Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

フィレンツェ 遊学を振り返って

2017年01月20日 | 旅行
今 思えば、かなりの方向音痴の上にひとり旅も初めてなのに、よくこの計画が実行出来たものだと自分でも感心しています。

楽譜上のイタリア語の響きに語学としての興味を改めて持ち、ひとりで勉強を始めて2年目頃にイタリア語教室に参加。パズルのような文法にすっかり嵌ってしまいました。 軽く始めたイタリア語の勉強でしたが、「イタリアでイタリア語を体験したい。」と思うようになりました。

そして、イタリア語の入り口に立ったばかりの私でしたが、「思い立ったが吉日」で去年実行に移したわけです。まず、小さな街で、治安の良いフィレンツェの学校を決め、後はネットで飛行機の予約などなど手続きを済ませていきました。

まず、行きはドゴール空港、帰りはアムステルダムでの乗り継ぎ時間が1時間10分しかないという心配がありました。でも どちらも飛行機の整備遅れで無事に間に合いました。 こんな事もあり、ホームステイ先に着いたのが真夜中だったので 寝不足のまま学校へ。

学校のクラス分けの筆記試験があり、数枚のテスト用紙を見た私は・・・。「アッ~~~~。文字が小さぁ~~~~~~~~い‼︎」 周りは10代、20代の若者たち。
面接は「どのくらい イタリア語を勉強したのか」などの簡単な質問でした。

イタリア人、イタリアの生活はイタリア旅行でのものとは異なり、現地で実際に目にし、体験したことは少々強烈に感じました。

何かと便利で近代的な日本とは違うイタリアでの生活は不自由でした。 街中に自動販売機がない、コンビニはない、お風呂は気を遣いながら使うシャワーのみ。湯船にゆっくりと浸かって、精神と身体を癒したかった。ε-(´∀`; ) 勿論、トイレのウォシュレットはない!

イタリアには原子力発電所がなく、フランスから電気を買っているために光熱費が大変高いので かなり始末しながら使っているようでした。個人宅はクーラー無し。でも 石造りの建物のためか部屋の中は、暑くはありませんでした。エレベーターがないので、重い旅行カバンはもちろん自力で。ホームステイ先は3階(イタリアではsecondo piano〔2階〕という)だったので、かなりたいへんでした。石の階段で、3階が遠かった。~_~;
イタリア人の目の色は日本人と同じ黒だが、色素?が少し違うようで暗闇でも結構見えてるらしいということを現地で聞きました。そういえば、ホストファミリーのマンマも薄暗い台所で電気も点けないで、片付けてました。

イタリア人の性格は(イタリア人だけでないかもしれませんが)、本当にNo,とSì(Yes)しかなくグレーゾーンは無い。思ったことをはっきりと表現し、感情は表に出す。その後は、何事もなかったかのように態度が変わる。控え目は決して通じません! 長年グレーゾーンで生活してきた私は、最初 「何んなの?(・_・;)」って感じでした。最初の1週間は、戸惑いました。 そのような性格だと理解し、慣れるとたいへん付き合いやすくなりました。グレーゾーンの生活よりもいいかも。
イタリア人と結婚している日本人スタッフ曰く「本当に困った時はとことん助けてくれる。」と。
また、イタリア男はみんな凄~~~~~~いマザコンだそうです。 真実だったんだ!
学校での勉強は大変でしたが、先生とクラスメイトのフォローもあり、楽しく授業を受けることが出来ました。

お別れの時、ホストファミリーのマンマが「あなたは、ほんとうに感じが良く、優しく、礼儀正しい良いゲストだった(褒めすぎ)。ありがとう。ほんとうにありがとう。」と涙を浮かべながら強くハグをしてくれました。 今も、メール連絡し合ってます。 クラスメイトだったイギリスの女子大生ともイタリア語でメールし、勉強になってます。

帰国時のフィレンツェ空港で、広告をペイントしてあるかわいい移動バス。



コミニュケーション力を磨いて、再チャレンジしたい。 A presto. ヾ(@⌒ー⌒@)ノ