徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

少年隊士の墓前にて(後編)…

2014年05月24日 | 日記


「隊長ぉ~!」

慌てて詰め寄った隊士達に木村銃太郎は
命令を下す…
「この傷では助からない、先に行け!」
しかし、隊士達は引き下がらない…
「そんなの大した傷ではありません!」
「一緒に逃げましょう!」
だが、自分が一緒に行けば犠牲が増える…
銃弾の飛び交う
そんな差し迫った状況の中で木村は
最後の命令を隊士達に命じた…

「俺の首を斬れ!」

思いもよらぬ命令に驚きながらも一同は
それは出来ぬ事だと反論、しかし
無益な問答をしている時間はないと
なだめられ、首を落とす事と相成ったが
少年の非力と不慣れなせいなのか
上手く斬る事が出来ず
首を落とすまでに三度も刀を振り下した…
そして落とした首も重く
二人掛かりで持ち後退していったという…
しかし…
敵の攻撃をかいくぐり逃げた筈の城下で
信じられぬ光景を目にする…
「城が、城が燃えている!」
そこには紅蓮の火を噴き黒煙に包まれた
主家の陥落…
城下も殆どが新政府軍の手に落ち
所々に僅かに抵抗する味方の姿があった…


かくして戊辰最大の激戦
大壇口の戦いは、ここに終焉を告げた…
その後の少年達は各々果敢に戦いを続け
敵の凶弾に貫かれる者達や
敵軍に斬りかかり返り討ちにあう者など
二十五名中十四名の戦死者を数えた…

時代の流れとはいえ
維新の夜明けを前に殉じていった少年達
その壮烈なる戦死を偲び
心からの冥福を祈る参詣が後を絶たない…

隊長、副隊長以下
十四名の少年達の魂がこの場所にて眠る…

             大隣寺境内…




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少年隊士の墓前にて(前編)…

2014年05月24日 | 日記


幕末という激流に翻弄され時代に散った
若過ぎるその命達はいつも
会津白虎隊士の悲哀の影で語られてきた…
正規の藩兵では無く隊には名も無いが
その命を偲んだ後の人々は
彼らの事を「二本松少年隊」と呼び
静かなる大隣寺境内にその墓所は御座る…

明治元年七月二十八日
三春藩の突然の降伏とそれに続く守山藩
そのせいで二本松は
敵軍に横腹を突かれる状況となり
新政府軍が怒涛のごとく迫りつつあった…
藩の主力部隊は
白河口や日光の防衛に出たままで戻らず
尚且つその退路をも絶たれている為
老兵しかいない二本松城は
降伏してもいいほどの有り様であったが
「命を賭して真義を守るは武士の本懐」
と徹底抗戦をとる構えとなり
やむなく少年達に出陣を命じる事となる…
それは滅亡玉砕をも覚悟した
絶望へ向う戦いだったとも言われている…
そのため藩では
十二歳から十七歳までの少年六十二名が
緊急に召集され各隊へ配属
そして新政府軍との応戦体制に突入し
二十九日朝
隊長木村銃太郎、副長二階堂衛守率いる
少年隊士二十五名が大壇口へと出陣した…

この時新政府軍は城下へと迫り
さらにその別働隊が側面から押し寄せる
絶体絶命の状況でもあった…

大壇口に到着すると
隊長木村以下、二十五人の少年隊士達は
敵の進軍に備え陣を張り
速撃砲を構えて息を殺し、その時を待つ…
やがて進軍して来た敵を引きつけ
撃ち放った砲弾は二発三発と次々に命中…
新政府軍は大混乱となり
木幹のうしろや民家の影に身を潜ませる…
隊士達は尚も速撃砲を続けざまに放ち
敵の隠れる民家を次々と破壊、更に
新式銃で次々と敵への狙撃を繰り返した…
その射撃技術の正確さに
新政府軍はほとんど前に進めなかったと
後の大日本帝国元帥で
元薩摩藩士の野津道貫は後年語るほどに
凄まじいものだったと伝わる…

しかしながら多勢に無勢
最新兵器を装備している新政府軍に対し
徐々に戦況は悪化
それでも果敢に応戦を続けるものの
攻め寄せる敵の後続軍に包囲されて後退
竹藪に逃げ込むが
そこへ銃撃されるたびに
カカンカカカンと跳ね返る跳壇弾が飛び
更に危険な状況に追い込まれる…
そんな状況の中で
隊長木村の腰部のあたりを敵弾が貫いた…

「隊長ぉ~!」

体は膝をつき、ゆっくり土面へと倒れた…

            後編へつづく… 




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転落人生返り咲き!

2014年05月24日 | 日記


豊臣秀吉が若い頃の丹羽長秀という人は
織田家の家老として
はるかに見上げる存在だったらしいっス…
その後秀吉の権力も強力絶大となり
明智光秀を滅ぼして
織田家の相続権を得るようになると
「秀吉は主家を簒奪する」
と見る世間の目もどうやらあったらしい…
そんな秀吉の味方につき
保証人の役割を果たしたのが丹羽の長秀…
天下を取った秀吉は長秀を
北陸一円百二十三万石の大大名に置き
その時の恩義に十分なほどに報いている…
そりゃそうだ、しかしぃ!

そんな秀吉は受けた恩を余裕綽々仇返し…

長秀が死に子の長重が家督を継ぐや否や
まずは近江国二郡を没収~!
兎にも角にも秀吉にとって
丹羽家の利用価値は既に無くむしろ
政権が安定する程に丹羽家は邪魔になる…
そして二度目の領地削減ガッビ~ン!
更に二年後には信じられぬ大転落
加賀松任でたった四万石にまで落魄した…
ちょっとキツくね?

さて、その秀吉もご臨終でこの世を去り
手酷い仕打ちは無くなったものの
天下は次なる権力者である家康へと移る…
そしてその家康の天下分け目の戦いにて
事もあろうに石田光成方につき
結局南極所領のいっさい全てを没収~!
その後は江戸の芝浦で
ひっそり寂しく慎しい浪人生活をおくる…

さて百二十三万石から無一文の身となり
本来ここで物語終了となるところ
しかしまだまだ先があるのが丹羽の長重…
何故なら家康は長重を恨まずに
やがて常陸の国で一万石を与えているぞ!
しかしそれだけに留まらず
大阪夏の陣のあとには更に一万石の加増
家康の死の後にも
幕府は奥州棚倉にて五万石を与え
挙げ句の果てには白河十万石領主となる…

そしてその後の丹羽家は
のちに二本松へと移る事と相成りますが
譜代大名以上に徳川家への恩義を感じ
やがて二百六十年後の幕府瓦解まで
その気風を守り
会津と共に新政府軍との戊辰戦争を戦う…
負けちゃいましたけどね…

二本松の霞ヶ城という平山の城は
なかなか荘厳でおもむきがあり
頂上の天守台まで登ろうとすると
なかなかの玉汗が噴き出し心臓も大暴れ…
そんな城の天守台に
テントを張って一晩を明かしてみようと
目論んでは見たもののまさかな雨…
計画中止で撤収する運びと相成りました…

桜の名所ながら、今日咲く藤花も美しい…



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