜オーナーは「身内にも外部にも一切借りはないからな」と、きっぱり言いきった。オーナーが亡くなられた後「生前にお約束をいただいた者ですが、、」という電話がかかってきた。仕事を回して欲しいという。私が「証拠を見せてください」と言うと、ぷっつりと切れた
オーナーは「会社は公器」という信念を貫いた本当に身きるいな人だった

オーナーが聴覚を失った最後の2年間のやりとりは筆談だった。段ボール箱いっぱいの、オーナーとのやり取りを記したメモは、今も本社ビルにある私の執務室に残してある

オーナーは、「本社のわしの部屋はしばらくそのままにしておいてくれるか?」と言った。紙に大きな字で「オーナーの部屋は永久保存します」と書いた。オーナーは満足そうなやうなずいて、「わしの部屋は君が使ってくれたらええ」と言った。1年間はそのままにしておき、その後はありがたく使わせていただいている

樋口武男・36歳社員を姫路支店住宅営業所長ら、富山支店長へ引き上げた〈人には旬がある〉

2021-12-22 13:46:58 | 日記
支店長公募制度で面接をしていた。36歳の社員に目がとまった。オーラを感じたとでもいおうか、、
姫路支店の住宅営業所長だった社員を、富山支店長に引き上げた
人には旬がある。そのタイミングを彼は掴んだのだ。運は努力しない者には絶対めぐってこない。会社のどこかでダイヤモンドの原石が、掘り出されるのを今か、今かと待っている。職場で能力をもて余してはいないだろうか。毎日私は前途有為の若者を求めている