徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

放射能から逃げた日【最終回】…

2014年05月20日 | 日記
生きるためには
自分で歩き出さなくてはならない…

縁もゆかりもなかった新庄の街で
この技術を生かし
米粉パンの店を始めようとした時
その背中を押してくれたのは
外でもない街の人達だったと言う…

自分たちだけでは出来なかったと
謙遜する彼女の言葉
正直この辺りのくだりが
僕にとってもかなりの涙ポイント
もの凄く感動しましたね…

因みにそのパン屋さんは
新庄市役所の真向かいに御座い候…
地元の方々にも大好評につき
僕がお邪魔した昼過ぎには
売り切れの品が続出御礼目白押し!

たとえ欧米にかぶれはしても
魂は捨ててない感じになれる
米粉パンは如何で御座いましょう?

ベーカリーカフェ「米パンダ」…
山形県新庄市住吉町三の十二
         0233-32-1621


飯舘村から避難した
パン職人のお姉さんとその家族達…
帰るか帰れないかの議論よりも
今をどう生きて行くかという事に
重きを置いている…
先の事よりも今
今を生きれずにこの先どう生きる…
その言葉が
全ての避難者達に問いかけられる…




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【続】放射能から逃げた日…

2014年05月20日 | 日記
定年後の父親は三年も四年もかけて
ログハウスを建て
荒れ地を耕し野菜作りを楽しむ毎日…
そこから眺める景色には
電柱も何も人工物がなにひとつ無く
その広がる緑の暮らしが
今までの人生を全てつぎ込んだ財産…
娘である彼女達も
生涯をこの村で暮らそうと家を建て
二人の子供を育てる傍ら
評判の女パン職人として働いていた…


原発事故が起こったのはそんな矢先
あの日、全てを失った…


              つづく…

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放射能から逃げた日…

2014年05月20日 | 日記
放射能が迫る福島飯舘村から
北へ北へと車を走らせた家族がいる…

ガソリンスタンドはどこも断られ
燃料が切れたのは新庄の街
どうも出来ず避難所に身を寄せるが
その避難所もやがて閉鎖
全村避難の飯舘村に帰る事も出来ず
父と母と幼い子供二人の事を考える…

この先どうすればいいのだろうかと…

のしかかる重圧の中で励まされた事
それは子供たちの存在だったと
彼女はそう言いながら静かに笑った…


飯舘村に来て
新庄で出会ったその家族を思い出した…
そしてこの村に広がる風景も
思い描く僕の想像を遥かに超えている…

              つづく…


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