遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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開高健『破れた繭 耳の物語1』『夜の陽炎 耳の物語2』を読んで

2024-09-29 21:59:18 | 読んだ本
             開高健『破れた繭 耳の物語1』『夜の陽炎 耳の物語2』   
                                                   松山愼介
 
 これは耳から入った音を中心にして書かれた自伝的物語であるとされていて、その例としては焼夷弾の音があげられている。人間の場合、聴覚だけで情報を得るということは考えづらいので、普通の自伝では面白くないので、耳を強調したのではないかと考えられる。それよりも「私」という主語を廃した文章が特徴的だろうか。日本の『源氏物語』なども主語はない。焼夷弾の場面の直前にアメリカ軍の戦闘機に襲われかかって、田圃の中に逃げるのだが、その時、パイロットの「薔薇色の若々しい柔らかい頬は笑っていた」と書いてあるのだが、これはにわかに信じがたい。頬の色までわかるというのは、地上十メートルくらいだろうが、逃げ惑っている時に、ここまで見えるものだろうか。後に実際のアメリカ兵を見たときの記憶が重なっているのかも知れない。
「破れた繭」というのは、日本が焼け跡から、見る見る間に復興して、その復興した姿を見ると、まるで繭を破って出てきた時のようだという感覚から来ているらしい。
 開高健は昔、『パニック』、『裸の王様』を読んだ覚えがあるが、内容の記憶はない。むしろ、この会でテキストになった『輝ける闇』などのベトナムものの印象が強い。私の開高健の印象は、テレビでウイスキーのコマーシャルで、海外で釣りをやっているというものである。見ていて、なぜこんなコマーシャルをやっているのか疑問だった。『耳の物語1』でもかなり破天荒な生き方をいているが、『耳の物語2』を読むと、開高健の生き方がわかったような気がした。
 開高健といえば「ベ平連」という印象が強いが、「ベ平連」は一九六五年四月に結成されているが、それまでにも彼は活発に海外に出かけ活動している。日本の海外旅行が自由化されたのは一九六四年四月だから、それまでは海外から招待を受けるか、報道機関の特派員になるしかなかった。開高健は英語、仏語などを話せたという。大江健三郎が六〇年安保闘争の最中に中国へ行っていたので、けしからんと思っていたのだが、当時はこのような海外旅行の条件が課せられていたということを考えれば納得できないでもない。
「国外逃亡という少年時代のたった一つの希求を疑似で、せめて身ぶりだけでもやってみたかった」ということだ。「人の不幸は部屋の中にじっとしていられないことである」とも書いている。一時期、パリを中心にしてヨーロッパ各地を飛び回っていたらしい。ポーランドのアウシュヴィッツは勿論だが、一九六一年に始まったアイヒマン裁判を傍聴していたのは驚きだった。毛沢東にもサルトルにも出会っているのだが、サルトルに関しては「社会主義について語る言葉は自由主義左派の凡庸な通り言葉を出なかった」と辛辣である。一九六八年のフランス五月革命についても、七月のヴァカンスがはじまるとたちまちひっそりとなってしまったという。
 開高健といえばベトナムだが、少年時代からの放浪癖がベトナムに集中したような感じをうける。少年時代の空襲体験もすごいが、ベトナムで生死の境をさまよう戦闘に巻き込まれたり、血の流れる戦闘を間近に見たことはすごい体験だっただろう。ベトナム戦争は結局、北ベトナムの勝利に終わるのだが、その北ベトナムについても邪推と断りながら批判を加えている。北は南の解放戦線が力を持ったまま統一されるのを恐れ、解放戦線の主力部隊をアメリカと戦わせ、その後は瞬く間に解放戦線の部隊とゲリラを解体してしまったという。
 指定されたテキストは『耳の物語1』であったが、『耳の物語2』も含めて、一冊の本として読むべきだと思った。
                             2024年1月13日

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