輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

俺にとっての3月11日午後2時46分とは

2018年03月11日 21時50分07秒 | マツンのおもい

○約一週間前から寝不足

3・11が近づくにつれて東北大震災の特集が深夜BS放送で放映される。

今の俺が東北支援できることは「忘れないこと」だと割り切った。

当時どうだったのか、そして今はどうなのかを知ることだ。

○一番印象に残ったのは、気仙沼市立階上(はしかみ)中学校卒業式で答辞を読んだ梶原裕太君だ。

(抜粋)しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は、十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。

○あともう一つあげるとすれば楽天の星野監督だ。彼はもういない。

大変な目に遭った人は、たくさんいる。3・11が頭にこびりついていた。物は戻っても、心が前向きにならないと復興じゃない。

特に、子どもたち。強い者に憧れる。東京五輪じゃないが、楽天の初優勝という歴史を感じさせたかった。

○今日の7年後の14時46分はイトーヨーカドー武蔵境店の屋上に向かう昇りエレベータの中にいた。時間になったら30分の黙祷をという放送が流れていた。震度6弱の地震がきたらどのような行動をしたらよいのだろうか。狭い空間で全く知らない人だらけ。パニックになっていただろうな。黙祷も必要だが防災訓練も必要だ。直下型地震がきたらどうする。エレベータの中、屋上の駐車場。どう避難するか考えたことがない。

共感 朝日新聞の社説から

心の傷が癒えるとは、亡くなった人を忘れ去ることでも、記憶にふたをすることでもない。被災者が、いまの自分を形づくる大切な一部として、過去を振り返れるようになること。そのためには、周囲による息の長い支えや見守りが必要だ。

 被災者一人ひとりの心のそばにいて、時が満ちたときに語れる相手となる。そういう存在でありたい。

 

 

 


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