Sbagliando si impara. (間違うことで人は学ぶ。)

イタリア語の勉強に、nonna ひとりでフィレンツェへ。自分のための記録。

コロナ禍の秋 No.2 Leggo due libri.

2020年09月27日 | 読書
「アメリカ 非道の大陸」 多和田葉子
13の短編からなるアメリカ大陸での人との交流で綴られていくストーリー。
多和田葉子独特の表現を感じながらも一般的な文章で進んでいく。
   
「あなたは」と主人公が二人称で語られることに、
最初はどうしても違和感があり馴染めなかった。
主人公(一人称)が登場し、主人公を柱に二人称、三人称が交わり、
ストーリーがスムーズに流れていく小説に慣れているから。

「もうひとりのあなた」が原稿の上で「あなた」と同行しながら、
場景を綴っているような感覚です。この感覚は表現し難い。
「あなた」と「語り手」が同時進行で、見て、会話し、感じそしてごちゃ混ぜになり、
時に私は不明に。(>_<);~@*

ニューヨーク、ロス、ボストン、シカゴ、フロリダ、砂漠の街ラスベガス・・・
出会った人々の車の助手席に乗ってアメリカ大陸を移動し、アメリカで暮らす人々
といろいろなコミュニケーションを取っていく。
どうも出会う人々はアメリカ国籍を持ってない、持たない二重国籍者や永住者等の
他国人のようです。また、出会う人は女性ばかりだったような・・・。

「第6章きつねの森」では
北ヨーロッパ人にしか見えないネイティブ・アメリカンの女性に会う。
ここではネイティブ・アメリカンにカジノ経営の利益が入るように
なっていることで暮らしが成り立っているようです。

どうもネイティブ・アメリカンという言い方は単にインディアンの非差別語を
言い換えただけではないようです。
西洋人にしか見えない彼女のように
「たった1/8でもネイティブの血が流れているとネイティブ・アメリカン」と言えるようです。

最後の13章は、出だしからギョッとするような表現、内容で始まり、
「いきなりどうしちゃったの。何があったの」ってどぎまぎしました。
この章では「あなた」は助手席ではなく、カラスのお面をかぶった女を
乗せて運転席へ。

詩(カラスのお面をかぶった女の歌)を交えながら、文章が綴られていく
   「・・・(省略)・・・私だけが知ってしまったこと
         路地は空とおなじぐらい狭いこと」

声を出している身体がそこにあるかどうか、どうしても確かめたい。
走るのを止めないで確かめたい。

   「それ誰なの・・・(省略)・・・それ誰なの
        バックミラーに映ったら急に思い出した
          左右逆だったから分かったの
            あなたの見つめる水の中のあなた」

また、多和田葉子ワールドに迷ってしまいました。



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