3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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日本語講座

2010-03-14 17:41:54 | 英語
こんんな時間に更新してみる。
昨日見た世界弾丸トラベラーはあまり面白くはなかった。

こないだ韓国に行ったときの追記を書こうと思う。

新羅大学校の日語日文科の生徒とすごく仲良くなったという話を書いたんだけれど移動中のバスの中や、夕飯時など彼とずっと話をしていた。

俺自身が言語にとても興味があり、加えて全く未知の言語を第二言語として生徒に教えようとしている立場に就こうとしているのもあり、さらに俺は編集者と言う立場で、さらに国語を担当しているので日本語の知識は絶対に欠かせない立場にいるのである。

彼との話は本当に勉強となった。
なぜなら彼が話しているのは当然、第二外国語としての中間言語であり、彼の話す日本語から日本語の特に難しい部分を知ることができ、改めて日本語を見直すきっかけとなったからである。

大変失礼とは知りながら、彼の話す日本語で間違った部分をメモっておいた。
あ、断っておくがその場でメモった訳ではない。
それは本当に失礼になっちゃうから。
語学検定の面接官じゃあるまいし…

後で寮で思い返して持っていったメモ帳に記しておいたってことね。

全て書くとまた膨大な量になっちゃうので、俺が特に印象的だったいくつかを書こうと思う。

まず、一番多かったのが、

「頑張るしたい」
「寝るしたい」
「行くしたい」

という表現だ。

確かにこれはよくよく考えてみると難しいような気がする。

「頑張る」は普通に現在形の終止形で正しい表現。
そこに英語で言うwantの「~したい」って表現をつけることによって、
「頑張る」の「る」が「り」に活用し(この場合活用って言葉で正しいのか?)
「~したい」の「し」が同化してくっつくわけだ。
で、「頑張りたい」という訳だ。

「行く」という終止形と「~したい」をくっつけると、当然「行きたい」となるわけだが「く」が「き」に活用し、「~したい」という「し」は脱落する。

確かにこの活用は難しいと思うな~。
英語とかwantの後ろにtoで繋いで後は動詞の原型をぶち込むだけだもんな。
上記の様に「行くしたい」って終止形に全部「~したい」をつければいいというものだったなら楽でよかったのにね。
それを俺たちは何の考えもなしに不自由なく脊髄反射で使ってるんだ。
言語直感、要は母語の賜物ですね。

次に似たようなものでは、
「~するですので」って表現。「行ったですので」

これも難しいよな。
「~する」+「~ですので」=「~しますので」
俺も説明ができません。

まず、「する」が「します」になっちゃうのが、彼にとって見たらなぜ?っ感じだろう。
俺もここに改めて書いてみて、なぜって思った。
敬語ってよく考えたらとてつもなく複雑だ。俺もぜんぜん完全には使いこなしていない。
てか初学者のレベルでは敬語とか意味不明だろうな。
しかも相手を敬う場合と自分が謙る場合とでまた表現が異なってくる。
め、めんどくせぇ…

しかも敬語の話になったときに、どんな人に対して使うのかって聞かれて、少々困ってしまった。目上の人って言ってその言葉を理解してもらえるとも思えなかったし、年齢が上の人に使うっていってもそれは果たして本当の定義なのか怪しかったし、どのような人に使うのかってズバッと説明するのは結構難しいなと。

で、俺が言った的外れな説明が、

「高い人に使う」

本当に意味不明だ。日本語を使用する日本人失格レベルのこの説明。

年齢的にも「高い」人、身分(この単語がまた面倒くさいけど)も「高い」人って事でこれが判りやすいかなって思ったんだけど全く意味不明だね。
で、今よく見たら、「背の高い人」、要はa tall man に使うように誤解されるきらいがある。ぜんぜん説明になっとらんですね…


この流れで、

「安い」の反対は「高い」
「低い」の反対も「高い」

これとかもめんどくさいよね。俺らは全然問題ないけど(問題あったらまずいけど)
普通に「高いね」って言ったときに彼は文脈で判断しなきゃならないんだから。

あと、説明に困ったのがこれ。

「雨が降ります」と「雨が降っています」の違い。

これは難しいよ。

ある雨の日にバスの中で彼が「雨が降りますね」って言った。
俺はこういう状況のときは「雨が降っている」だよって言った。

これは実際に現在降っているのだから、「雨が降っている」でOKだ。
それはいいんだけど、

じゃあ、「雨が降ります」ってどのようなときに使うのかを説明しようとして、暫し悩んだ。

よくよく思い返して「雨が降ります」という言葉を使う状況を浮かべようとするが、
思いつくのはひとつしかない。

それは、今は降っていないが、これから雨が降る事を知っている状況下で使うって事。

これ以外に何かありますか?

「雨が降ります」って表現は未来に雨が降るだろうという時にしか使わないような気がするのですが。気のせいでしょうか。

で、何でこの表現が未来のことを表すの?ってことを考えてみる。

丁寧語をとってみたら「雨が降る」だ。
これで終止形なんだから、「降る」だけで未来のことを表すのは不思議だ。
だが、実際に窓の外に雨が降っている状況で、
「雨が降る」とは言わない。「雨が降っている」となる。

なんででしょう。

「雨が降る」って言う動作(?)自体が進行形しかあり得ないからかな。
終止形は確かに「雨がふる」だけど実際に俺らが体感できる状況は「雨が降っている」時しかありえないからね。

英語でも普通に現在形で未来のことを表すことをする。
しかしこの場合、じゃあ、純粋に「雨が降っている」という表現を進行形と取って単純な現在形にしたら「雨が降る」となるが、この表現は現在で使うと未来のことを表現してしまうというおかしな状況が生まれる。

けど、よくよく考えてみたら、日本語の一動作動詞の終止形は全て未来を表現しているよな。
本当に純粋に現在を表す表現は進行形になっちゃうわけだ。

「私は日記を書く」ってのもこれから書くことだし。
「俺はお前を殺す」って言ったら現在のその瞬間には殺してないもんな。これから殺すわけであって。

英語みたいに現在形には日常の習慣的動作や進行形の代用、未来の代用といった意味が存在しているのでしょう。単純ではないわけだ。


難しい。

似たような感じでは
「おなかが空く」と「おなかが空いた」

これも一緒。

現在おなかが空いたときに「おなかが空く」とは絶対に言わない。
「おなかが空いた」となるわけだが、
じゃあ、「おなかが空く」ってどういう表現なのかというとまた未来じゃないか?

「朝飯抜くと、おなか空くよ」みたいな。

逆に「おなかが空いた」は現在で使う。

この表現は過去のことを表しているのではなく、英語で言う現在完了形として使われているのだろう。現在完了形が表現するのは一定の幅を持った終着点が現在のことだからね。

「(今現在、)おなかが空いてしまった」ってついにおなかが空くという状況に至ってしまった(完了した)とことなんだろうと思う。

ちなみに「おなかが空いている」といえば進行形で当然現在に使える。

難しいね。言葉って。本当に。

「覚えますか?」と「覚えていますか?」の区別も同様に難しい。

「覚えます」の場合は、これから何かを覚えようとしているのかどうかを現在の段階で聞くときに使う。
あんまり使う状況ないけど…
「これから何かを覚えようとしますか?」ってこと。
「ここはテストに出ないけど、お前、この部分覚える?」みたいな感じか。

逆に「覚えてますか」って「て」が入ると、過去のことを現在の段階で覚えているかどうかを聞く表現だ。
「ここはテストに出たけど、覚えてる?」とか。

疲れた…


しかもそのように中間言語を話す人と話すときには、彼の言わんとしていることを汲む能力が非常に必要とされるなってことを実感した。

彼は「最近」という言葉を言いたかったらしく、
何度も「今日の周り」のことを何て言うのでしたっけって聞いてきた。

最初は何言ってるんだ?と判らなかったが、
おととい、きのう、今日というこの辺の今日の周りは何ですかって聞かれてようやく理解した。

「今日の周り」=「最近」か… なるほどね。







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