斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

用水があったとしても。

2016年03月30日 22時51分04秒 | 斎藤秀俊の着眼
新潟県は水稲の盛んな地域ですから、用水がいたるところにあります。

昔、長岡市に海がなかったころの水難の統計です。ゼロ歳代は全員2歳児で、自宅の池に落ちてしまった水難。20歳代は信濃川でアユ釣りをしていた方が亡くなった水難。40歳代以上が、用水や池に落ちた方々です。歩行中や作業中に落ちたものです。


この用水への転落ですが、4月から8月までに集中します。9月から3月は池に落ちる方はいるのですが、用水に落ちる方の数は極端に減ります。

なぜか?

答えは、長岡市内の多くの用水の水量が9月以降急激に減るからです。つまり、用水に落ちても自分で這い上がるから、事故として統計にあがらないということ。そこに水があるから水難がおこるのであって、なければ水難にならない。だから、用水の必要のない時には少量の水だけ流す。これはもしかしたら長岡の昔からの生活の知恵なのかもしれません。もうすぐ4月、用水の水量が増えてきています。

なお長岡市内では、用水に落水した方が浮いて救助を待っていた例がきちんと出ています。助かるとニュースになりにくいので、ういてまての威力がなかなか伝わらないのが少し悔しい。




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