吉田修一『悪人』 松山愼介
福岡、佐賀、長崎とくれば、少し話から外れるが森元斎(もとなお)の『国道3号線 抵抗の民衆史』を思い浮かべる。国道3号線は北九州から、三池、熊本を通って鹿児島に至る。国道3号線はその道程に、谷川雁、石牟礼道子、森崎和江、宮崎八郎などを輩出している。元々、九州は反体制的な色合いの濃い土地柄である。その外側を福岡から佐賀まで国道263号線が通る。事件の舞台となった三瀬峠はほぼその中間にあり、福岡、佐賀から1時間以内で行くことができる。
写メを「写メール」としているのは時代を感じさせる。18年前の作品だが、もうこの頃から出会い系サイトがあったらしい。石橋佳乃は、それを使う典型的な若い女性ということになる。3万円で身体を売ることもある。それに対して、清水祐一は既成の風俗を利用し、美保というヘルス嬢の元に通いつめる。祐一は母に捨てられ、祖母に育てられる。そのため屈折した性格の持ち主としてえがかれる。最後の光代との逃避行では、素直な男になっているが。
作者は匂いに敏感である。増尾圭吾はサウナの仮眠室で男たちの発する「獣の匂いを鼻先」に感じる。光代は祐一の車の中で「廃墟のような匂い」を嗅ぐ。結局、この二人が佳乃を殺すことに関わるのだが、二人が異様な匂いを発しているところは、さりげなく書かれているが面白い。
また、不可抗力だが佳乃も餃子の匂いが命取りになっている。祐一の車に乗るつもりがなかったので餃子を食べたのだろうが、その後、圭吾と出会い、圭吾の車に乗るのだが餃子臭を発しながらのおしゃべりで、圭吾に車から蹴り出されることになる。不幸なのは佳乃に同情して後を車でつけた祐一であろう。この祐一が佳乃を殺すところが、この作品の一番の弱点であり、わかりにくいところである。
佳乃は祐一に好意を持ってはいない。だが、めったに車の通らない峠道に放り出されたら、誰かの車に乗せてもらうしか帰る方法がない。だが、自分が圭吾に捨てられたところを見られた(?)ことには屈辱を感じたのであろう。せっかく助けようとした祐一に罵詈雑言をあびせる。この場面(下130ページ)がこの作品の山なのだが、イマイチ納得できる描写ではない。「真冬の峠の中なのに、山全体から蝉の声が聞こえた。耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声だった」と書いてあるが、これは事実としてはありえない。とすれば、祐一は幻聴を聞いていることになる。
佳乃の首に手をかけるのだが、祐一にとっては夢の中の行為のようだったのかも知れない。最後の光代との場面でも、光代の首に手をかけている。案外、祐一のこの行為は、母に捨てられた恨みの感情がもたらしたものなのかも知れない。女性総体に対する否定の感情かも知れない。
結局のところ、「悪人」は誰かということになるのだが、女性を軽んずる増尾圭吾ということになるのだろう。直線的に犯人を示さずに、圭吾と祐一を絡ませているストーリー展開は見事だが、この作品が、「朝日新聞」に連載され、映画化もされ、優秀な興行成績を収めたということは何か信じがたいものがある。
2024年3月9日
福岡、佐賀、長崎とくれば、少し話から外れるが森元斎(もとなお)の『国道3号線 抵抗の民衆史』を思い浮かべる。国道3号線は北九州から、三池、熊本を通って鹿児島に至る。国道3号線はその道程に、谷川雁、石牟礼道子、森崎和江、宮崎八郎などを輩出している。元々、九州は反体制的な色合いの濃い土地柄である。その外側を福岡から佐賀まで国道263号線が通る。事件の舞台となった三瀬峠はほぼその中間にあり、福岡、佐賀から1時間以内で行くことができる。
写メを「写メール」としているのは時代を感じさせる。18年前の作品だが、もうこの頃から出会い系サイトがあったらしい。石橋佳乃は、それを使う典型的な若い女性ということになる。3万円で身体を売ることもある。それに対して、清水祐一は既成の風俗を利用し、美保というヘルス嬢の元に通いつめる。祐一は母に捨てられ、祖母に育てられる。そのため屈折した性格の持ち主としてえがかれる。最後の光代との逃避行では、素直な男になっているが。
作者は匂いに敏感である。増尾圭吾はサウナの仮眠室で男たちの発する「獣の匂いを鼻先」に感じる。光代は祐一の車の中で「廃墟のような匂い」を嗅ぐ。結局、この二人が佳乃を殺すことに関わるのだが、二人が異様な匂いを発しているところは、さりげなく書かれているが面白い。
また、不可抗力だが佳乃も餃子の匂いが命取りになっている。祐一の車に乗るつもりがなかったので餃子を食べたのだろうが、その後、圭吾と出会い、圭吾の車に乗るのだが餃子臭を発しながらのおしゃべりで、圭吾に車から蹴り出されることになる。不幸なのは佳乃に同情して後を車でつけた祐一であろう。この祐一が佳乃を殺すところが、この作品の一番の弱点であり、わかりにくいところである。
佳乃は祐一に好意を持ってはいない。だが、めったに車の通らない峠道に放り出されたら、誰かの車に乗せてもらうしか帰る方法がない。だが、自分が圭吾に捨てられたところを見られた(?)ことには屈辱を感じたのであろう。せっかく助けようとした祐一に罵詈雑言をあびせる。この場面(下130ページ)がこの作品の山なのだが、イマイチ納得できる描写ではない。「真冬の峠の中なのに、山全体から蝉の声が聞こえた。耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声だった」と書いてあるが、これは事実としてはありえない。とすれば、祐一は幻聴を聞いていることになる。
佳乃の首に手をかけるのだが、祐一にとっては夢の中の行為のようだったのかも知れない。最後の光代との場面でも、光代の首に手をかけている。案外、祐一のこの行為は、母に捨てられた恨みの感情がもたらしたものなのかも知れない。女性総体に対する否定の感情かも知れない。
結局のところ、「悪人」は誰かということになるのだが、女性を軽んずる増尾圭吾ということになるのだろう。直線的に犯人を示さずに、圭吾と祐一を絡ませているストーリー展開は見事だが、この作品が、「朝日新聞」に連載され、映画化もされ、優秀な興行成績を収めたということは何か信じがたいものがある。
2024年3月9日
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