私たちが本を読む時、文節を読み文脈を知ろうとする。
文節だけを読むと下らない文章でも 文脈を知る上で大切な言葉(文字)となる。
それを理解するから、「この文章はくだらない!・・だからこの本は読むに値しない」とはならない。
しかし日常の中においては、多くの人が文節だけを切り取って、評価を下す。
例えば、家を建てたい人が展示場に行き、システムキッチンが気に入ったからと その業者に家を託す。
家は文脈で・・キッチンは文節、文節が素晴らしいからいい内容の本だとは言えない。
「あの展示場の営業マンがとても感じのいい人だったので 決めました。」と言った人が居るが、営業マンは多分素人で、家の事は全くわからず、会社で営業の訓練を受け、その上にその人の人柄が出ただけ
かも知れない。
この人が家を作っても、いい人だけでは家は出来ないし、その人が建築知識を身に着け、家を手掛けてくれなければその良さは家には生かされない。
「一坪25万8000円で家が出来ます」これは文脈だが、文節を読み進むと、含まれていないものがいっぱい出てくる。
しかし、人間は一歩足を踏み入れ、決めてしまった事を覆すのは
恥と思っているのか、止まれない。
特に日本人には 途中で見直しリセットすることを嫌い
リセットされる事も嫌う人種なのかもしれない。
団体行動をするときには、自分が途中で嫌になったと離脱することは許されない場合はあるにしても、自分が一生懸命貯めた資金で、家を建てるのに、文節だけで決め、途中で間違いに気づいても 思い直し
リセットできる勇気を持った人が少ないのだろう。
「今更止められない」・・「また一から考えるのも大変だ!」とあきらめてしまい、何千万円も出し、新建材とクロスまみれの家に住まなければならない事になる。