室生犀星『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』
松山愼介
会話だけで物語を展開していることに、まず驚いた。作者も自信がなかったが、書いていく内に先が見通せるようになったらしい。(赤井赤子 上山)
『蜜のあわれ』については『火の魚』に次のように書かれている。
実はその小説は一尾の金魚に託して私の昔知った女の人を描こうとしたもので、たわいない小説であるが、そのたわいなさが書いたあとまで私に宿って、困っているとでも言える小説なのです。
『後記 炎の金魚』にはこうある。
作家の慾はふかく実力はあさい。……作家というものの五体のところどころには不死身の箇所があって、いくら年月が経っても死なない部分だけが、色を変えずにつやつやと生きている。
作家が老境に差しかかっている。その家の庭には小さな池があり、そこには何匹かの金魚やメダカがいるという風景を想像してしまう。そこから作家の想像力が膨らんでいく。
星野晃一『室生犀星』 によれば、金魚のモデルとなったのは、大丸デパートの時計売り場の店員、小山万里江さんということである。彼女は昭和三十五年十月頃から住み込みの秘書のような存在となった。妻・とみ子さんの死は昭和三十四年十月である。
この作品を読んで、川端康成の『眠れる美女』を思い出した。老境に差しかかった男性の性の問題をエロス的に取り上げている。それに比べれば、『蜜のあわれ』はメルヘン的といえる。しかし、その中にも作家の業のようなものは感じられる。
『われはうたえどもやぶれかぶれ』は、室生犀星の最後の病院での話が主になっている。メインは尿閉による、尿道へのカテーテル挿入である。尿閉はつらいらしい。同時に、この作品には、コバルト照射というガン治療の様子が書かれている。しかし、どこのガンかは書かれていない。この作品を読んだ中野重治は、室生犀星が自分のガンのことを知っていたのかどうかを問題視している。この頃はまだガン告知は一般的ではなかった。星野晃一は、犀星はガンのことを気づいていながら、知らないふりをしていたのではないかと書いている。
話は変わるが「対手」という言葉が出てくる。これは日中戦争の時に、当時の首相・近衛文麿が「蒋介石を対手にせず」といって話題になった。「対手」はあいてと読まれていたが、それは本当だろうかと疑問に思っていたが、この作品で犀星は普通に「対手」をあいてとして使っている。この世代にとって通常の用法だとわかったのが思わぬ収穫であった。
2023年11月11日
松山愼介
会話だけで物語を展開していることに、まず驚いた。作者も自信がなかったが、書いていく内に先が見通せるようになったらしい。(赤井赤子 上山)
『蜜のあわれ』については『火の魚』に次のように書かれている。
実はその小説は一尾の金魚に託して私の昔知った女の人を描こうとしたもので、たわいない小説であるが、そのたわいなさが書いたあとまで私に宿って、困っているとでも言える小説なのです。
『後記 炎の金魚』にはこうある。
作家の慾はふかく実力はあさい。……作家というものの五体のところどころには不死身の箇所があって、いくら年月が経っても死なない部分だけが、色を変えずにつやつやと生きている。
作家が老境に差しかかっている。その家の庭には小さな池があり、そこには何匹かの金魚やメダカがいるという風景を想像してしまう。そこから作家の想像力が膨らんでいく。
星野晃一『室生犀星』 によれば、金魚のモデルとなったのは、大丸デパートの時計売り場の店員、小山万里江さんということである。彼女は昭和三十五年十月頃から住み込みの秘書のような存在となった。妻・とみ子さんの死は昭和三十四年十月である。
この作品を読んで、川端康成の『眠れる美女』を思い出した。老境に差しかかった男性の性の問題をエロス的に取り上げている。それに比べれば、『蜜のあわれ』はメルヘン的といえる。しかし、その中にも作家の業のようなものは感じられる。
『われはうたえどもやぶれかぶれ』は、室生犀星の最後の病院での話が主になっている。メインは尿閉による、尿道へのカテーテル挿入である。尿閉はつらいらしい。同時に、この作品には、コバルト照射というガン治療の様子が書かれている。しかし、どこのガンかは書かれていない。この作品を読んだ中野重治は、室生犀星が自分のガンのことを知っていたのかどうかを問題視している。この頃はまだガン告知は一般的ではなかった。星野晃一は、犀星はガンのことを気づいていながら、知らないふりをしていたのではないかと書いている。
話は変わるが「対手」という言葉が出てくる。これは日中戦争の時に、当時の首相・近衛文麿が「蒋介石を対手にせず」といって話題になった。「対手」はあいてと読まれていたが、それは本当だろうかと疑問に思っていたが、この作品で犀星は普通に「対手」をあいてとして使っている。この世代にとって通常の用法だとわかったのが思わぬ収穫であった。
2023年11月11日
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