徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

欲深バースデイ!

2014年05月12日 | 日記
誕生日とは
その人の誕生を祝うためではなく
産んでくれた母親への
感謝をする日だと言われています…

振り返るこれまでの人生
辛く悲しい事よりも楽しさの方が
はるかに多く重なる…

それもこれも生まれてきたおかげ
産んでもらったおかげ…

グレゴリオ暦の本日五月十二日は
二度目の二十歳の誕生日…
もし御祝祝福をして下さるのなら
おめでとうの代わりに
明日、なにか良い事をして下さい…

それが多くの人の手を通り過ぎて
廻り廻ってきた時に
何倍にもなった祝福を頂戴します…

我ながら私は、欲の深い人間です…


今日生まれてきた全ての子供達へ
誕生日おめでとう…



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村

ありがとう御座いました…

暗夜の職務質問!

2014年05月12日 | 日記


職務質問なんつ~のは
いやはや相変わらず面倒臭~いですが
せっかく来てくれたお巡りさんを
邪険な扱いは出来ませんですからねぇ~
お巡りさん
毎日毎日ご苦労様でありますですます!
という訳でいつも通りな職質っス…

因みにこの公園は久しブリブリ二度目…
前回来たのは震災から一年後
見るからに大きく様変わりしてますね…
当時0.62だった線量も写真の通り
そしてベンチも一部なくなり
更には公園表土が全入れ替えしてます…
しかし剥がした表土を
一体全体何処へ持って行ったのか?
それが今の福島の大きな問題なんです…
除染をすればする程に汚染土が出る
それが積もり積もればアッという間に…
ハッキリ言って山が出来ますよね
富士山みたいな…
それをどこに持って行くかとなった時
誰もが自分の所じゃ嫌な訳ですから
どうしようも無く
あちこちにトン袋で積んであるんです…

ただし近づくと線量が高いので御注意!

余談ですがこの公園
静かだし周りは温泉がしこたまあるし
トイレは新しくて奇麗だし
水道あるしコンビニも近いんですけど
目の前が飯坂消防署なので
出動時に至近距離サイレンが聞けます!

今夜も既に救急車が二回出動とそして
前記した職務質問が御座いました残念…

余談ながらこの場所は
石那川の合戦で佐藤元治の軍を破った
鎌倉勢の御家人伊達朝宗の第四子
伊達四郎為家が城を築いた地でもある…
そしてもはや言うまでもないが
御家人伊達朝宗とは
御存知サンドイッチマン伊達みきおの
先祖にあたる人物で御座る…
↑↑↑↑↑↑
ホントだよ!

いゃちょっと何言ってるか分かんない♪


下にクリックバナーが御座いに御座い↓
気が向いた時はクリックを
気が向かなければノータッチを賜りたい
そんな心の置きどころ…

 クリック!
 ↓↓↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村

ありがとう御座いました…

元治、橋落とすってよ…

2014年05月12日 | 日記

平安の頃から
この摺上川のアッチ側とコッチ側とは
藤づるを編んだ吊り橋で
細いながらに繋がっていたと申します…
しかし平安の世も末となれば
時代の風向は平家よりも源氏へと流れ
さらに頼朝は
弟である九郎義経を追い
それを口実に奥州平泉に大軍を進める…

それが1189年の出来事…

だがそれを許さぬ時の領主佐藤元治は
義経討伐の鎌倉勢を迎え撃つため
自らこの吊り橋をザックリ切り落とし
石那川の合戦へと赴いた…

因みに元治の息子継治は屋島の戦いで
弟である忠信は京の都でそれぞれ
義経への忠誠を尽くし命を落している…

一方、鎌倉勢に敗れた一族は
日本海から陸路平泉を目指したが途中
義経自害の報を知り
今の山形県の南部海岸沿に漁村を開き
その後静かに暮らしたという…
かつてお邪魔したおり
集落の大井戸周辺に
その時の様子が色濃く伝承されていた…
井戸の前にはひっそり系拉麺店があり
前に訪れた時に
その店で門前払いされた経験が御座る…
今もこの目眼に刻まれているその風景
二度とほじくり返したくはない…

余談でガンスがこの佐藤家は
全国「佐藤姓」発祥のひとつとされ
ノーベル平和賞を受賞された総理大臣
佐藤栄作氏もまた
この佐藤家に繋がる家系なのだそうな…

話は脱線致しましたが
佐藤元治が切り落とした藤づるの橋は
その後架け替えられる事も無く
両岸から綱を張り舟をたぐる
「十綱の渡し」として長い年月を経た…

大正時代になり
アーチの橋が架かるが僅か一年で倒壊…
それから掛け替え修復を繰り返し
今日の十綱橋の姿美を見る事が出来る…

  飯坂の はりがね橋に雫する
  あづまの山の 水色のかぜ
             与謝野晶子

この地の風景をおさめた文人達もまた
多くの足跡を残している…


下にクリックバナーが御座いに御座い↓
気が向いた時はクリックを
気が向かなければノータッチを賜りたい
そんな心の置きどころ…

 クリック!
 ↓↓↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村

ありがとう御座いました…

武尊と麻呂と芭蕉と…

2014年05月12日 | 日記


兎にも角にも
飯坂温泉のその起源はだだっ古く
その昔坂上田村麻呂が
兵士の傷を癒やす為にこの湯場に
やって来たと伝わり
更に遡る大和武尊もまた
東征の折にここで入湯したらしい…
ところでそれって何時代?

その頃一帯は「さはこ」と呼ばれ
それは日本語というよりも
この辺りが倭国に組み入れられる
ずっと前からの土地の名だそうな…

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
とりあえず
疑問は残るけど置いておくとして…

さ~て、時代は下り元禄二年
奥の細道の道中に俳聖松尾芭蕉が
飯坂のくだりを
詳しく綴った記録をチラ見すると
かなりの散々な目にあったようで
聞けば気の毒御愁傷様
悪いとは思ったけど思わず笑笑笑~
かわいそうですけどね!
因みに当時
芭蕉が浸かったのが写真の鯖湖湯…
これまさに
飯坂温泉数ある湯めぐりの中でも
元祖ちゅうの元祖!
成分はアルカリ性単純温泉であり
浴槽温度は47℃と極めて熱~い!

そばに水道ホースがのびてるけど
水を足すと
年寄り達に怒られそうでザ・我慢!
しかしその年寄り方々も熱そうで
みんな歌舞伎役者のような形相也…

ひとつ腑に落ちなかったのが
芭蕉がその記録の中で
「飯坂」の事を
「飯塚」と書き違いをして御座る…
それを地元の古老に訪ねると
「訛ってっから聞き違えたんだべ」
とのベストアンサー頂戴しました…
あざ~す♪

実際、地元ご老人の発音なら微妙…

うん!なるヘソ(電球)!



下にクリックバナーが御座いに御座い↓
気が向いた時はクリックを
気が向かなければノータッチを賜りたい
そんな心の置きどころ…

 クリック!
 ↓↓↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村

ありがとう御座いました…