輝ちゃんつれづれに 

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高校卒業してから55年

2019年06月18日 00時47分33秒 | マツンのおもい

高校入学から

男子校の工業高校。油臭く汗臭い、質実剛健の校風。

俺はこんな高校いやだった。でも親から私学にあげる金はないと言われた。

大学進学を諦め一番近い自転車で行ける高校は。

(しょうがねいこうぎょう)と言われた都立小金井工業高等学校を受験。

競争率0.9倍の優等生と馬鹿にされ。

どうして機械科になったのか。機械科、電気科、電子科とあったから一番先の機械科に丸をつけただけ。それが運のつき。

小さい頃社会見学で富士重工に行ってラインを見た。

あんなロボットみたいな職工にはなりたくない、と誓っていた。

だから実習は大嫌い。旋盤のベルトは外れるし、溶接はくっつかないし、手仕上げのヤスリは平にならないし・・・。

俺は早生まれのちびっこ。上級生は怖かった。

体育祭は大嫌い。棒倒しや騎馬戦。クラス対抗だから気合を入れられる。

一番嬉しかったのは2年生の時部室ができ居場所となった。

そんな3年間。

就職もいい加減な気持ちで仁丹TERUMOを選択。

クラス会

6月15日(土)、吉祥寺東急REIホテルで「高校卒業してから55年」のクラス会をやった。俺が幹事をしている。74歳ともなれば病気・介護等で苦闘している。

6月は会社や団体は総会の時期である。

それでも9名が集まってくれた。

私はスマートでデジタルなクラス会、校歌の最後にある「小金井その名ぞ我が学園」に似合う基調報告を考えました。素晴らしい仲間を持てたことを誇りとし感謝しています。今回の現況報告で「何はなくても健康第一」、「もう74ではなくまだ74です」という言葉が印象的でした。

今回の基調報告は生涯職工・フライス盤職人という安原さんにお願いした。

安原さんはジャノメミシンで30年、アミネックスで20年という職歴。この会社では会長に次ぐ年長者だという。(牧野KE55)万能フライス盤を中心に切削加工等を行っている様子や加工品の説明があった。多品種少量生産の見本だ。安原さんの説明を聞いて、プロフェッショナルであること、自分の仕事に責任と覚悟を持っていると強く感じた。

  

この会社の特徴は自己能力の開発でものづくりに挑戦できるという。安原さんは自分のやっている仕事が趣味になっているといい、フィッシング用リールやおもしろ箱を見せてくれた。遊びココロと好奇心・挑戦心がなくてはならない。

  

3時間があっという間に過ぎた。いがぐり坊主に戻った時間だった。

 


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