森村誠一『新版 悪魔の飽食』 松山愼介
『悪魔の飽食』は出版された時に読んでいる。それなりに衝撃的な内容だった。しばらくして、続編が出版され、そこに載った写真が七三一部隊と関係ない写真であると報道されたので、その時は続編以降を読んでいない。
第一部は、満洲・平房での、七三一部隊の実態、人体実験の内容が、第二部(続編)は戦後における七三一部隊の動向、同時期にアメリカで七三一部隊の資料を発見したジョン・パウエルについて、第三部は森村と、秘書役の下里正樹による、中国・平房での現地調査のルポとなっている。第二部での写真誤用問題で、光文社がこの本の出版から手を引き、森村誠一の『人間の証明』や『野生の証明』を出版していた角川書店が後を引き継いだ。
森村はこれ以後も『〈悪魔の飽食〉ノート』、『ノーモア〈悪魔の飽食〉』を晩聲社から出版している。『悪魔の飽食』がなぜ書かれたのか、なぜ写真誤用問題が起こったのかとか、森村と下里正樹の関係などや、『悪魔の飽食』の反響と、森村に対するインタビュー、井上ひさしらとの対談も含まれている。
『悪魔の飽食』のような内容をノンフィクションとして出版する場合は、書き手に慎重な姿勢が要求される。内容は、元七三一部隊の隊員からの聞き取りが主になっている。取材した人間はその人物の話し方や態度から、発言内容の真偽はある程度判別できると思われるが、読者は書かれた文章がすべてである。今回、読み直してみて少し森村の行き過ぎを感じた。七三一部隊の人体実験の内容や、そこでおこなわれた残虐行為を知らしめたいという熱意は伝わってくるが、森村の推測も混じっている。どこまでが聞き取りによる事実で、どこからが森村の推測かを明確にした書き方をしていない。
第二部では細菌兵器について書かれている。朝鮮戦争でアメリカが細菌兵器を中国軍に対して使用したとする中国の抗議声明に触れている。ここでこの細菌兵器は、アメリカが七三一部隊の資料に基づいて造ったのではないかとしている。日本軍の風船爆弾についても書かれている。風船爆弾は耳にしていたが、アメリカ本土についたものもあり、その中身は細菌兵器だったとしているが、いずれも森村の推測である。
森村の秘書とされる下里正樹は、「赤旗」の記者で松本清張も担当していた。この『悪魔の飽食』でも、渡米してジョン・パウエルを通じてのアメリカでの七三一部隊に関する資料の調査や、誤用された写真の受け取りにAさん宅に出向いている。一部では、『悪魔の飽食』は森村と下里の共著ではないかといわれているが、森村は、これを明確に否定し、下里は協力者ではあるが共著者ではなく、作者は森村であるとしている。
森村のエッセイを読んでいると、『悪魔の飽食』を書いたのは、二度と戦争をおこしてはならない、現行憲法第九条の擁護という考えからのようである。この時期、中野孝次らによる「反核署名運動」が行われていた。その影響も受けていたようである。この中野孝次の「反核運動」に対しては、吉本隆明が『反核異論』を書いている。
下里正樹は、「赤旗」に特高警察について執筆し、戦前の共産党幹部・市川正一が、特高に屈服し供述に応じたというところで、共産党からストップがかり、長期間、査問されたうえ除名されている。森村も下里の共産党除名に抗議し、共産党と絶縁した。一九九四年のことである。
『悪魔の飽食』という題名は、七三一部隊の人体実験に参加した隊員や、科学者・研究者が悪魔で、人体実験のことを「飽食」といっているのだと思うが、七三一部隊では、内地では考えられないようなビフテキ等のごちそうが振るまわれたという個所もあるので、単に七三一部隊では豪華な食事をしていたというように誤解される恐れもあるように思う。
帝銀事件は七三一部隊の人間が関与している疑いが濃いが、『暗殺』で話題になっている柴田哲孝によると、下山事件も七三一の部隊の人間が関与しているらしい。真偽は不明だが、下山国鉄総裁は血を抜かれて殺されたともいわれている。七三一部隊でも、どれだけ血を抜けば人間が死ぬのかを実験していたという。
2024年7月13日
『悪魔の飽食』は出版された時に読んでいる。それなりに衝撃的な内容だった。しばらくして、続編が出版され、そこに載った写真が七三一部隊と関係ない写真であると報道されたので、その時は続編以降を読んでいない。
第一部は、満洲・平房での、七三一部隊の実態、人体実験の内容が、第二部(続編)は戦後における七三一部隊の動向、同時期にアメリカで七三一部隊の資料を発見したジョン・パウエルについて、第三部は森村と、秘書役の下里正樹による、中国・平房での現地調査のルポとなっている。第二部での写真誤用問題で、光文社がこの本の出版から手を引き、森村誠一の『人間の証明』や『野生の証明』を出版していた角川書店が後を引き継いだ。
森村はこれ以後も『〈悪魔の飽食〉ノート』、『ノーモア〈悪魔の飽食〉』を晩聲社から出版している。『悪魔の飽食』がなぜ書かれたのか、なぜ写真誤用問題が起こったのかとか、森村と下里正樹の関係などや、『悪魔の飽食』の反響と、森村に対するインタビュー、井上ひさしらとの対談も含まれている。
『悪魔の飽食』のような内容をノンフィクションとして出版する場合は、書き手に慎重な姿勢が要求される。内容は、元七三一部隊の隊員からの聞き取りが主になっている。取材した人間はその人物の話し方や態度から、発言内容の真偽はある程度判別できると思われるが、読者は書かれた文章がすべてである。今回、読み直してみて少し森村の行き過ぎを感じた。七三一部隊の人体実験の内容や、そこでおこなわれた残虐行為を知らしめたいという熱意は伝わってくるが、森村の推測も混じっている。どこまでが聞き取りによる事実で、どこからが森村の推測かを明確にした書き方をしていない。
第二部では細菌兵器について書かれている。朝鮮戦争でアメリカが細菌兵器を中国軍に対して使用したとする中国の抗議声明に触れている。ここでこの細菌兵器は、アメリカが七三一部隊の資料に基づいて造ったのではないかとしている。日本軍の風船爆弾についても書かれている。風船爆弾は耳にしていたが、アメリカ本土についたものもあり、その中身は細菌兵器だったとしているが、いずれも森村の推測である。
森村の秘書とされる下里正樹は、「赤旗」の記者で松本清張も担当していた。この『悪魔の飽食』でも、渡米してジョン・パウエルを通じてのアメリカでの七三一部隊に関する資料の調査や、誤用された写真の受け取りにAさん宅に出向いている。一部では、『悪魔の飽食』は森村と下里の共著ではないかといわれているが、森村は、これを明確に否定し、下里は協力者ではあるが共著者ではなく、作者は森村であるとしている。
森村のエッセイを読んでいると、『悪魔の飽食』を書いたのは、二度と戦争をおこしてはならない、現行憲法第九条の擁護という考えからのようである。この時期、中野孝次らによる「反核署名運動」が行われていた。その影響も受けていたようである。この中野孝次の「反核運動」に対しては、吉本隆明が『反核異論』を書いている。
下里正樹は、「赤旗」に特高警察について執筆し、戦前の共産党幹部・市川正一が、特高に屈服し供述に応じたというところで、共産党からストップがかり、長期間、査問されたうえ除名されている。森村も下里の共産党除名に抗議し、共産党と絶縁した。一九九四年のことである。
『悪魔の飽食』という題名は、七三一部隊の人体実験に参加した隊員や、科学者・研究者が悪魔で、人体実験のことを「飽食」といっているのだと思うが、七三一部隊では、内地では考えられないようなビフテキ等のごちそうが振るまわれたという個所もあるので、単に七三一部隊では豪華な食事をしていたというように誤解される恐れもあるように思う。
帝銀事件は七三一部隊の人間が関与している疑いが濃いが、『暗殺』で話題になっている柴田哲孝によると、下山事件も七三一の部隊の人間が関与しているらしい。真偽は不明だが、下山国鉄総裁は血を抜かれて殺されたともいわれている。七三一部隊でも、どれだけ血を抜けば人間が死ぬのかを実験していたという。
2024年7月13日
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