よく分かる 住まいづくり・・(檀建築コンサルタント)

私達の考える住まいは、住まいづくりの原価を探り、無駄のない資金で、遊び心のある家を作る事。

財産を守る意識

2009-09-30 11:00:39 | とりとめもなく

国の予算の使われ方が今取り沙汰されている。
県、市、都、国に至るまで、今まで我々が目の届かない聖域があり、結局その中で誰の指摘も受けず、国民の税金は都合よく使われて来た事が、徐々に明らかになりつつあるが、今後何処まで役人の意識を正せるかが問題となってくる。

監査委員も形としては整っているが、それは役目を果たしておらず、無駄を無くす意識すら持っていないように思える。
本来、役人が、国民の為に働くと言う意識を持って望んでいれば、殆どの無駄は指摘される以前になくなるはずなのだが、今尚メディアに取り上げられて初めて苦しい言い訳をし、その後改正する始末、指摘されて始めてやめるというような意識が問題なのだ。裏を返せば、指摘されなければ止めないという事になる。
公務員は、正当な報酬を受け、この時代においてはむしろ一番安定した職場に就き、決して解雇されない安定している職場にもかかわらず、国民の為に働く意識を持たず職場の待遇を守り、結局自分を守ろうとしている。市町村役場、都庁、国会、霞ヶ関、警察、自衛隊なぞなぞ、国の予算が使われているその他多くの組織の中で同じようなことが、闇の中でうごめいていることは推測できる我々国民は、疑う事無く信頼し国を任せてきたが、任せた結果行き詰まりが跳ね返ってきて、それを国民が負担しなければならない事になってきたが、これは私達も反省しなければならず、自分の身は自分で守る意識を持っていなかった事も反省しなければならない。
これからは、国民が自ら守る術を考え、オンブズマンのような、全く組織とは関係のない第三者機関によって見極める目を持たなければならないのがこれからの時代だと言える。

国の財産を守るために、我々国民の意識を変える必要があるが、私が長年建築に携わって来て感じることは、住まいづくりの中で財産を守る意識が 弱いように思えてならない。
国の財産は1億人で守ればいいが、個人の財産は自分で全て守らなければいけない為もっと慎重になるべきなのだろうが、どうも安易に業者を信用して結局高い物を買わされ無駄にも気づいていないような気がする。

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もう一つの目

2009-09-28 11:25:47 | とりとめもなく

 国は新しい方向に駒を進めようとしている、長年一党独裁の中で、日本の国は腐敗し政治家は、国政に居座りたい為に公共事業を優先し、新幹線を引き込み、ダムを作り高速道路を作ってきた結果、バブルを生み出し株価は変動し、国民の生活は置き去りにされた。
バブルが崩壊し、その傷も癒えないままアメリカ発のリ-マンショックが追い討ちをかけ、日本経済は底を打ち、失業率は6%にも届く程の不況に追い込まれた。
日本経済立て直しを含め、今、新政権は日本の腐敗してしまった膿と、腐敗するであろう事業を見直そうとしている。
147のダムと、優先順位の低い公共事業を含め、見直し、国民の血税を有効に使えるよう国の為に働く使命を持って、政治家、官僚、地方役人、全てがもう一度自分の役割を考え 国民の為に人力を尽くして頂ければと願っている。

過去に作り上げてきた公共事業の殆どは、表向きは公平さを装い、競争入札の形は取ってきたが、殆どは談合の中で決められた価格、国がはじき出した予算の95%以上の入札価格で落札された工事が殆どで、政治家や官僚は何の疑いも持たずと言うより、持てず発注してきたのだろう。
公共事業を引っ張る政治家、それを現実のものにするための策略、権力者を金で動かし、接待し、礼金を払い公共事業反対派を沈め、美味しい夢と、美味しい条件を提示し、何千億円もの金を、湯水のごとく使ってきたのが今までの日本。

湯水のごとく沸いて来るお金、何処にどう使おうと自分の腹は痛まず、資金が不足すれば、法律を作り国民から税金という形で吸い上げれば事は足りていた日本。
しかし、やっと今、国民もそのことに気づいた。
市民の目線に立って事を決めていく大切さに気づき始めたのかもしれない。
しかし、まだ私達国民は、本当のところ無駄を無くす意識をもっていないような気がする。
国家予算の濃縮されたものが、私達の家計、その中で私達は日々の生活を保つ工夫はしている。
無駄を無くす為で切るだけ安い食材を探し、衣服はバ-ゲンで買い、ご主人の小遣いは大幅カットされ、手弁当や、コンビにでおにぎりを買い家計を守っている。

そんなやりくりの中での住まいづくりは、今までその家庭が節約し無駄を省いて来た事が生かされ、或いはその意識が住まいづくりに生かされているかと言うと、殆どの人は住まいづくりの中に、無駄を無くす意識が見られないのが現実なのです。

何処か、今まで日本がやってきた公共事業に似ており、一個のダム建設の費用が高いか安いかのさえ検討もつかないし、自分の税金が使われていても、一旦手を離れたお金なので、言及する意識もない為、建設費は修正される事無く政治家や、官僚の言いなりで
予算は当てられて来たのだ。
市民レベルにおける”住まいづくり”もしかり、高いのか安いのか分からないから
結局は、業者のいいなりになってしまい、品質と金額を照らし合わせた時、「何でこの品質で、こんな高額な予算で納得し契約するのだろう?」と何時も考えさせられる。

2000万円もあれば十分出来る家を、3000万も支払いクロスと、シ-ト貼りの偽物の造作材と、薄板を貼った新建材の床板とで出来上がった、殆ど自然素材は使われていない見せ掛けの綺麗さに満足し、3000万円を支払った事に疑問さえ持っていないのが現実なのです。日々生活の中で、衣服をバ~ゲンで買い求め、安い食材を広告で探し、車を走らせ

ご主人は、コンビにで昼食を取り、住まいづくりの自己資金を貯めた努力が、活かされず、大きな無駄に気づかす、無駄をなくして作った資金が、無駄の中に吸い込まれてしまっている。
国の公共施設も、私達個人の家づくりも、必要な事は、無駄を無くす為の、もう一つの目を持つ事が、造るうえで必要になってくる事を認識すべきではないだろうか?

 

  住まいづくりの無駄を無くす為の相談をお受けいたします、PCの通信手段を使い、下記アドレスで交信可能ですのでご利用下さい。

 ヤフ-メ-ル      riki_2236xxpp@yahoo.co.jp
 スカイプ         dan28121
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私のプロフィ-ル

2009-09-17 10:56:02 | とりとめもなく

私が建築の仕事に就き始めたのが、19歳の時、建築設計も考えたが、骨組みが分からなければと思い、構造計算事務所に就職したのだった。

その頃はまだ卓上計算機はなく、有っても金額は高く事務所にもそんな便利なものは買ってはもらえなかった。毎日毎日、朝早くから夜の最終電車まで仕事をし、そのおかげで多くを勉強することが出来たことは、今振り返ってみれば有りがたかったと思っている。

その頃事務所は、主力を海洋博に置いていたので、沖縄海洋博 が終わった頃、仕事が入らなくなり若い従業員から辞めさせられ、事務所を縮小した。結局2年の計算実務の中で、多くの事を勉強でき現在に生かされている。その後、当初からの目標であった建築設計の方向に進み、5年間設計に従事していく中で、机上だけでは分からないところが多くなり、

現場に出て、現場監督の仕事に就き、それまでの机上の仕事とは違い、仕事を前に進める為と予算を守る為に、敏捷さが要求され、即決の答えを出さなければ仕事が前に進まない事も多くあり、的確な判断が求められるのが現場の仕事で、苦しい事も、辛いこともあったが、充実感は確かに感じられ物づくりの良し悪しは、現場の動きによって大きく変わってくる事も理解できた。

現場では多くの失敗があり、その失敗の分だけ知識として残った。 大きな失敗はなかったが、目立つもの目立たないものも含め、自分の中で「こうしとけば良かったのに・・」と思った事が今では自分の経験となって、生かされている。

現場が楽しくて、結局8年間の長い期間現場で働かせてもらい、その後設計には戻らずハウスメ-カ-で自分の知識と経験を試してみたくなり、セ-ルスエンジニアとして5年間で2社のメ-カ-を渡り歩いた。

その頃、一級建築士で、構造計算と建築設計と現場を経験したセ-ルスマンは少なく展示場に訪れるお客様を説得するのには十分な武器を持っていたことになったのか、 あまり苦労はせず売り上げを伸ばす事が出来、年収も一千万を超えるまでになったが、 結局、年収を守る為、金儲けの為に働く事になって行く自分が嫌になり、軌道修正をする事を決め、39歳になった時その年収を捨てた。

 結局、技術屋は技術屋としてのプライドがあり、私を信頼して家を建てる決断をさせたクライアントに対し、工場で作られた建物や、利益最優先で考え出された、人に優しくない商品で家を組み立てて提供するのが申し訳なく、またクライアントの家づくりに対する思いを出来るだけ多く叶えてあげたいと思い、40歳で、設計事務所ではなく、もっと敷居を低くした、クライアントと同じ目線で家づくりを出来ればという想いで、設計コンサルタントとしての事務所を設立して、既に15年が経過し、多くのお客さんに恵まれ、気に入って頂いた作品も残すことが出来た。

設立当初から原価を基本に予算づくりを進めてきた結果、多くの無駄を省く事も出来、施工業者も当社の趣旨を理解し、本来の家を作るため持っている全ての力を家作りに注げる技術屋集団を作り出す結果ともなり、それが現場に形として現れるようになった。

その証として、デジブックに編集した写真集を公開し、それに伴うエピソ-ドも書かせていただき、また自然素材で作る良さを少しでも感じ取って頂ければと思っている。写真や、文章ではなかなか表現出来ない部分は有りますが、予算を生かし無駄の無い納得できる”家づくり”のきっかけとなれば幸いです。

デジブックURL

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物づくりの原点

2009-09-12 09:51:37 | とりとめもなく

私は元来より物づくり馬鹿なのかもしれない。
まあ・・・それでいいと思っている。
そこにはきっと共通したものがあり、野球馬鹿から見た人生観も、釣り馬鹿の人生観も
結局行き着くところは同じなのだろうと思っている。

建築設計から物づくを観て来たが、向き合っているのは人間で、魚とは少し違うところはあるが、共通する所は、魚の心理を読むか・・・(笑)
人間の心理を読むかの違いで、相手は違っても、こちら側は本人である事は変わらない。

魚と違い、少し厄介な所はあるが、しかし楽しい事もあり、それはそれで納得できるものであり、魚をヒットさせたときの快感に劣らない刺激も感じることは出来る。
まあ・・とにかく楽しい事はいいことで、共有する時間を持ち、その中から新しいものが生まれ、形になっていく楽しみは、こちらにもあるが、大切な事は、自画自賛にならず、相手にどれだけの満足感を与え、また喜びを与えることが出来るかが私達の役目なのだろうと思っている。

仕事を通じ見えてくるものは、自分自身でもあり、向き合う人の情熱やこだわりが浮き彫りにされ、その強さによって進む方向は少しずつ変わっていくような気がする。
この事務所を訪れる人は様々で、色んな色を持ち、その濃さも違い価値観も違った人達がやってくる。

強烈な色を持ち、自尊心が強くわが道を突き進む人。
相手の話も聞き、しっかり自分の考えを伝えようとする人。
など、違いをはあるが、共通しているのは、造る方法が分からず、迷っている所にある。
その道しるべとなる標識をどのように表現すればいいのかが、私達が考えなければならない問題でもある。

道路標識のように、東京方面と書けばそれは意味をなすが、物づくりの道しるべは、
個人の意識の有り様で様々な受け取り方があり、憶測もあり、また不安もあるのだろう。
物づくりの基本は全て同じで、作りたい物は作りたい人の思いの中にあり、
料理をつくる人は、どんな料理にするか、どんな味付けにするかを自分の持っている知識と経験と、時に挑戦もあって料理という形になっていく、これが物づくりの基本でありつくるものが大きいからと言ってその基本は変わらない。

しかし、造る物が大きくなれば専門的知識が必要となってくるが、そこで忘れてはならないのは、
主役は造る側ではなく、望む側であり分からないからといって委ねてしまう
のは、作るのではなく、作ってもらう事になる。
結局、作ってもらうと言うことは、あくまでも受身になり、弱い立場を認めてしまい”任せる”となってしまう。
あくまでも、誰が主役であるかを事を忘れてはならず、その思いを実現する為に、造る側は、知識や技術を提供し、同じ目線で、同じ目的である”物づくり”の中で共鳴しあうべきなのだろう。


 


住まいづくりの変貌

2009-09-09 16:54:47 | とりとめもなく


 住まいづくりは、約半世紀の間に大きく変わってきた、まずは住宅ロ-ンの出現により、今まで資金が不足した人に、長期での融資が可能となり、ロ-ンの普及により住宅着工数が増え、それに伴い建売住宅が盛んになり、より早くより安く作る事が考案された。

仕上げ材においても、値段が安いベニヤにプリントされた仕上げ材が生まれ、それが新建材と呼ばれるようになり、現在もベニヤにシ-トを貼った建材が使われ続けている。

窓枠も、建具枠も、それからドアまでもが、繊維を圧縮した板に、木に似せたシ-トを張った商品が主流となっている。
昔は、殆どが自然素材で作られ、土と、木と、紙で造られた家が多く、風通しは良すぎたが、シックハウスと言う言葉さえなかった。

私達は、時代の流れの中で、豊かさも手に入れ、過去において住宅着工戸数は、ピ~ク時で年間170万戸を記録し、住宅全盛期を迎え、大手企業が住宅産業に参入し、資金力のある企業が全国規模で支店を出し、それがハウスメ-カ-と呼ばれるようになり、展示場展開で集客率を上げ、年間6000棟~12000棟を受注する規模となった。

展示場に行って実際建てている建物を観て、参考にしながら計画を進める方法がそれまでに無かったためか、その手法は、住まいづくりを考えている人達にとっては、新鮮さと、大企業であると言う安心感を与え、展示場展開は大成功を収める結果となった。
その中で新建材は重宝され、造る側にとっては、クレ-ムの少ない建材となり、表面が綺麗であれば受け入れられる商品が開発された。

カンナは不要で、両刃鋸も必要なく、ホ-ムセンタ-で売られている700円のレザ-ソウ鋸があれば用は足りる。
幅木も廻り縁、ドア枠さえも全てシ-ト貼りで造られたもの、壁は700円程度のビニ~ルクロス、天井もビニ~ルクロス、ドアさえも、3ミリベニアニシ-トを貼ったフラッシュと言われる中が空洞のドアで、足でければ突き抜けてしまうようなドアもつくられ、1万円で造れそうなドアが、枠セットで7万円で売ってる場合もあった。
床フロア-は、ガムテ-プを貼って、後にそれを剥がせば上に貼ってある化粧板(突板)が塗料と一緒にめくれてしまう商品さえ平気で使われ、今尚、某メ-カ-は使っている。

これ等の建物が大量生産のコストダウン効果で安ければいいのだが、安いとは言えず、我々が造る建物より遥かに高い金額に設定されている。
高い建築費は家に生かされず、経費に消えているからだ。


ハウスメ-カ-と呼ばれる全国展開の企業の場合、建設費の25~35%が経費として必要になり、宣伝広告費、無償で配布されるパンフレット費用、事務所経費と展示場経費、人件費の他に下請け工務店経費、本社に当てる上納金等が経費となり、3000万円の家が、実際は2000万円で造らないと会社は維持できないのも理解できる。

私達の事務所にも、メ-カ-と交渉中の方や、予算に合わない理由で断ったと言うお客様が来店され、変更後の設計内容と、その予算の開きに驚かれるのですが、私達が魔法使いでもなんでもなく、原価で積み上げた、当たり前の予算を提示し、建物に予算を生かしているからメ-カ-の提示した予算と内容とを比較すれば、違いがでるのは当然の事といえる。

このようにして単純に考えても高くつく理由が分かる筈なのですが、実感として捉えられず、どれほどの無駄を支払っているかも分からないのが現実なのかもしれない。

これからの時代、私達は好景気を待つのではなく、無駄を無くし本当の意味で、中身を重視した建物を造り、財産を守り、それに伴う無駄を無くさなければならない。
自らが守る方法を考えなければ、結局、自分に跳ね返って来る事となる。

 

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勇気

2009-09-07 10:17:08 | とりとめもなく

見直す勇気、変われる勇気

 

自由民主党の時代が国民の一票から変わった。国民に変える勇気があったからに違いないが、しかしここまで来るのに長い年月がかかり多くの無駄を生み出した。 その為、多くの借金を国民に背負わせ、官僚達は我が身を守れる環境をつくることに精を出し年間12兆円を私達の国民から支出させるまで、野放し状態で今まで来たのだ。

これから、国が重きを置かなければならないのは、無駄をなくし、国民の為になる税金の使い方をしなければならない事は、周知の事であるが、国民一人一人も、その意識を持たなければならない。               その中でも、最も大きな個人の無駄は、住まいづくりの中にもあり、金額の大小だけではなくエネルギ-の問題や、環境の問題にたいしても影響していく事にもる。 この中には、気づかない無駄があり、指摘され或いは比較して初めて見えてくるものが殆どで、一般ユ-ザ-には最も分かりにくい品質の優劣がある。品格法も施工されたが、これも場合によっては、業者の高い建物になった言い訳にされ品質が良くなるのだからと、言われるままの言葉を飲み、対抗策のないまま前に進む事になってしまう。

今から、4年前家づくりを考え直したいと一人の奥様が友達と一緒に事務所にやってきた。多分一人で訪問する勇気が無かったのかも知れないが、話によると、その頃某テレビ局が放送していた視聴率の高い、増改築を取り上げた番組に、”匠”との表現で紹介された設計事務所で、設計した図面が出来上がり、施工業者から出された建物金額は、予定金額を600万円もオ-バ-する金額となったと言う。

設計者には、予定金額を最初の段階で伝え、それに沿った図面になっている筈だと思っていたが、その意向も満たされず、設計者いわく、「要望を満たせばこうなった」と言ったそうだ!600万円を調整するには、基礎工事を無料にし、内装を無料にし、屋根を無料にしても、まだ届かない金額で、実際無料で施工してくれる業者もいない。 既に50万円を施工業者に支払い、100万円を超える金額を設計事務所に支払い合計180万近い金額が、出費されていた。

予定金額から既に支出された金額を差し引くと、残った予算は、2000万円を切る事になった、設計事務所が依頼者の要望によって出来た広さは50坪を超えており、まず、要望を満たし、プランの無駄を無くし、45坪程度の広さに縮小、屋根も壁も外断熱で仕上げ、屋根葺き材を使わず、仕上げる事を提案。 屋根を断熱材のみで仕上げるのは、日本初だということもあって、直系60センチ高さ60センチの円筒に水を張り、底に断熱材で仕上げたサンプルを敷き、水漏れ検査を10日間かけて実験し、水圧による浸透も、水漏れも発生しなかった。

結局、45坪の家と、内装は殆ど自然素材で仕上げ、デッキを作り、高断熱サッシを使い、ロフトを作り、システムキッチンを別注にし、奥様はネットで安いコンロを探し出し、照明も奥様の工夫した手作りの照明器具も採用したのだった。

 結果、出来上がった建物金額は、消費税込みの1900万円をクリヤ- し、 当初計画した予算を逸脱することは避けられた。断熱も外断熱に加え、内壁側にもロックウ-ルを充填し二重断熱とした結果、二階の吹き抜けに設置したクラ-一機で夏は快適に過ごせ、電気代も1万円を超えることは無いと言う。

 このように、無駄を無くす意識と、間違いに気づきリセットできる勇気があったからこの家は実現したと言える。事務所を設立し現代に至るまで、10人以上のお客様の勇気に立ち会うことが出来それぞれに望む結果を出してきたのですが、問題は、多くのユ-ザ-が、建物をつくる段階で迷い、その迷いに答える手段に行き着く術を知らないことにある。

1万円の無駄は取り戻せる場合があるが、家は気に入らないからと言って、捨てることは出来ない。無駄の中でつくられた家であることすら知らないで住んでいる人が殆どなのだろうが、出来上がってしまった家は、気づかないで住み続ける事を祈しかないのかもしれない。


住まいづくりの怖さ!

2009-09-02 13:00:38 | とりとめもなく

 住まい作りは多額の資金が必要となる。
限られた予算の中で要望を満たし、納得できる家をつくるには、多くの要望を一つ一つ検証し、出来るか出来ないか結論を出した上で進めなければならない。

しかし、現実は思い描いたようには進まず、専門知識の乏しい中で、複数の業者から出されたプランを検討し、見積もり書を見比べ、予算に見合う業者を選ぶため、数字合わせに時間を費やす。
結果、内容や品質まで理解できないまま、決めてしまうケ-スが多く見られる。
本当にいい住まいは、ブランドでもなければ、安心でも無い。安心は買うものじゃなく本来は作り出すものの筈。

保障は必要なのですが、それを優先順位にしてしまえば、確かな品質を手に入れる手段にはならない場合が多く、中身の伴わない高額な家を買うことになってしまう。

住まいづくりで最も大切な事は、金額ではなく品質にある。
3000万円の家だから品質も良いとは言えない、場合によっては2000万の家に負けてしまう場合すらある。
そんな家が、今尚生み出されている、一生懸命貯えた資金や、長い年月をかけ支払うロ-ンで確保した資金を、高いのか安いのかも見極められず、簡単に決めてしまう傾向にある事は確かで、その要因は施主と施工業者が直接交渉する所に問題があり、
このような場合、知識を多く持った側が優位で、持たない側は、殆どが言いなりになってしまう。

交渉は同じ知識か、或いはそれ以上の知識を持って臨まないと交渉にはならず、特に建築の中においては色んな職種の集合体で出来上がる為、多くの知識と経験が必要となってくる。

 住まいの良し悪しを見極める為には、多くの情報が必要であり、建物の大小に関係なく一軒の家の内容を確認するためには、500~700項目の情報が書き出され、一つ一つの情報から、品質とそれに見合う金額を決め、査定し、それらを集計して初めて建物の価値が決められる。

このように、住まいづくりは、書かれた金額を見比べ決まられるものではなく、出来あがってしまえば後戻りは出来ず、長い年月をそこで暮らすことになる。

文字で書き綴っても、なかなか理解できないだろうが、以前 当社を訪れたお客様が既に某工務店と契約し、200万の契約金を支払ており、契約書の内容の不透明さと、それにより信頼が築けない為、もう一度検討しなおしたいとの事から、結局200万の契約金を放棄し、当社でプランから組み直した。

屋根はガルバリュウム鋼板で葺き、外壁は外断熱を使い、断熱効果を高めるため、内側にもロックウ~ルを充填した二重断熱を採用、子供さん、奥様共アレルギ-体質であった為、内装 は殆ど自然素材を使い、床は30ミリの無垢板、壁は珪藻土、家具は全て作りつけ家具とし、47坪の広さの家が2400万円で出来上がった。

建築途中この建物の向かいの敷地で、某ハウスメ-カ-の家も動き出し、基礎が終わり3日で建物が立ち上がり完成まで2ヶ月。
奥様同士が友達で、完成後見学させていただき、内容と金額を聞いて驚いた!
35坪で2700万の家で、内装は殆ど全てが新建材でつくられ、壁や天井は全てがクロスで仕上げられていて、無垢の材料は何処にも見られなかった。
別注家具は何処にも見当たらず、どうしてこんな家が2700万も必要なんだろう、と疑問だけが残った。

当然、前の奥様もこちらの完成の折に見学に訪れ、ショックは隠すことが出来なかったのか、「家の話題は止めましょう!」と言った奥様の言葉が印象的だった。

建物は信頼出来る業者に依頼するのは当たり前、当然向かいの家も信頼が出来たから契約を交わし発注したのでしょうが、欠けていたのはその信頼を裏づけする確実な情報を手に入れられないまま、安心と信頼だけを買い、本来の建物の品質が後回しにされた結果、出来上がった後、両方の家を見比べて始めてその内容の違いの大きさに気づいたのだろう。

広さは10坪以上も広く、金額は300万安く、品質の違いは素人が見ても
その違いはすぐに分かる程。
このように、比べて初めて違いが分かっただけで、分からないまま過ごしている人も多くいることだろう。

結果論から言えば、出来上がってしまった家は、見比べる事無く分からないままの方が幸せなのかも知れません。
しかし、多くの予算を注ぎ込み、出来上がって落胆するのは可愛そうだとしか言えない。